戦国武将に学ぶ人生格言シリーズ@ 前田


夏休み特別企画!!『戦国武将に学ぶ人生言シリーズ』。


 戦国武将や戦国時代に関する知識を無駄に会得している割にはそれを人生に活かせていない典型的な歴史痛・赤髭が『これは!!(笑)と想った戦国武将の格言・名言をチョイス。

 その言葉から読み取れる人生訓・教訓を学ぼうという…どっちかと言えば一般的知識に活用し難いジャンルである戦国歴史をしく人生に活かそう、という実用的でお徳なコーナーです。( ・(,,ェ)・)oO( びっくりするほど自画自賛。新シリーズ発動は、勢いと根拠レスな自信、そして生優しさで出来ています。)



□記念すべき第一回は、戦国の覇者・織田信長いちの舎弟にして誇り高きエリート集団・赤母衣衆の筆頭格、そして太閤豊臣秀吉の朋輩にして五大老の一角を担う重鎮・前田利家の格言から御案内致します。

 それでは、御一緒して頂ける読者様の御時間を、少々拝借。。゜+. m9っ;・`ω・´)っ 。+.゜ Time Stopper !!

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『世の中、とにもかくにも必要なのは"お金"だ。


  金さえあれば、世の中も人も大して怖くは無い。

 だが、一文無しになってしまえばこの世ほど恐ろしいものはない。』


                                 (亜相公御夜話)   


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■記念すべき第一回から、もォ身も蓋も無いことを言ってくれたのは、『槍の又左』。

 織田信長の舎弟格として戦場を駆け抜けて来たはずの勇者、かの有名な『傾き者』前田慶次郎の叔父にあたる戦国武将・前田です。

 かつて週間少年ジャンプで大人気を博し、今日の戦国時代ブームの土壌を育んだと言って良い名作歴史漫画に『花の慶次 ~雲のかなたに~』がありますが、その作品中でも前田利家がその手に『算盤』(そろばん)をつかんで、何かあるたびに色々と計算をする場面が登場します。


 これは史実に基づく描写で、前田利家が愛用した幅三寸(約9p)、長さ七寸(約21cm)の算盤が現存しています。

 利家はこれをいつも具足櫃(ぐそくびつ。要するに鎧入れの箱。)に入れ、事あるごとに金銭や兵糧、そして兵力などの換算をしていたそうです。

 この金銭感覚やものごとの勘定に敏感な利家の性格は、かつて主君であった織田信長が永楽通寶(えいらくつうほう。中国明朝時代の貨幣で、戦国時代では日本の主力貨幣として使われていました。)を旗印とし、農業中心の現物物流財政から商業重視の貨幣流通財政へ華麗に転換、一躍時代の覇者となった影響を強く受けたものでしょう。

 算盤はそんな貨幣社会でもてはやされる様になった中国渡りの最先端技術。


 今風に言えば、スマートフォンなどの最新鋭携帯ツールとでしょうか。

  前田利家は『花の慶次』で見られるような狭量で惰弱な老人ではなく、経済観念に明るい能吏だったのです。



■前田利家、その無類のケチぶりとそれに隠された真理。
□例えば、1596年(慶長元年)。
この年、京都は奇しくも平成日本の東北・北関東同様、直下型の大地震に被災


 豊臣秀吉が隠居場として築城した桃山伏見城や、秀吉が天下の安寧を願って建立した方広寺の大仏殿も崩壊し、近畿地方は大被害を受けました。

 ちなみにこの時、危うくも難を逃れた秀吉は

     

 と大激し、半壊した大仏の眉間に矢を打ち込んだそうです。
( ・(,,ェ)・) 流石は太閤殿下、というほかない。



 閑話休題。…そんな未曾有の災難を被った京の都ですが、さすがは天下人のお膝元。
 すぐに豊臣政権下の諸大名による復旧・救難作業が開始されました。



 しかし…利家の嫡男・前田利長(まえだとしなが)が京都に『地震小屋』と呼ばれる被災者を救うための施設を建築したおりのこと。
 利家と比べてまだまだ若い利長は父の薫陶を理解できていなかったようで…。

  あとで利家が使者を派遣して地震小屋を確認すると、それは『地震被災の復旧の間だけに使う基地としては豪華、贅沢すぎるもの』であることが判りました。



 これに憤った利家、嫡男に向けて手紙を認めます。


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■『ばーかッ!!!お前は何を考えてるんだ!?!
  
  地震小屋なんて、この急場をしのぐためにそつなく出来ていれば問題ないものだ。
  それをこんなに気合入れて、豪奢に建築してどうする。

  こういう無駄な、後先考えない出費のことを『金玉に張った銀箔(睾丸の銀箔)』と言うのだ。
  金銀は無駄に使えば、あとで必ず惜しくなる。そして、他人のものを欲しがるようになる。

  金さえ持っていれば、たとえ地震で山が崩れようが海が埋まろうが驚きもしないものだ。


  利長よ、そなたは能登・加賀・越中三ヶ国百万石の当主だぞ。何事も漏らさずに、もっと賢くやれ。』


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もっとも、お金をけちりぎて時には失敗もしています。

 1584年(天正十二年)、豊臣秀吉(当時は羽柴筑前守秀吉)の麾下となっていた前田利家の所領・末森城へ、越中国富山城主の佐々成政が強襲。

 成政は当時越中半国の主でしたが、金銭を惜しまず傭兵を多く従えたため大軍を擁しており、逆に蓄財蓄銭に固執していた利家は軍勢が少なく、成政との合戦にも既に三度敗北していました。


 これに怒ったのが、前田利家の正室であるおまつ。

 四度目の決戦にも寡兵(かへい、少ない軍勢)で出陣を決定した利家に対して堪忍袋の緒が切れた奥方様、やにわに金蔵に駆け込むと…利家が爪に火を燈す思いで溜め込んだ金子を皮袋に詰め込んで、家臣の居る前で旦那に目掛けて投げつけたのです。


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■『お前様、銭金を貯めるのもほどほどにして、将士を募りなさいとあれほど言ってきたのに…またそんな寡兵で戦上手の佐々成政殿と戦うつもりですか!?!
  
  今からお金を使って兵を募集しても間に合いません。おそらくは、手遅れでございましょう。

  お前様は蔵にこの金銀を貯めることに執着していたようですが、それはこういう一大事の時に…武将や足軽の代わりに、合戦場で戦って貰うためだったのでしょう!!?

  さぁ、このお金を戦場に持っていきなさい!!! そして、槍でも突かせたら良いでしょうッ!!!


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□この一言には、さすがの愛妻家・利家も刀を抜きかけるほど激怒したそうですが…――その怒りを戦場での奮闘にぶつけ、見事に末森城を佐々軍から救うことに成功しています。

 先述の漫画『花の慶次』でも理由は違えど、奥方に尻を叩かれ内心激怒しながら出陣していく前田利家が描写されていましたが…実情は漫画よりもっと情けなかったというのはちょっと淋しいお話ですね。




■さて、窮地を脱した利家は翌1585年(天正十三年)年、秀吉の援軍を得て佐々成政を撃破し越中国も所領とし、さらに蓄銭に邁進。

 1598年(慶長三年)に天下人・秀吉が死ぬと、後継者・秀頼の後見人・豊臣家五大老の一角として唯一、徳川家康に対抗できる巨魁となります。家康が秀吉の没後、禁じられていたはずの他大名家との婚姻や派閥取り込みなどを露骨に行い、豊臣政権をゆるがしはじめると…この動きに反発した親豊臣家の武将たちはこぞって前田利家のもとに集結。

 利家もまた、そんな家康の野望を阻止すべく今まで貯めてきたお金の魔力を発動。


  まさに風雲急を告げる展開。『さぁ天下が動くぞ、次は利家か家康か…』…そんな噂が飛び交い、事実利家は時代の覇権を握りかけますが…―――皮肉なことに、彼が死の床についたのはその翌年、1599年(慶長四年)のことでした。


 利家は例の嫡男・前田利長を枕元に呼び、最後の遺言をしますが…――そんなうちの一つに、やはりお金に関する条項があります。


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■『わしは、豊臣五大老時代に貯めた銭金を財政事情に喘いでいる小大名に貸し付けていた。
  
  その借用書は遺品の文書箱に入っているが…――お前はこの借用書を良く読み、これはと思う武将があれば…その武将への借金返済を猶予するか、それか思い切って無かったことにしてやれ。

  そうすればその武将は前田家に、強いては豊臣家のために恩義を感じて、お前と一緒に戦ってくれるだろう。』


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 そして病床の利家、亡くなる最後の最後まで前田家の財産目録や史料に目を通し、自ら取捨選択の判断をし、残される家臣達に指示を出し続けて…――その作業が終えたのちは安心したのか、そのまま世を去っていきました。(享年六十一歳)

 最後の最後まで、利家は加賀前田家百万石の…そしてその威力は財産に、金にあると信じていたことをうかがわせる老人武将の横顔がまぶたに浮かびます。
 金は湯水の様に豪快に使って権勢を誇示した秀吉とは大違いの最後、この二人の考え方の違いが後の加賀百万石の隆盛の基盤になったことは間違いありません。



■信長、家康、ビル=ゲイツ、ホリエモン…時代の寵児に微笑むお金の実力。
□しかし…――ここまで用意周到にお金を貯めて、豊臣家を守ろうとした前田家を圧倒したのは、その前田利家よりもっと金銭感覚に敏感で、無類のケチと当時天下に有名だった男…――徳川家康でした。



 時代に覇を唱えた武将達…織田信長、豊臣秀吉、前田利家、そして徳川家康。

 彼らのいずれもが貨幣や金銭感覚に優れていたのは、『お金』が持つことの重要性…それを上手に、無駄なく利用することによって物の流れや人の心の機微はおろか、時代の流れすら掴むことが出来るという、誰もが知っているようで実行できないでいた『理』を掴んでいたからに他なりません。


 今の平成現代もある意味、戦国時代です。

 モノも人の心も、時代の流れもわからない…将来が安泰なのか絶望なのかも予測し難い五里霧中の御時世。こんな時代だからこそ、お金を大事に使って…それを未来予想図や将来設計に繋げていくべきではないでしょうか。

( ・(,,ェ)・)oO( ちなみに赤髭も懐事情はさっぱり良くありません。今回の記事は、我が心にも響いて欲しいものです…。)



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■前田利家の格言に学ぶ

 …――よーく考えよう、お金は大事だよ? ( ;・`ω・´)っ)・ω・`)・∵;; 





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