公戦記 第四話〜ちょうけいこうせんき だいよんわ〜

 

『鬼左近、奮闘す。』

 

 


 

  ネタ切れにより堂々開催!戦の歌突っ込みシリーズ@ !!
     まずは一曲目、エントリーナンバー1番はコイツやっ。
 一番、奈良県奈良市出身、松永弾正少弼久秀ッ。
     沢田研二の『勝手にしやがれ』を唄います!!(当然、白い帽子を斜めに被っている)

 (゜∀゜) ♪ちゃらっちゃっちゃー ちゃらっちゃっちゃー 
     ちゃんちゃんちゃらっちゃらちゃらちゃらっちゃっちゃ ちゃらちゃっちゃ!
(イントロ)

 ♪壁際に 寝りうって〜


 

貴様は、無生物にまで寝返りを打つのか。




 いや、この場合の寝返りはそういう味じゃなくてさ。
     てゆーか、本当に続くのかこのシリーズ。(;゚д゚)y-~~
 



<<1562年11月 三好家の戦略です。>>

阿波の要衝・白地城 シロチジョウ に、長宗我部家の軍勢3000余が再び来襲。
この動きを見た長慶は、鬼十河の武勇で鳴る四弟・十河一存を援軍として派遣。
一存は兄・義賢の嫡子である三好長治ミヨシナガハルと自身の養嗣子・十河存保ソゴウマサヤスを伴い
河内高屋城カワチ タカヤジョウ を出陣、手下の讃岐衆2000余を引き連れ、白地城に入城した。
長宗我部家の野望を挫かんと意気軒昂な讃岐衆の男達や、鞘光する得物を見て
父・義賢の文人肌な気質を受け継いだ長治は唯々、慄くばかりであった。──。

 【大西覚養】オオニシカクヨウ
     御待ちしておりました。それがしは阿波白地城城主・大西覚養でござる。
 うむ、出迎えご苦労である。
     して、敵の陣立ては如何なるものであるのかのぅ?
 は。敵総大将は、長宗我部元親が三弟・吉良親貞キラチカサダにござる。
     戦目付は宿老・吉田孝頼ヨシダタカヨリ。軍勢はおおよそ3000余でござる。

 【三好長治】ミヨシナガハル
     ひっ!?・・・かような小城に、3000もの軍勢が押し寄せて参ると云うのかッ!!?
     叔父上、わ、私は恐ろしゅうなって参りましたッ・・・((((゜Д゜;)))) ガクガクブルブル
 ぐわっはっはっは!!。
     長治よ、情けない事を言うでないわッ。例え土佐の大根武者が5000来ようが一万来ようが
     この鬼十河の目が黒いうちは、白地城は陥とさせはせんぞィ!!
     儂と讃岐衆の戦ぶり、後学の為にとくと目に焼き付けていくが良いッ。

それから間も無く、四国の辻・阿波白地城を狙って長宗我部軍が襲来する。
長宗我部軍は次々と城壁に取り付き、破城槌を振りかざして城門突破を試みたが
日頃から【改修】を重ねてきた白地城の城門はびくともしない。
攻めあぐねる長宗我部軍を目の当たりにした一存は手下の讃岐衆に対し武装【弓】を指示、
城門前に陣取る長宗我部隊に、容赦無い矢弾の雨を見舞う作戦を採った。



 長宗我部軍総大将 【吉良親貞】キラチカサダ
     おのれなり十河一存ッ!!城門を開いて、尋常に勝負いたせいッ!!!
 合戦に常もヘッタクレも在るものかッ。
     武士は例え犬畜生と罵られようが勝たねばならん稼業よ。のう、讃岐衆!!
 合点承知でさぁ。知らぬは土佐の田舎武者ばかり也、ってもんだ!

結局、長宗我部軍の誇る一領具足の猛者たちはその大半を射抜かれて壊走。
総大将である吉良親貞は三好軍の追撃を免れ岡豊城へ撤退したが
長宗我部家三代に渡って仕えた宿老・吉田孝頼は新開実綱シンガイサネツナ隊の弓矢に射倒され、
捕縛されるという失態を犯してしまう。

 【吉田孝頼】ヨシダタカヨリ
     ・・・土佐一国すらまともに治められん長宗我部家が、
     どうして畿内以下5国を治める太守・三好家に敵うというのじゃ・・・。
     国内統一を優先すべき、と殿には幾度も御注進申し上げたが、
     元親殿は、儂が言葉に一向に耳を貸しては下さらぬ・・・。

     ・・・長く、生き過ぎたようじゃの。今行くぞ、国親(クニチカ。長宗我部元親の父)・・・。

  【十河存保】ソゴウマサヤス
     ・・・吉田孝頼殿と御見受けいたす。我と共に、白地城にお出で頂こうか。
 !!?・・・長慶殿は、儂が命を取らんと仰せられるか。
 今は、一人でも多く家臣が欲しいからのぅ。
     長宗我部軍の重鎮である貴殿が当家に帰参するのであれば、長慶兄者も喜ぶだろう。
     40年も勤めた長宗我部家を見限るのは心苦しいだろうが、どうじゃ。
     長慶兄者に仕え、新しい秩序とやらを創造する手助けをしてみんか?
 ・・・認めたくは無いが・・・三好殿の器は、元親殿より大きい様じゃのう・・・。(遠い目

 かくなる上は是非も無し。長慶殿の夢に、力をお貸しいたす。



<<1562年12月 三好家の戦略です。>>

その頃、三好長慶は次弟・三好義賢と三弟・安宅冬康ら5000余の兵を率いて
大和国大名・筒井順慶ツツイジュンケイ の居城である大和多聞山城ヤマト タモンヤマジョウ を包囲していた。
筒井方は島勝猛シマカツタケ(後のシマサコン)・和田惟政ワダコレマサら
兵3700余で城内の櫓や城門をがっちりと固め、徹底抗戦の構えを見せた。

だが、一見完璧で水も漏らさぬ鉄壁と見えたこの布陣には、目に見えぬ大きな穴が開いていた。
先日、主家への裏切りを確約した筒井家足軽頭・岡吉正オカヨシマサの存在であった─。



 【岡吉正】オカヨシマサ
     三好軍が差し迫っている今こそ好機ッ。
     皆の衆よよく聞けィ。今日より俺が主は三好筑前守長慶殿じゃ。
     城門を打ち壊し、長慶殿をお迎えにあがるのじゃぁッ!!
     祇園で酒池林ウマーー!!!(゜∀゜)

 筒井軍総大将【筒井順慶】ツツイジュンケイ

     Σ(=ヮ=;)ナニゴトッ!!?

     お、おのれッ。裏切りおったな吉正ぁッ!!!
     犬ですら、三日飼えば主の恩を忘れぬというのにッ・・・誰ぞ、誰ぞあるかッ。
     あの慮外者の首を討ち取って参れっ・・・恩賞は思いの儘ぞ!


 筒井家部将【島勝猛】シマカツタケ
 
 ・・・あれは、儂が斬る。
 例え筒井家が今宵限りで滅びようとも、彼奴だけは 許せぬ。(゜Д。#)
 仏に会えば仏を斬り、鬼に会えば鬼を斬る。馬鹿・即・斬で切り捨てる。
行くぞ者共、狙うは岡吉正のひとつぞ!


 げぇっ、左近!Σ(=Д=;)(故・横山光輝氏風味で)

 ねぇぇー!!!
     ねええぇぇー!!!
       に堕ちろ、亡恩の徒めがぁぁぁー!!!
 【岡吉正】オカヨシマサ
     ひゃぁぁああぁぁぁぁああぁあぁ〜ッ;;;(゜Д゜;)

島勝猛軍の駆け抜ける処は、草も木も朱に伏す。さしもの
百戦錬磨の誉高い吉正麾下の猛者たちも恐怖にかられ、二刻(2ターン)と持たず総崩れとなった。

 ホゥ。あれが、天下分け目の関ヶ原合戦で勇名を馳せ、
     『三成にぎたる物』『』の異名を取った猛将・島勝猛か。
     俺らの活躍してた時代から、高名な兵法家として名は通ってはいたが・・・
     成る程、大した益荒男振りだあナ。(シャカシャカシャカシャカシャカ・・・
 感心して茶など点てている場合では無いぞ義賢兄者ッ。
     ここは我らが部隊が城内に雪崩込んで、衆寡を以て彼奴を圧し切ろうぞ。
     相手は鬼左近だ、一対一で戦っていてはらちが開かぬッ。
 そうだなァ。相手が鬼左近とあっては、弾正の【混乱】も効きそうに無いしの。

     ・・・全軍に伝令!我が軍は今より、多聞山城本丸に陣取る
     島左近隊を突破する!冬康隊と連携せよ、抜け駆けはならんぞッ!!
     命を拾おうとなどは思うなョ、相手はあの鬼左近ぞ!!!

かくして義賢の大音声の元、義賢・冬康隊1700余は多聞山城本丸に突撃。
総大将・筒井順慶を守備する布陣を取る島勝猛隊600余を包囲し、圧し潰す戦法に出た。

桶側溜塗菱威の具足に身を包み、軍配を振りかざして地獄の奥底から響き渡るような
咆哮を上げる島左近隊は、血と断末魔の嵐を振りまきながら三好軍を圧倒、奮戦したが
衆寡敵せず義賢隊の一斉攻撃に絡め取られ、敢え無く捕縛される。

麾下の部将を次々に破られて低下していた筒井軍の士気はこの報を受けて更に低下、
総大将・筒井順慶軍は刃を交える前に自壊し、遁走。順慶は三好軍に捕らわれ縄打たれた。
ここに多聞山城は陥落し、奈良興福寺門徒として大和一国を支配した名門・筒井家は滅亡した。

 よっしゃ、儂らの勝ちじゃがいッ!! 者ども、勝ち鬨を上げーぃッ!!!
 えい、えい、おぉぉぉーーーおぅ!!

 うむ。皆の者、大儀であった。各自武装を解き、次の戦に備えよ。


 長慶兄ぃ。鬼左近ら敵将6名を捕らえたが、奴らの処遇は如何にする?
 当家に臣下の礼を取らせよ。拒む者は解き放て、断じて斬ってはならん。
 御館様、古来より寛容さは王者の気風とは申しますが、
     度の過ぎた寛容は、返って敵の人的資源を温存させまする。
     特に総大将の筒井順慶は、今後の憂いを絶つためにも斬ってしまうべきかと。。
 ならぬ。今の畿内は、人材欠乏が顕著ゆえみだりに逸材を斬っては
     逆に我が三好家の領国統治を難航させる事となろう。それに、解き放った人材は
     浪々の内は当家に【怨恨】を持つが、何処かの家に登用されると【怨恨】を忘れる。
     捕縛し続ければ、いずれは当家になびくであろう。
 はは、御意にござりまする。

 御館様にご報告申し上げまする。
     戦後処理の結果、近、井戸良弘イドヨシヒロ、和田惟政ワダコレマサら3名は
     三好家に臣下の礼を取る旨の誓紙を差し出しました。

     なお、筒井順慶・柳生宗厳ヤギユウムネヨシ・箸尾高春ハシオタカハルら三名は仕官を拒んだため
     御館様の申しつけ通り、縄目を解き城から開放いたしました。

     筒井順慶は紀伊の本願寺顕如を頼って落ち延びたようですが、柳生・箸尾の二名は
     筒井家の支城であった大和高取山城ヤマト タカトリヤマジョウに拠って挙兵し
     独立力化した模様でござりまする。
 ホウ、あの鬼左近が当家に仕える事を良く承知したナ。
     長慶兄ぃ、これは大きな収穫だぞ。
 しかし、喜んでもおられませんぞ。
     柳生宗厳が大和高取山城に拠って挙兵したようですが、かの者は
     【威信】になびかぬ頑固者ゆえ、当家の【取込(独立勢力を降伏させ、支配下に置く)には
     耳を貸さない事は火を見るより明らかにござりまする。如何いたしましょうや。
 畿内支配を目標とする当家に取って、大和国は是が非でも完全統治
     しておきたい要衝じゃ。【取込】が出来ぬようなら、攻め潰すより他あるまい。
     冬康、それに弾正。島左近以下兵3000余を与える故、直ぐに出陣し
     大和高取山城を攻め落として参れ。
     幸い柳生は無骨者ゆえ【智謀】は高くあるまい。弾正の【混乱】が有効であろう。
 御意に、ござりまする。オイオイオイ待てや長慶、それじゃ茶の一服も飲む暇が無えじゃねえか。
   ・・・まぁいいか。俺は後ろで【混乱】だけやっとくとしよう。槍働きは多分、鬼とやらがやってくれるだろ。ククク
( ゚д゚)y-~~)




<<1563年5月 三好家の戦略です。>>

明けて1563年の正月、安宅冬康・松永弾正率いる3000余は大和多聞山城を出陣。
同年5月には大和の南部に位置する支城・大和高取山城を包囲、攻撃に移った。
城を守るのは旧筒井家の臣で、剣聖・上泉信綱コウイズミノブツナに師事し
柳生新陰流
を纏めた剣豪・柳生宗厳戦闘92)であった。

合戦は、予想に反して宗厳に弾正の【混乱】が決まらずに苦戦。
宗厳は高取山城本丸で大いに気を吐いたが、三好軍の先陣を務めた島左近
寡兵ながらも素晴らしい槍働きを見せ、後詰の冬康軍とも連携し敵軍を圧倒。
宗厳は孤軍奮闘するも敢え無く捕縛され、大和高取山城は落城。三好家の支配下となった。

 【柳生宗厳】ヤギュウムネヨシ
     三好家の禄を食む気には到底なれぬ。仕官の儀は、お断りいたす。
 むぅ。時勢の読めぬ頑固者奴が。その様な片意地を張っては
     一族郎党を路頭に迷わせるぞ。大人しく、我が三好家の傘下に収まるが良い。
 ・・・戦乱うち続く世の中で、他人など当てには出来ぬ。
     道とは、自分で切り開いていくものじゃ。

 む。この物の言い様は、恐らく【威信無視主義】の持ち主でござりましょう。
     この手合いの者は、大国の脅威や威信というものを蚊ほどにも省みませぬ。
     仕官を説くだけ、無駄でござりましょう。
     こんな頑固者、斬っちまえ。俺は、この手の堅物が大っ嫌えなんだ。 ( ゚д゚)y-~~ ←【威信絶対主義】)

 左様か。・・・むぅ。これほどの武辺者、むざむざ解き放って
     敵に回すのは厄介な仕儀ではあるが、御館様の下知もある・・・仕方あるまい。
     ・・・貴公を解き放つ。速やかに高取山城を退去し、何処なりとでも落ち延びられるが良い。
 ・・・礼は言わぬ。・・・礼は、言わぬぞ。



かくして、三好家が当座の目標に定めていた大和国切り取りは成功裏に終了。
長慶は大和多聞山城に群臣を招集、二度目の大評定を開催したのだった─。

 阿波白地城城主・大西覚養より伝令。
     紀伊の本願寺如が兵2700余を率いて紀伊雑賀城キイ サイカジョウ を出陣
     当家の河内岸和田城を窺っているとの報が入ったため
     十河一存様は麾下の讃岐衆を引き連れ岸和田に入城、篭城戦の構えを採り
     これを迎え撃つとの事。故に、評定には出られないとの事でござりまする。
 うむ。一存ならば余計な気懸かりも無用であろうが
     『しっかりやれ。』とだけ伝えておけい。

     さて、皆の不撓の働きにより、無事大和国を支配下に治めることが出来た。
     次の当家の目標は、先ほどの伝令にもあった本願寺家の統治する
     紀伊国の攻略に定めたいと思う。
     何か存念のある者は、遠慮なく申すが良い。
 紀伊国の本城である雑賀城は領内に【鉄砲鍛冶村】を有し
     種子島の自自足を可能としておりまする。
     また、雑賀城に所属する本願寺家家臣にはあの下間シモヅマライレンをはじめ
     本朝無双の鉄砲傭兵集団の頭領・雑賀サイカマゴイチ(鈴木重秀 スズキシゲヒデ )、
     光秀アケチミツヒデといった合戦場における種子島の用途に精通した者が
     多うござりまする・・・。
     大和筒井家のように、一筋縄にはいかぬかと。

 ほなけんどやな、そうかて言うてまごまごと手を小間ねいとったら
     陥ちる城も落ちんっちゅうもんじゃ。何か、手ぇ打たなアカンのちゃうか?
     ホレ、こないだように【調略】を使うとかやなぁ。
 本願寺家の家臣団は結束が固く、顕如の人柄に惚れ込んだ者が多うございますれば、
     多聞山城の様に内部切り崩しを狙う事も、難しゅうございますぞ。
 んー。・・・長慶兄ぃよ、ここは以前の石山本願寺攻めの様に
     顕如が何かしらのヘタをのを待つしかないと思うぞ。
     俺の見たところ本願寺家の所領は紀伊国の他に
     加賀御山御坊カガ オヤマゴボウ や大聖寺城ダイショウジジョウ(北陸地方 )、
     北伊勢の長島城ナガシマジョウ(東海地方 )といった具合にあっちこっちに点在しておる。

     聞いた話では、越前の朝倉アサクラヨシカゲが加賀国を窺っているという話しであるし
     合戦になれば、顕如は否が応でも紀伊の戦力を割かねばならん事になる。

     それまで、長慶兄ぃは阿波淡路・讃岐・河内といった諸領内を見回って
     【守護職自称】イベント(幕府滅亡後に守護職を自称、威信が上昇する)でも
     起こしておいたらどうだ?
 ふむ。義賢の言いや良し。当家の威信拡大は、本願寺家にとっても脅威であろう。
     では、儂はこれより阿波淡路に出立する故、皆の者は本願寺家内部の諸状態を探れ。
     顕如が当家に対する戦力を割き、紀伊国の守りを疎かにするようであれば
     儂の許可は要らぬ、各自率先して紀伊国切り取りに動くが良い。

     では、今日の評定はこれまでとする。各自、忠勤に励むがように。
 はっ、合点承知でさ御館様っ。



<<1563年6月 三好家の戦略です。>>

かくして、三好家は次の目標を紀伊国攻略に設定。
長慶は領内を視察し【職自称】の機会を伺いつつ、家臣団に本願寺家の動向を
くまなく調べ、本願寺家の隙を狙うよう下知を下した。
三弟の安宅冬康や四弟の十河一存は一見消極的・穴熊風なこの作戦に苦言を呈し、
憤慨を隠さない様子であったが、ところがどっこい。

思ったより、本願寺顕如はボロを出してきたのであった─。



     
・・・今宵は、ここまでにいたしとうございます。





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