公戦記 第六話〜ちょうけいこうせんき だいろくわ〜

 

『婆沙羅大名の裔、屈服す。』

 

 


 

  みなの衆、ご無沙汰であったのう!長慶公戦記、待望の第六話のはじまりや!
 (*=ヮ=) ほなけんど、その前にやっとかなあかんコトがいっちょある。
 合点承知のすけはモーレツア太郎の主題歌ッ。
     今回もアクセル全開フルスロットルでいくでぇっ!! 
     "取り扱う歌曲が古い"は禁句中の禁句! 打倒、歌のベストテン!!
     戦の歌突っ込みシリーズB !!

     三曲目、エントリーナンバー3番は意外や意外、この御方やッ!!!
 さんばん、大阪府堺市出身、三好式部少輔真琴。
     あみんの『待つわ』を唄いまーす!!
(客席から『おおー!』と元ネタを知らない世代のどよめき)

 (*=ヮ=) ♪ちゃららららららららららら ちゃらん〜  
     ちゃら〜 ちゃらら ちゃら〜 ちゃら〜ん。
(イントロ)
 かわいいふりして あ の 子ッ 
          わりと やるもんだね〜と〜
       言われ続けたあの頃
               生きるのが つらかった〜
       行ったり 来たり すれ違い
                あなたと 私の恋ぃ。
       いつか どこかで 結ばれるってことは 永遠の夢〜。

 ・・・。(・・・ホウ、良い声出すじゃねぇか。ま、年頃に合わん選曲だがね。( ゚д゚)y-~~ 

 ♪私待つわ いつまでも待つわ
     たとえ あなた〜が 振り向いてくれなくてぇ もッ

     待つわ〜 ((゜Д。)マツワー)
              いつまでも 待〜つ〜わッ

     他の誰か〜に あ〜なたが 振られる日まで〜。


 
 それを普通、世間一般じゃ
 ストーカーと呼ぶんだが。
 
("他の誰かに貴方が振られるまで待ってる"とか、めっちゃ根性悪いし。(((;゚д゚)y-~~ 

 最近の中年のおやぢってば、二言目にはすぐ交だよッ!!!
    (床にマイクを叩きつけて憤慨。)

 ぎくっ。Σ (;゚〜゚)


 (*=ヮ=) 姫さん、それオチになっとらんで・・・っちゅうか、何かいな今のギク いう音はwwっうぇ。

 御館様・・・というか父さん、後でツラ借して。(^-^#)



<<1564年8月 三好家の戦略です。>>

畿内から本願寺勢力を駆逐し、後顧の憂いを絶った三好家は
本格的な畿内統一事業に乗り出す事となった。
手始めは、三好家積年の好敵手であった南近江守護職・六角家。

先ずは山城二条城ヤマシロ ニジョウジョウ(もと山城・室町御所。三好家が功略後に改称。)の東に位置する
南近江宇佐山城ミナミオウミ ウサヤマジョウを切り崩す事となったが、ここには
先年六角家に敗れて滅亡した浅井家の遺臣で、『浅井の翼』の一人として
武名を謳われた猛将・磯野員昌イソノカズマサが駐屯していた。

先年の観音寺騒動で主家・六角家に対する忠義心が揺らいでいた員昌は
六角家に対する忠誠度が驚くほど低くかった為、
六角家の内部切り崩しの密命を受けていた三好真琴・松永弾正の両者は
彼の調略を狙っていた。

そして、両者が三好家一の策士の名を掛けて争った結果はと言うと・・・。



 【三好真琴】ミヨシマコト
     うう、失敗してしまった・・・。
     才能だけなら弾正少弼殿には引けを取らないつもりだけど、【調略】の成功は
     【身分】と【官位】も関係あるから・・・。その点では私は弾正殿に
     後れを取ってるから、調略が仕掛けにくいですのッ。そうに違いないのですのッ(´;ω:`)
     御館様に上奏して、朝廷から官位を頂こうかしら;;


 【松永久秀】マツナガヒサヒデ
     失策の挙句、其の要因をご自身の才能以外の要因に転嫁するとは・・・。
     真琴殿には、将としての自覚が足りないと見えまするな。
     ・・・まァ、神算鬼謀遠慮深謀の限りを尽くし、人のこころの裏を読み取る謀略戦の真髄、
     蝶よ花よと育てられた真琴姫に解せないのは至極当然の事でござりましょうなぁ・・・。
     俺様と張り合う暇があったら、女を磨いとけッてんだ。そのほうが、後で喰う時にウマイしなー。 ( ゚д゚)y-~~)

 そういう弾正殿も失敗しておられるでわないかッ。(#=ヮ=)

 ・・・ふん。磯野如き慮外者に、三好家の末席を汚す資格はござらぬ故の事。

 【三好政勝】ミヨシマサカツ
     御館様に御報告いたしまする。仰せ付けられた【調略】の件、成功裏に終わり申した。
     磯野員昌より当家へ内応の誓詞を取り付けた由にござりまする。

   なにぬね!!? Σ( ̄▽ ̄;)Σ(゜Д。;)

 【三好長慶】ミヨシナガヨシ
     何を驚いている。お主等が失敗したとの報を受けて、次の一手を打ったまでの事じゃ。
     政勝、役目大儀であった。下がってよいぞ。
 ・・・あと一手及ばずッ・・・この、私がぁッ!! || orz
     野郎、居るか居ないか判らない位の端役の分際で、よくもこの弾正にッ・・・ (#゚皿゚)y-~~ ヌッコロース!)
 えーん;;何か、ものすごく納得いかないぃぃ〜; ・゚・( ノД`)・゚・。



<<1564年10月 三好家の戦略です。>>

磯野員昌調略成功の報を受けて、山城二条城ヤマシロニジョウジョウに駐屯していた義賢・冬康軍は
出陣を決定、6500余に上る大軍勢を率いて南近江宇佐山城を包囲、これを難なく陥落させた。
城将の三雲成持ミクモシゲ゙モチは磯野に引き続いて六角家を見限り、
三好家に転仕する旨の誓詞を差し出した。

 【三雲成持】ミクモシゲモチ
     近江源氏の嫡流、佐々木道誉の裔たる六角家も、もはやここまで・・・。
     我等三雲一門、長慶殿の尖兵となりて近江国切り取りに御力添えいたす所存・・・。

しかし、六角家の弱体化を好機と見たのは何も三好家だけではない。
甲斐武田家の支流で、新羅三郎義光を祖とする名門・若狭武田家が対六角の旗を掲げて挙兵。
六角家の領する北近江小谷城キタオウミ オダニジョウを攻撃し、これを奪取したのである。
畿内の要衝・近江国をめぐる攻防は、これを以て
三好家・六角家・若狭武田家の三つ巴が絡み合う、抜き差しならない状況となった。



この間、一存率いる讃岐衆の守る伊勢亀山城は、かの『大坂左右之大将』 孫市率いる
本願寺家の攻撃を受けていたが、其処は岡に上がった河童の哀しさか。
雑賀衆の本拠地で、種子島の一大生産地でもある
紀伊を失った本願寺家に、雑賀孫市隊に分け与える種子島が在ろう筈がなかった。

種子島の扱いに掛けては本朝無双の雑賀衆も、種子島が手元に無くては如何し様も無い。
仕方無く、雑賀集の男達は慣れぬ白刃を振るって城門へと斬りかかったが
一存率いる讃岐衆の射放つ鏃の雨は、有象無象の区別無く雑賀衆の男達を射抜き倒していく。


やがて戦の喧騒が止み、亀山城城門前に一向宗門徒達の血の河が出来上がった頃・・・。
十河一存の前に、一人の傷ついた敵将が引っ立てられてきた。
讃岐衆に退路を立たれ絡め取られた『大坂左右之大将』、雑賀孫市その人であった──。

 【雑賀孫市】サイカマゴイチ
     ・・・。
     ・・・運に見放された者は、瓦が落ちてきたって死ぬものだ・・・。
     話すことは何も無い・・・斬れ・・・。
 【十河一存】ソゴウカズマサ
     運に見放された、か。・・・確かに、そうかも知れんな。
     『畿内最大の傑物』本願寺顕如はささいな状況判断失陥を繰り返して
     摂津・紀伊の諸拠点を次々と失い、門徒衆や雑賀衆も故地を追われる結果と相成った。

     日ノ本一の鉄砲傭兵集団たる雑賀衆が鉄砲を失ったのも、
     【戦闘99、【指揮92という、当しく一騎当千の武勇を誇る貴公が
     足軽隊の射放った鏑矢如きに射抜かれ、捕縛の憂き目に遭ったのも
     本願寺が、雑賀衆が最早、神に・・・阿弥陀佛に見捨てられたとしか思えぬからのう。
 ・・・。

 ・・・だがな孫市殿。世の中には、『捨てる神在れば拾う神在り』 という言葉もある。

     孫市殿よ、阿弥陀佛に捨てられたのであれば摩利支天に拾われれば良いのだ。
     過去の我執はお互い忘れようではないか。貴公の力添えがあれば、
     必ずやこの乱世は終わろう。
 ・・・。

 長慶兄者は、室町幕府の力でも無い、御仏の加護でも無い
     新しい秩序を生み出そうとしているのだ。儂等讃岐衆も同様にな。
     雑賀衆の種子島もまた、戦乱の世を終わらせる力になり得るであろう。
 ・・・。

 【雑賀孫市】サイカマゴイチ
     長慶殿に惚れ申した。・・・。
     この命、長慶殿にお預けいたそう・・・。


かくして、本朝無双の鉄砲傭兵集団・雑賀衆は三好家に降り、その一翼を担う事と成った。
長慶は彼の帰順を大いに喜び、即座に家宝・霞流砲術書を返り忠の恩賞として下賜。
三段】技能を修得させ(意外だが、雑賀孫市は鉄砲三段撃ちが出ない。)、雑賀衆を
十河一存率いる讃岐衆の麾下とし、前線に3000近い種を配備したのだった。



<<1565年1月 三好家の戦略です。>>

明けて永禄8年(1565年)正月。先年の暮れに畿内で相次いで蜂起した
一向宗門徒衆を蹴散らした三好家は、京畿における支配体制を磐石とせんため、
南近江平定軍を編成、南近江にある諸勢力の城砦攻略を開始した。

先ずは弟・安宅冬康率いる軍勢を南近江水口城ミナミオウミ ミナクチジョウ に差し向け、
此れを見事陥落せしめ、南近江に侵入していた伊勢北畠家を追いやった。

 【安宅冬康】アタギフユヤス
     うむ。これで南近江に残る城は、六角家の居城・観音寺城だけだのう。
     島左近殿、北近江の戦況はどうなっておるか?
 【島勝猛】シマカツタケ
     ・・・北近江の本城・小谷城には若狭武田家の嫡男である武田タケダヨシムネが
     重臣・粟屋勝久アワヤカツヒサ、浅井家遺臣・遠藤直経エンドウナオツネ ら
     諸将を従えて占拠しており、今は【改修】で城の守りを固めている。

     いっぽう、六角家の治める支城・今浜城イマハマジョウには宿老・蒲生定秀ガモウサダヒデが拠って
     江南の六角ロッカクヨシハルと連携し、小谷城奪還を企んでいる模様だ。

     また、もう一つの支城である佐和山城サワヤマジョウには、かつて江北を席巻した
     若き驍将・浅井アザイナガマサが独立勢力化 し、占拠している。
 …ほう。あの浅井長政が独立勢力とな。
     若輩ながら、大器と評判の男だ。彼の者を味方に引き込めれば
     北近江攻略の大義名分としては勿論のこと、これからの戦略で
     合戦場で大いに活躍が期待できるであろう。…殺すには、惜しい傑物。
     ここは御館様に、佐和山城の【取込】を進言してみる事としよう。
 御意の、ままに。
    

<<1565年5月 三好家の戦略です。>>

菊の御紋が、三好家の居城・山城二条城ヤマシロニジョウジョウの城門を厳かにくぐり抜ける。
永禄8年初夏、長慶は朝廷より従三位 中言ジュサンミ チュウナゴンの官職を拝命し、
(クギョウ。朝廷の上級貴族で、三位以上の官位を持つ者。)としての地位を確立した。

かつて武家の棟梁として初めて鎌倉に幕府を開いた
源頼朝ミナモトノヨリトモが朝廷より拝命した最高の官職は右大将
室町幕府を開いた足利尊氏シカガタカウジの最高官職が中納言であった故事から、
三好長慶は朝廷より、過去の偉大な先達達と同等もしくはそれ以上であると
正親町帝より信任されたと、広く天下に喧伝された。

 【三好長慶】ミヨシナガヨシ
  ふははは・・・遂に、遂に儂は帝の信頼を勝ち得たッ。
      あとは天下静謐に向けて、一心不乱に突き進むのみぞッ!!

また、阿波国国境を度々侵していた土佐の長宗我部家に圧迫を加えるべく
土佐国との国境に近い阿波白地城の城主・大西覚養オオニシカウヨウに命じ、土佐北部に位置する
土佐本山城トサ モトヤマジョウ の独立勢力・本山茂辰モトヤマシゲトキ を【取込】ませ、三好家に編入。
土佐国内に、大きな揺さぶりを掛ける事に成功する。

 土佐安芸城立勢力  【安芸国虎】アキクニトラ
     むむ。・・・遂に、三好家が土佐国切り取りに本腰を上げよったか。
     はてさて、このまま独立を保って武門の意地を見せるか、それとも・・・。
 土佐中村城立勢力  【小島政章】オジママサアキ
     ・・・三好家に降って家名を保つか、だのぅ・・・。

 【長宗我部元親】チョウソカベモトチカ
     なッ!!?・・・ば、馬鹿な!
     おんしら、あやかしい事を言うなや!(貴公ら、いい加減な事を云うで無い!)
     合戦で槍をつける前から白旗を振っては、土佐の畏豪相(イゴッソウ。頑固者の意。)には
     男が居らんと、上方の武者どもに笑わるぜよッ。気圧されるでないわッ!!!



<<1565年7月 三好家の戦略です。>>

土佐国内に三好家侵入の波紋が広がっていく事を感じ取った長慶は、すかさず
南近江・宇佐山城に駐屯する三好義賢軍に出陣の下知を飛ばした。
目標は無論、南近江の本城にして佐々木源氏最後の砦・観音寺城に他ならない。

三好軍出陣の報を受けた六角家総領・六角義治は直ぐに軍を編成、
篭城戦の構えを見せたが、観音寺騒動によって家臣団の大半から信頼を失った
六角家総領に付き従うのは数少なく、
名の有る者はわずかに阿閉貞征アツジサダユキのみで、他は名も無き足軽頭達ばかり。

この敵の体たらくを見た義賢は、全軍に突撃を指示、部下の将兵達は
すかさず城門に取り付いたが、やはり其処は畿内一番の堅城と謳われる観音寺城。
その城門は驚くほど堅固で、その城壁はあらゆるもののふの突破を許さなかった。

 【三好義賢】ミヨシヨシカタ
     突。成るほど・・・六角義治は只の小僧やも知れんが、この城は・・・。
     観音寺城は、一筋縄では行かん堅城のようだナ。(シャカシャカシャカシャカ
 【三好長逸】ミヨシナガユキ
     むぅぅ。たとえこの城門を破壊出来たとしても、城内には
     十重二十重の回廊と、幾つもの城門や櫓が備えられている・・・。
     もはや、厭きれた堅城と云う他ござらぬッ。
 【三好政康】ミヨシマサヤス
     ・・・まったくや。長逸よ、今さっき先陣の将が城門を殴りよった時の
     残り城門防御度の数字、見たか?
     『残り防御度・231』や云よったぞ。
     これでは埒があかんッ。本丸にたどり着くまでに一ヶ月が終わってまうぞ!

しかし。三好釘抜の軍旗の下、士気猛る三好軍に気を取られた六角軍は
城の北西部にある城壁前に【土手】を建築している一隊に、気づいていなかった。
誰であろう、先日三好家に帰参した伊賀衆を率いる上忍・百地三太夫である。

 【百地三太夫】モモチサンダユウ
     よし、土手が完成したな。これで、観音寺城の城壁との高低差は縮まったわ。
     皆の者、今より我が部隊は城壁を突破し、単騎城の中に斬り込むぞ!
     城内より各城門を破壊し、櫓を占領せよ!城内六角軍を撹乱せしめよッ!!

予想外の場所に突如として乗り込んできた百地軍に対し六角軍は混乱。
城門前に展開しいた足軽隊を後方に下げ、城門前に布陣する三好軍への攻撃を疎かとした。
結果、遂に堅牢を誇った観音寺城正面城門は破壊され、三好軍は次々と雪崩れ込んで行った。
六角軍は急いで本丸曲輪に向かって軍を引き始めたが、城内各地に散っていた足軽隊は
次々と各個撃破され、六角軍の士気は急落。

百地軍は、無人となった城北西部の櫓を次々と占領し勝ち鬨を挙げた。
その報が六角軍の隅々に行き渡る頃には、最早六角軍は兵の士気が底を尽きていた。
六角軍は全軍崩壊し、六角義治は本丸にて三好軍に捕縛された。

次いで六角義治は膝を折り、三好長慶の軍門に降る事を承服。
ここに、源平合戦の昔より近江に勢力を張り、婆沙羅大名・佐々木道誉を輩出した
近江源氏の名門・六角家は滅亡を遂げた。

 【六角義治】ロッカクヨシハル
  わかりました・・・
      こうなっては、仕方がありません・・・。


北近江に展開していた六角家はこの晴天の霹靂に仰天したが、
今浜城を本拠に独立勢力化し、三好家に一矢報いようと試みたのは
わずかに宿老・蒲生定秀のみ。大半の家臣団は三好家の追っ手や落ち武者狩りに慄きながら
隣国の美濃や北近江に向かって、その身一つで落ち延びていった。

その家臣団の群れの中には、まだ数え歳11歳の幼い嫡男を連れ
美濃稲葉山城ミノ イナバヤマジョウの斎藤サイトウタツオキ を頼らんと疾駆する
蒲生定秀の嫡男・蒲生賢秀ガモウカタヒデの姿があった・・・。

 【蒲生賢秀】ガモウカタヒデ
     ・・・儂は、三好家とは同じ天は戴かぬ。
     定頼公、承偵公の御恩に報いるためにも、今は泥をすすってでも生き延びよう・・・。
 【蒲生鶴千代】ガモウツルチヨ
     ・・・。六角家は、時勢を読み誤り、敵の強さを見誤った・・・。
     敵を知らず、己を知らぬ者が滅ぶのは必定ではないですか、父上・・・。



 よっしゃあ、観音寺城本丸を押さえたったぞ!
     これで、南近江は我等三好家のもんじゃ。皆の者、勝ち鬨を上げやッ!!!
 えい、えい、おぉぉぉーーーおぅ!!

 ・・・突。蒲生の麒を、逃しちまったようだナ。
 【新開実綱】シンガイサネツナ
     は・・・?麒麟児、と申されますと・・・?
 陽と月の狭間を、余りにも疾く駆け抜けていった"風流の利発人"・・・。
     おいらの目が黒いうちにその器量、是非見てみたかったのだがナ・・・。

     惜しい哉、惜しい哉。ってヤツだぁな。(シャカシャカシャカシャカ・・・


     
・・・今宵は、ここまでにいたしとうございます。





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