さて、ここからは『
歴史痛の眼』。
大河『風林火山』とは直接の関係こそありませんが、その時代背景…あまり各種メディアの槍玉にあがることが無い戦国時代の事件・人物や意趣深いエピソードについて徒然と話していくコーナーです。
要するに、
読まなくっても大河『風林火山』を楽しめますが、より深く戦国歴史を知りたい人向けのエッセイとして御覧頂ければ幸いに思います。
では、皆様の貴重なお時間を少々拝借。
m9っ;・`ω・´)■戦国武将官職講座【第一回・大膳大夫】
□さて、武田晴信(市川亀治郎)が元服と同時に朝廷より叙任された
大膳大夫という官職。
後に舅婿の関係となる転法輪三条公頼
(小杉幸彦)が朝廷の使者として甲斐に下向し、推認した正真正銘、本物の授与官職となります。
自称や僭称ではないあたりが、さすが甲斐源氏の名門武田家、と言いたいところですが…――。
大膳大夫というのは、宮内省に属する
大膳職
(だいぜんしき/おおかしわでのつかさ)という部門の
長官、という意味合いの官職です。
大膳職は官人へ供給される食事の副食…つまりは『おかず』の調理や、味噌・醤油などの調味料の調達・管理・製造・供給、お菓子やお餅などを製造調理する職人を統括する部門でした。
なお、御飯を炊いたりお米の調達・管理は大炊寮
(おおいりょう/おおいのつかさ)という部署が担当していました。
つまりは、世が世なら
武田信玄は朝廷の厨房で料理をするシェフやパティシエを統括する管理職を務めなきゃいけなかったということを意味します。
戦国武将は武士としての度量を生かせる職掌…兵部や衛門・兵衛、刑部や弾正といった男らしい部門の官職を好みましたので、こういった内務的な官職を授かった戦国武将というのは、実を言うとあまり他に類を見ることはありません。
織田信長や上杉謙信と違って上洛した経験の無い武田信玄のこと、帝のおわす京都御所の厨房になんか生涯、出向いたことなどなかったでしょうけども…何で信虎はこんな官職を嫡子に叙任申請したのでしょう。
ひょっとして、元服の時点でもう晴信が嫌いだったのかも知れません…(汗。