公戦記 第七話 〜ちょうけいこうせんき だいななわ〜

 

『秘宝蘭奢待、拝領す。』

 

 


 

  さぁっ。さぁさぁさぁっ。長慶公戦記、第七話が始まったで〜!!
    今回も、われら三好三人衆が素敵なひと時を・・・って、なんやなんや。
 (;´・ω・) 何や知らんけど、弾正がタマには渋うにキメたいから時間くれって。
 ぇー。長慶公戦記のとっぱちに儂等が笑いを盗るんわ、もはや風物詩みたいなもんやで。
     本編で目立っとる奴らは、遠慮せえっちゅうねん遠慮ッ。
 ホンマやー。自慢やないけどやな、儂なんか本編ではほっとんど喋っとらんで。
     たぶん、片手で数えれるくらいしか無いと思うわ正味の話。
 …えーとやな。ちょっと待てよー。 (註・序章〜6話までの岩成友通の本編で喋った回数を数えている。)
     1…2…3…4遍やな。
 …ホンマに手で足りてしもうてどないするんやッ。
     …岩成よ、貴様はいったい何をやっとるんだ、何を。
 何や知らんけど、もっぱら留守番役ばっかりに使われてな〜;;・゚・(ノ(,,ェ)`)・゚・。
     お主等が合戦場で華々しく馬を駆っとるというのに、儂は、儂は。(泣


 
【政治】38【戦闘】51【采配】57【智謀】49 という
三千世界の鴉を殺す様な情容赦の無い能力の輩を
留守番以外の何に使えというのだ、何に。






    l´  r'´ ̄` '''ー-‐、く , -─‐- 、.__  r''"´ ̄ ̄``≦_
   _| ./ ─- 、  u uV    , ,ィ 、 ≦l ,.ィィjノノl i 、 ミ
.   |rヾノ  i ̄r;`ヽァj,∠7  ,∠ノノハトNヘ「l / ̄ニゞノ_ハlゝ〃
    l〈r_ ij   ̄ " '{.ゞ'ィスi/ <´n`ー'rf;Yi、ソij ゙ー゚=゙ {セ7′
_r/^`ーl   , - 、._‐ノ v}r_ ij "" _ -フ''〈;ァl. u , - 、_-フ 〉
  lヽ   ::\. 〈ニ=;‐-/ ./!ー.l   /ー`ニ7vノ、ヽ. l_ ̄`/./
  | \ ::   ヽ`ー‐'// | : \ヾ三//l \: ヽニ´ィ、
  |  _\  ::  ̄∧\.  \:   ̄/| \ヽ /ヽ. ∠ .lヽ

 煽ったね・・・。
     親 父 に だ っ て 煽 ら れ た こ と は な い の に !
 それが甘ったれなんだっ!!
     煽られもせず一人前になった戦国武将が何処にいるものかっ この無能者奴がっ!
 二度も煽ったッ!?
 「ウラガン! あの茶釜をキシリア様に届けてくれよ! あれは、いいものだぁ!!」
 ってオイそこの腹黒、時間が欲しいんちゃうかったんかい、時間が。



<<1565年8月 三好家の戦略です。>>

伊勢国の北中部に位置する支城、伊勢亀山城イセ カメヤマジョウ。
かつてこの地を統治していた独立勢力・関盛信セキモリノブが三好家に帰参して以来、
同城は『鬼十河』十河一存ソゴウカズマサの率いる讃岐衆と、同城奪取を狙う
伊勢長島の一向一揆や伊勢の国司大名・北畠家の軍勢との数多の合戦が繰り返されてきた
三好家東部戦線における、文字通り最大の激戦区であった。
そして、この激戦区たる伊勢亀山城に先日、とある男達が新たに配置されることとなった。
誰であろう、かつて本願寺家の尖兵として三好家と名勝負を繰り広げてきた
本朝無双の鉄砲傭兵集団『雑賀衆』と、それを束ねる頭領・雑賀孫市その人であった。

 【雑賀孫市】サイカマゴイチ
     ・・・。
     讃岐守殿。・・・北畠家総領・北畠具教キタバタケトモノリ 率いる3000余の軍勢が
     伊勢大河内城イセ オオコウチジョウ より出陣、この城に向かっているとの報が入った・・・。

     あと、尾張清洲城オワリ キヨスジョウ から、前田利家マエダトシイエ 率いる
     軍勢2500余も出陣したようだ・・・。北伊勢の一向宗門徒衆が統治する
     長島願証寺ナガシマ ガンショウジ (長島城)を素通りて、軍を南下させている・・・。
     恐らく、この伊勢亀山城が攻撃目標だろう・・・。
 【十河一存】ソゴウカズマサ
     むぅ。遂に、東海道に勢力を張る織田家までもが北伊勢侵攻に乗り出したか。
     ここは篭城戦を以て迎え撃つべし。・・・讃岐衆よ、合戦の準備じゃ!
     北畠家、織田家との連戦は避けられぬ様じゃが、何の事は無いッ。
     どちらの軍も撃ち払えば済む事よ。皆の衆よ、貴様等の命はこの鬼十河が預かったぞ!



『鬼十河』の一喝の元、讃岐衆の男達はすぐに鏑矢をつがえ、目下に迫る織田軍に強弓を見舞った。
・・・しかし。今日ばかりは、戦場の主役は讃岐衆達では無かった。・・・『金棒』を得た、戦鬼の徒達。
前回は呆気なく讃岐衆に敗れ去った、あの男達の本領が発揮されたからである。
耳を劈く、天をも揺るがさんばかりの種子島の爆音が、悪鬼の咆哮の如く戦場じゅうに轟いた。

 【林通勝】ハヤシミチカツ
     ぐばっッ・・・。な、何たる銃弾の凄まじさかッ!!
     ここッ此れでは、城門に取り付き破城槌を振りかざす暇も無い・・・。
 【佐久間信盛】サクマノブモリ
     全軍怯むなーッ!!!
     種子島は、一度撃ったら次の銃弾を装填、発射出来るまでに時間が掛かるッ!!
     其の間隙を突いて討って出れば・・・ぐぉああぁッ!!!(具足の一部を銃弾が貫通、落馬。
 【前田利家】マエダトシイエ
     おのれ・・・鉄砲隊ずれが調子に乗りおってー!!!
     城内から討って出て来い!三好軍に、我らと槍を合わせんする剛の者は居らんのかッ。
     ・・・のわぁッ!!(同じく、兜の前立に銃弾が当たって落馬、部隊は壊走。)


 【雑賀孫市】サイカマゴイチ
     ・・・。

     ・・・十万億土の彼方にまで響き渡るこの種子島の銃声こそが、我らの名乗り。
     其が放つ、銃弾の鉄火雷雨こそが我らの剣戟・・・雑賀衆の侠気にして、凶器ッ・・・。

     ・・・遠からん者は音に聞け、阿鼻と叫喚が渦巻く八咫烏の咆哮を。
     近き者は、その身を以て知るがいい。・・・灼熱の銃弾が焦がす肉と血の匂いを。



結局、織田軍はろくに城門も攻撃できずに部隊の大半が壊走。
前田利家・林通勝といった有為の将は何とか撤退に成功するも、
長年織田家の家老職を務めた重臣である佐久間信盛や原田直政ハラダナオマサ、
信長の側近衆である黒母衣衆の一員・蜂屋頼隆ハチヤヨリタカ といった歴戦の武将達が
雑賀衆の銃弾に撃ち倒されて捕縛の身となり、次いで三好家への帰参を誓う仕儀となった。

翌々月(同年10月)には伊勢国司・北畠具教が率いる北畠軍が来襲するが
室町幕府より『天下一』の称号を得た剣豪・塚原ト伝ツカハラボクデン より皆伝を受けたという
具教の剣閃も、雑賀衆に届くことは無かった。
雑賀衆より銃弾のつるべ撃ちを見舞われた北畠軍は瓦解、具教はどうにか逃げ落ちたが
自身の実弟である木造具政コヅクリトモマサ が雑賀衆に捕縛され、三好家へ転仕されてしまう。

 【木造具政】コヅクリトモマサ
     兄者よ、悪いが儂は今日限りで北畠家を見限らせて貰うぞッ。
     どうやら、乱世は古き昔の栄誉にすがって生きる北畠家よりも、三好家を・・・。
     新しき世を切り開かんとする、長慶公を求めているようだッ。
 【北畠具教】キタバタケトモノリ
     なっ!!?・・・こ、この慮外者めがッ・・・貴様は、この兄を裏切るのかッ!!?
     南北朝の古より連綿と続く伊勢国司の名門、北畠顕家の末裔たる
     北畠家の歴史に泥を塗る気かッ?・・・具政、貴様というやつはーッ!!!  (;`・ω・)9゛

 【十河存保】ソゴウマサヤス
     讃岐衆槍部隊、出陣じゃぁあ!!!城門より討って出て、北畠軍を縦横に蹴散らすのだ!
     あれに喚いている北畠具教を討ち取った者は、恩賞は思いのままぞ!
 ぐぅむむむ!!!・・・致し方有るまい・・・全軍退却ぞ!
     大河内御所に退け、退けぇ〜い!!

かくして、雑賀衆の種子島は三好家に牙をむく敵対者達を完膚無きまでに撃ち滅ぼしてみせた。
その凄まじい迄の鉄火銃声は、古代日本神話において神武帝を大和に導いた様に
三好家を天下静謐に向かって導く、八咫烏の鳴動そのものであった。。



<<1565年10月 三好家の戦略です。>>

畿内八カ国を支配し、もはや旧室町幕府以上の権勢を掌中に収めていた長慶は
天下人たる地位を日ノ本全土に知らしめんと、禁裏に使者を発した。
近上帝・正親町天皇オオギマチテンノウ に、奈良天平の古に遥か西域より本朝に伝わり
聖武天皇が愛でた品々である『正倉院御物』ショウソウインギョブツ に列せらる本朝屈指の
秘宝・『蘭待』ランジャタイ の切り取りの勅許を得るべく、帝に奏上するためである。

そんな無謀な要求が通る筈が無い。成り上がり者の度過ぎたる愚考なり。と
世上の諸大名や大衆はこの奏上を嘲り笑ったが、
奏上を受けた正親町帝は観修寺晴豊カジュウジハレトヨ ら伝達の公卿を長慶に派遣し、
世間の予想を大幅に覆す『蘭奢待御下賜の勅許』を三好長慶に与える綸旨を伝えたのである。

こうして勅許を得た長慶は軍勢を引き連れて奈良東大寺に来訪し、
正倉院に収められ門外不出とされた蘭奢待を強引に居城へと持ち去るという
前代未聞、驚天動地の行動に出た。(イベント『蘭奢待拝領』)

この衝撃の事実に天下の人々は長慶の威光を恐れ、
各国の諸大名は、朝廷をも意のままにする長慶の権勢を憎んだのであった。
(イベント終了後、三好家の【威信】が100上昇、他大名家との【友好】が低下。)

【余談】長逸は「東山殿唯一人」と言っているが、現在蘭奢待にはこれを切り取った三人の名前の付箋が張り付いている。一人は足利義政、一人は織田信長、一人は明治天皇。なお、非公式ではあるが足利義満と足利義教も蘭奢待を切り取っているらしい。


 【武田信玄】タケダシンゲン
     な、何!禁裏が、長慶に蘭奢待切り取りの勅許を与えたじゃと!?
 【毛利元就】モウリモトナリ
     そ、それはいったい、どういうわけじゃ!信じられん・・・。
 【上杉謙信】ウエスギケンシン
     長慶め・・・。
     帝に圧力をかけるとは、何たる不敬ッ・・・!!

 【十河一存】ソゴウカズマサ
     ・・・とまぁ、こんな風に日ノ本各地の諸大名が青天の霹靂にも勝る
     仰天振りを見せているワケだが・・・義賢兄者よ、一つ聞きたい事がある。
     諸侯がこれほどまでに畏怖する【蘭奢待】とはいったい何なのだ?
     大量破兵器か?
 【三好義賢】ミヨシヨシカタ
     そんなもん持ってたら、我が三好家は
     ブから始まる何処ぞの国の戦争狂に攻めぼされてしまうわ。(汗
     まァ、某国は持って無かったのに滅ぼされたがな。(;´・ω・)旦~

     【蘭奢待】とは、伽羅の木の芯から切り出した沈香(ジンコウ。水より重い香木の意。)の一種で
     本来の名は『黄熟香』オウジュクコウ と云う。その黄熟香でも特に、
     奈良東大寺は正倉院に収められている聖武天皇の遺品・・・『正倉院御物』に含まれている
     長さ五尺、丸さ一尺ほどの黄熟香を指して言う代物だ。
     因みに【蘭奢待】という名前の由来は、まァ一種の言葉遊びって奴だナ。
     ちょいとした隠し文字があるンだ。じーっと見てりゃわかるだろ。( ´・ω・)っ【】ホレ
 ということは、・・・何だ。(・ω・´;)?
     香炉に放り込んで火をつけて、香りを愉しむ【香木】の事かッ。
     ・・・いくら帝の御物だったもんだっつても、たかが木切れ一欠片ではないか?
 【安宅冬康】アタギフユヤス
     うむ。だが、そんじょ其処らの香木とは訳謂われが違うのだ。
     【蘭奢待】は唐天竺まで聞こえた三国無双の名香でな。古来より
     王者が聞香するといわれたきた、いわば覇者の証とも呼べる逸品なのだ。
     そして、かつてこの【蘭奢待】の御下賜の勅許を朝廷に奏上し、
     見事にられた人物が二人居る。

     誰であろう、平家の総領にして武家出身初の太政大臣・公と
     鎌倉に初の武士政権『鎌倉幕府』を興した源氏の棟梁にして征夷大将軍・公だ。
 【三好長逸】ミヨシナガユキ
     御意。そして、人臣(ジンシン。皇族では無い天皇の家臣の意。)で【蘭奢待】切り取りの
     御下賜の勅許が得られたのは、戦国乱世より先では
     殿(ヒガシヤマドノ。室町幕府第八代将軍、足利政アシカガヨシマサ唯一人にござる。
 なるほど、な。・・・今回、見事【蘭奢待】拝領に成功した長慶兄者は
     言ってみれば、朝廷より『源平の頭領二人よりも上、征夷大将軍と同等。』
     見なされたも同然、という事になるのだな。
     ・・・だが、其れがどうしたと言われればそれまででは無いか?
 いやァ、そうでもないぞ。(´・ω・`)旦~
     【威信重視主義】や【威信絶対主義】者達には、朝廷に畏敬の念を抱くものや
     朴訥な勤皇家が多いものだ。其の様な彼奴等に、この手合いの威光権勢を
     否定出来る者など、そうそう居りはせんよ。・・・まァ、見てるがいいさ。
     【蘭奢待】拝領の効果は、翌月にも目に見えるだろうからなァ。(シャカシャカシャカ (*´・ω・)旦゛~
               


<<1565年11月 三好家の戦略です。>>

三好家が【蘭奢待】を拝領した翌月。・・・事態は、義賢の予想通り素早い展開を見せた。
先ず、北近江佐和山城 キタオウミ サワヤマジョウ を本拠とする独立勢力で、かつて南近江の六角家と
壮絶な鍔迫り合いを繰り広げた湖北の驍将・浅井アザイナガマサ が
安宅冬康の【取込】に応じて佐和山城を明け渡し、三好家に仕える旨の誓詞を差し出した。

また、同じく北近江今浜城キタオウミイマハマジョウを支配する独立勢力で
六角家の残党を率いていた蒲生定秀ガモウサダヒデまでもが
自ら門をを開いて三好家の傘下に入ることを宣言し、今浜城を明け渡したのだった。
主家である六角家を滅ぼされた蒲生定秀にとって三好家は【怨恨】を抱く
不倶戴天の関係であるはずだったが、【蘭奢待】の威光はそれすらも凌駕するものであった。

 北近江佐和山城立勢力  【浅井長政】アザイナガマサ
     かつて父祖が北近江に築いた浅井家を復興させたい気持ちもあるが、
     【蘭奢待】を得た三好家の勢いは本物だ・・・激流を制するのは、静水。
     流れに逆らうだけが戦いの全てでは無い。・・・時には、強者に従うことも必要であろう。
 北近江今浜城立勢力  【蒲生定秀】ガモウサダヒデ
     蒲生の家名を守るためには、強き者に従うのが良策かもしれん。
     だが、出来うることなら儂はかような生き方はしたくはない・・・。
     したくは、無かったのじゃが・・・。
     六角家より受けた御恩返しは・・・蒲生家の誇りと魂は、子と孫が伝えてくれよう・・。

かくして三好家は、一度の合戦も行う無く北近江のニ支城をその勢力化に置く事となり、
残すは若狭武田家が占拠している北近江の本城・小谷城オダニジョウを残すのみとなった。

一方、この報を受け、北近江支配に危惧感を持った若狭武田家総領・武田信豊タケダノブトヨ
(当然、典厩信繁の子とは別人。)は浅井家の遺臣で猛将と名高い遠藤直経エンドウナオツネ を総大将とする
2000余の軍勢を今浜城に派遣、その奪取を目論んだが
南近江に駐屯する三好義賢・安宅冬康連合軍がこの動きを見逃すはずも無く、
三好軍・若狭武田両軍は琵琶湖北岸で二度に渡る大規模合戦を展開。
結果は、激しい陣比べ合戦に打ち勝った三好軍に凱歌が揚がり
若狭武田家は、肝心要の北近江本城・小谷城を満足に守る兵すらも失い
北近江に置ける覇権を完全に失う羽目に陥ったのであった。



<<1566年1月 三好家の戦略です。>>

明けて永禄6年(1566年)。
朝廷よりの天下人お墨付きとも呼べる秘宝【蘭奢待】を得た三好家の権勢は
年が明けてもなお、留まることを知らなかった。

まずは、土佐安芸城に拠る独立勢力で、先日の三好家土佐侵入に動揺していた
安芸国虎が自ら城を開いて三好家に臣従を申し込んできた。
ついで3月には土佐国西部に位置する土佐中村城を支配する独立勢力・小島政章が
同城に詰める独立勢力である一条兼定を伴って中村城を開城し、三好家に降伏。
長慶の臣下に降る旨の誓詞を差し出した。

これにより、土佐国で三好家に抗う勢力は長宗我部家が支配する土佐岡豊城を残すのみとなり
三好家は全く流血沙汰になる事無く同城を北(先年三好家に属した土佐本山城トサ モトヤマジョウ)・西・東の
三方から包囲することに成功したのだった。

 土佐安芸城立勢力  【安芸国虎】アキクニトラ
     ・・・戦続きで人の心は荒みきっておる。
     そんな世の中だからこそ、儂は濁りに染まらず生きていたいと思うておった。
     ・・・だが、一族衆や民百姓に安寧をもたらすには
     天下人のお墨付きを得た三好家の威光にすがるのが一番、ということだのう・・・。
 土佐中村城立勢力  【小島政章】オジママサアキ
     うむ。藤原五摂家の裔たる一条家の血統を、土佐の小京都・中村を
     戦乱の兵火より守り抜くには、最早独立を捨てる他あるまいて。
     元親殿よ、悪いが儂等は先に白旗を振らせて貰うぞ。
 【長宗我部元親】チョウソカベモトチカ
     何!?・・・おんしら、本気でそんな事を言っておるのかッ!
     今、我等が膝を折れば、四国は三好家に蹂躙されるのだぞッ。
     おんしら、それでも土佐の大丈夫たる畏豪相か!!!・・・なめなやッ!
     誰ぞ、誰ぞあるか!


 【蜷川親長】ニナガワチカナガ
     は、お傍に控えておじゃりまする。
 おう、親長か!
     直ぐに、岡豊城下にある一領具足衆を集めよ。出陣の支度をいたせいッ。
     安芸国虎と合戦じゃ!土佐の武士の心意気、彼奴めに思い知らせてくれよう!
 な、何と申されまするか!
     安芸国虎は憎き輩なれど、今や彼奴は三好家に降伏した身。
     いま安芸城を囲むとあらば、三好家の援軍が至る事は必定におじゃりまする。
     そうなっては当家に勝ち目はおじゃりませぬぞ!
 えぇい、黙れ黙れッ!!
     安芸国虎と同じ天は戴かぬ!彼奴だけは絶対に許しては置かぬ!
     安芸城攻略の折には、そっ首を刎ね飛ばして晒し者にしてくれようぞ!
     親長よ、翌月には岡豊城より出陣出来る様手筈を整えよッ。よいなッ!


 【蜷川親長】ニナガワチカナガ
     ・・・鳥無き島の蝙蝠、か・・・(哄笑。 (´<_,` )
     元親殿には英雄の器有れど、所詮は茶釜の蓋だった様でおじゃりまするなぁ・・・。

     
     
・・・今宵は、ここまでにいたしとうございます。





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