公戦記 第八話 〜ちょうけいこうせんき だいはちわ〜

 

『明智十兵衛光秀、登場す。』

 

 


 

  ・・・さて、最近だんだん更新頻度が遅くなってきておる長慶公戦記なわけでござりまするが
    ようやく筆者が第八話を執筆し終えた次第。よって、視聴者の皆皆様にご提供仕る。
    ・・・何時までこんな暇なコーナー続ける気なのかね。視聴率があったら見てみたいもんだなあったく。 ( ゚д゚)y-~~)
 なんやら弾正の顔見るん久しぶりやなぁ思うたら、何とまぁ。
    前回は、本編に弾正の出番が無かったんやなぁ。諸行無常よのう。(´・ω・`)
 ・・・弾正殿ッ・・・。・・・こっちへ、おいでよぉ。 あなたの知らない世界|゜Д。)ノ゛
 ・・・。聞こえないフリ、聞こえないフリ。 ( ゚д゚)y-~~)
     ・・・普段ならば、ここで三好三人衆による三文喜劇が執り行われる処ではござりまするが、
     たまにはこの紙面を有益に利用し、視聴者の皆様の後学にと思う次第にござりまする。

     ・・・今回は、"戦国時代用講座@"と云う事で
     『返りカエリチュウ という言葉について説明いたしまする。・・・どうか、御静聴の程を。
    なんで儂がこんな七面倒臭い与太話をせねばならんのじゃ。・・・他に適任者が居るだろうに。 ( ゚д゚)y-~~)
 ほー。あんま耳慣れん言葉じゃなぁ。これは是非聞いとこうかのー。
     ・・・って儂らが毎回やっとる新喜劇は有益ちゃうっちゅうんか!Σ(゚ー゚;≡;゚Д゚)
 ・・・。あれの何処が有意義なのか句読点含んで一文字以内で説明してみやがれッ。 ( ゚д゚)y-~~)
     返り忠というのは、要するに寝返りの事でござりまする。
     昨日威勢を誇った勢力が今日滅び、今日栄えた城砦が明日は兵火に焼き討たれる
     戦国乱世とは本来、主君に忠を尽くして御家を滅ぼす者は先見の明無い愚か者と
     蔑まれた時代でござりまする。日ノ本六十余州の諸豪族や大名達は、
     今日をしのぎ明日を生き延びる為に、裏切りを繰り返したのでござる。

     そして、この返り忠とは敵対者から裏切って自分の下にやってきた武将達に
     掛けてやる最初の賞賛の言葉なのでござりまする。
     …"よくぞ裏切ってくれた!!"と云われると、痛くも無い腹も痛もうと云うもの。
     そこで、"よくぞ返り忠してくれた!!"、このように用いるのでござります。
 成るほどなぁ。無骨に見えても、此処は矢張り日ノ本という事かッ。
     言葉一つ取っても、色々と言い様があるもんやなぁ。
 戦国武士は『七度主君を変えねば一人前とは言えない。』などとも言うしのう。
小田原北条家の宿老。豊臣秀吉の小田原征伐の際に豊臣方に寝返り、小田原城までの道案内役を買って出るが、戦後その行為を秀吉に咎められ切腹した。…なお、鐙があったなら前田慶次に勝ってたとかゆってるやつは(・∀・)カエレ! 【大道寺政繁】ダイドウジマサシゲ
     だが、これをやると新しい主君にマークされるという諸刃の剣。
甲斐武田家の親族衆。織田家に敗れ没落する武田家に最後まで尽くすが、土壇場になって武田勝頼を裏切って自刃に追い込む。しかし、戦後そのことを織田信長に咎められて切腹した。上記の理由から山梨県ではとても嫌われているそうだが、厳密に言うと信茂にとって勝頼は主君ではなく同盟者である。 【小山田信茂】オヤマダノブシゲ
     うむ。素人にはお勧め出来ないな。
若狭武田家総領。朝倉家に敗れて没落し、織田家家臣となるが本能寺の変で復帰を目指して明智光秀側に加担。しかし山崎合戦で今度はその明智家が没落し、元明も羽柴秀吉に殺害された。…なお、同じく明智側に加担した京極高次は何故か命を助けられた。嫁が信長の姪だった為かららしい。 【武田元明】タケダモトアキ
      まあお前ら返り忠のド素人は、良家の嫁でも貰ってなさいってこった。

 返り忠にしくじって命と御家が無くなった奴輩はすっこんでおれ。
     連中が何処の誰だか判らない無学な輩は、顔グラフィックにマウスカーソルを重ねるが良い。
     …ただし、ブラウザがIEで無い場合は何も表示されんやもしれん。そういう輩は諦めろ。解決策?儂は知らん。
( ゚д゚)y-~~)

石見国国人衆。尼子家に仕えて大森銀山を統治下に治める山吹城を守備し、何度も毛利元就軍を撃退した剛勇の士。後に所領加増を条件に毛利家に下ったが、武勇を誇り傲慢であったため元就に暗殺される。一族衆も後に誅戮された。 【本城常光】ホンジョウツネミツ
     ふん。かくいう貴様も、寝返りに失敗して城ごと吹き飛んでしまったではないか。

 ・・・一緒に、するでない。

 な、何をッ・・・!!


 儂は貴様らの様に、命惜しさに、家名を永らえる為に
 窮々と、場当たり次第に裏切りを繰り返したのではない。

 自分のやりたい様に、己が欲望と我執のままに裏切ったのだ!
 故に、一片の後悔の念も迷いの曇りも無いッ!!

          貴様らと一緒だと?ハッ、笑わせよるわ。うぬらの輩と儂では違うッ!

          思が違う!

            踏んだ数が違うッ!!
          捻り具合が違うッ!!!( ゚д゚)y-~~




弾正、後で校舎裏に来い。


 校舎裏・・・伝説の樹の下?
 ・・・大道寺政繁はぎゃるゲーオタ、と。(カキカキ

 ・・・しまった!気がつけば儂らの見せ場無しッ!!!

 壁|ω・`) ←場に入り損ねたヒト。


<<1566年2月 三好家の戦略です。>>

濃尾平野に、長かった冬の終わりを告げる暖かな風が吹き始めた新春。
伊勢亀山城イセ カメヤマジョウ に駐屯する讃岐衆の総領にして
北伊勢戦線の総大将である長慶の四弟・十河一存ソゴウカズマサのもとに
驚くべき朗報を書き記した密書を携えた使者が駆け込んできた。
加賀国に本拠を移した一向宗門徒衆達の畿内最後の拠点で、伊勢国の北辺に位置する
長島願証寺ナガシマガンショウジ(長島城ナガシマジョウ)の城主・明智光秀アケチミツヒデ が
何と、本願寺家を見限って城ごと三好家に寝返ってきたというのである。
顕如は勿論の事、これは長慶や一存達にとっても、当に晴天の霹靂であった・・・。

 【十河一存】ソゴウカズマサ
     ・・・しかし、驚いたものだ。
     本願寺家に仕官すること六年目、顕如の信頼厚い重鎮にして、
     長島願証寺の住職である証恵(ショウケイ。本願寺一門の長老。) より長島城を預かっておった
     あの明智光秀が、よもやその地位をかなぐり捨てて、拠点ごと当家に寝返るとはのう・・・。
 【雑賀孫市】サイカマゴイチ
     ・・・離合集散は、戦乱の世の習いにござる・・・。
     それに、明智殿とは・・・本願寺に厄介になっていた時分に何度か顔を合わせたが
     一流の文化人であり、その才明晰にして深慮・・・なかなか複雑な御仁だった・・・。
     顕如上人が声高に唱える『御仏による戦乱の世の救済』とやらに、
     何か含むものが、あったのやも知れぬ・・・。
 讃岐守様、長島城城主・明智光秀様がご挨拶に参られました。
 ・・・うむ。直ぐにこちらにお通しいたせ。くれぐれも丁重にな。



 【明智光秀】 アケチミツヒデ 以降は

 明智十兵衛光秀にござりまする。
 ・・・この度は、長慶公の格別の御慈悲にすがるべく、
 恥ずかしながらも罷り越しましたる次第・・・。


 かくなる上はこの不肖光秀、微力ながらも長慶公の天下静謐の御手伝いをすべく
     誠心誠意、働かせて頂く所存。・・・以後、お引き廻しの程を・・・。

     此れは、拙者がもはや顕如に示す忠誠が無い事と長慶公に二心の無き事を誓った
     起請文にござる。裏面にある熊野牛王法印に誓って申し上げまする。
     また、これは拙者に同心して共に長慶公に降った一揆衆の頭目達の起請文にござる。
     併せて、お納め下さりませ。
 ・・・うむ。三好家への返り忠、大儀である。
     以降は長慶兄者からの特別な指図が無い内は、北伊勢方面軍総大将である
     俺の麾下に属して貰う。・・・だが、長島城の統治に関しては今まで通り光秀殿の
     裁量に任せようぞ。貴公には、関盛信セキモリノブら寄騎四将と
     幾ばくかの軍需物資を預ける。これを用いて、至急長島城の守りを固めてくれ。
 御意にござりまする。
     しからば、長島城の【改修】と、この伊勢亀山城まで【街道】を建造する事を
     お許し頂きとうござる。今のままでは、織田家に強襲された際に城を守り抜けず、
     危急存亡の折に讃岐守殿の援軍も届きませぬ故。
 ・・・う、うむ。本願寺にその人ありと讃えられた貴公の手腕、しかと見届けようぞ。
     ・・・んー。噂通り抜かりの無い男と言うか治世の能臣というか。何とも御し難い男よな。(;´・ω・))
 ・・・。
     ・・・完璧主義者で名高いあの織田信長が、切れ者過ぎて嫌ったという位の男だからな。
      合戦場に命を賭する戦さ人である我等とは、また違った部類の刃を持っている・・・。)
     


 では、今申し上げた作業に早速取り掛かりまする。
     しからば御免・・・ん?この場を撮影していたカメラに気がつき、後ろを振り向く。
 ・・・?。
     ・・・明智殿、いかがなされた?
    ・・・讃岐守殿。・・・何やら厭な予感がするのだが、拙者の気のせいであろうか。(滝汗))
 な、何か他にも存念があるならば、遠慮なく言上されよ。
     ま、まさか。相手は天下の明智光秀だぞ。ここでボケるのは三好三人衆のポジションだ。ill (;´・ω・) lli)






全国の女子高校生のみなすぁーん!!!!。
拙者が明智十兵衛だボヨヨ〜〜ンッ。
    (真顔のままカメラ目線で、力の限り絶叫。右の鼻腔より、少し洟が出ている。)



         ナ ゝ   ナ ゝ /    十_"    ー;=‐         |! |!
         cト    cト /^、_ノ  | 、.__ つ  (.__    ̄ ̄ ̄ ̄   ・ ・

ミミ:::;,!      u       `゙"~´   ヾ彡::l/VvVw、 ,yvヾNヽ  ゞヾ
ミ::::;/   ゙̄`ー-.、     u  ;,,;   j   ヾk'! ' l / 'レ ^ヽヘ\   ,r゙ゞ゙
ミ/    J   ゙`ー、   " ;, ;;; ,;; ゙  u ヾi    ,,./ , ,、ヾヾ   | '
'"       _,,.. -─ゝ.、   ;, " ;;   _,,..._ゞイ__//〃 i.! ilヾゞヽ  | 、
  j    /   ,.- 、  ヾヽ、 ;; ;; _,-<  //_,,\' "' !| :l ゙i !_,,ヽ.l 
      :    ' ・丿   ̄≠Ξイ´,-、 ヽ /イ´ r. `ー-'メ ,.-´、  i
       \_    _,,......::   ´゙i、 `¨ / i ヽ.__,,... '  u ゙l´.i・j.冫,イ゙l
   u      ̄ ̄  彡"   、ヾ ̄``ミ::.l  u   j  i、`ー' .i /
              u      `ヽ  ゙:l   ,.::- 、,, ,. ノ ゙ u !
           _,,..,,_    ,.ィ、  /   |  /__   ``- 、_    l
  ゙   u  ,./´ "  ``- 、_J r'´  u 丿 .l,... `ー一''/   ノ
        ./__        ー7    /、 l   '゙ ヽ/  ,. '"  
       /;;;''"  ̄ ̄ ───/  ゙  ,::'  \ヾニ==='"/ `- 、   
、      .i:⌒`─-、_,....    l   /     `ー┬一'      ヽ
ヾヽ     l      `  `ヽ、 l  ./  ヽ      l         )

 ・・・一度、『信長に振り回される生真面目な苦労人』という
     自分のイメージを、完膚無きまでに破壊したかった。
     むしゃくしゃしてやった。
     相手は誰でも良かった。今は反省している。
 ・・・絶対、そのキャラは間違っている。・・・間違っているぞ、明智殿・・・。
     眉間に指を添えて、ただただ顔を振っている。




<<1566年3月 三好家の戦略です。>>

朝廷より天下人のお墨付きとも言える【蘭奢待】を得、その威光に近隣の小豪族が平伏する姿を
目の当たりにした長慶は、この機に乗じて三好義賢を総大将とする北近江平定軍6000余を編成。
まるで錦の御旗を得たかの如く士気揚々の三好軍は、瞬く間に
若狭武田家領・北近江小谷城キタオウミ オダニジョウ を併呑。
猛将遠藤直経エンドウナオツネ・粟屋勝久アワヤカツヒサらを帰順させ、武田元明タケダモトアキを若狭に追放。
これを以て、長慶は目標としていた近江国統一を無事に達成した。

しかし。小谷城で勝利の美酒に酔う三好家の面々に、寝耳に水の報を携えた伝令が飛び込んできた。
先日、城主安芸国虎が帰属することで無血略取した土佐安芸城トサ アキジョウ に、
長宗我部元親率いる2200余の軍勢が襲来したというのである。
これに対して安芸城の守備兵は1500余と少なく、城将は安芸国虎アキクニトラただ一人。
国虎は援軍要請の伝令を長慶に向けて発したが、長慶がこの報に気づいたのは
何と、三好家の重鎮達を城から出撃させた後だったのである。

行動済み】となってしまった義賢・冬康は直ぐには援軍に向かえない。
そこで長慶は、家中の中堅部将である甥の十河存保ソゴウマサヤスら五将を安芸城に派遣、
安芸城を死守するべし、と檄を飛ばしたのであった─。

 【三好長慶】ミヨシナガヨシ
     ぬうッ…推参なり、長宗我部元親!
     義賢や冬康ら主だった諸将達を行動させ終わった後になって
     長宗我部家出陣を知らされるとは思わなかったわい。
     存保らは必勝を誓って意気揚々と出陣していったが、果たして
     長宗我部元親軍を撃ち払う事が出来るであろうかのう…。(;´・ω・)
 【三好真琴】ミヨシマコト
     御館様、ご心配には及びませんわ。
     長宗我部家には、既に手を施してありますユエ。(*^ー^)b

 【岩成友通】イワナリトモミチ
     ん?…するっちゅうとアレかいな。もう長宗我部家には何か策略が?
 土佐安芸城より伝令!十河存保軍、長宗我部家を撃退いたしました!
     長宗我部軍は裏切りにより浮き足立った処を讃岐衆の猛反撃に壊走した次第。

  我部軍武将 【蜷川親長】ニナガワチカナガ
     ふほほほほほ!絶好の機会が到来したでおじゃる!
     皆の者よっく聞けぃ。今より、麿の主は三好長慶殿におじゃるぞ!!
  我部軍総大将 【長宗我部元親】チョウソカベモトチカ
     何、蜷川親長隊が我が軍に槍衾で突っ込んで来たじゃたとぉッ!?
     おのれ親長!…貴様、三好家に通じておったのか!
     許さん、許さんぜよお──(#゚Д゚)──ッ!!!

  【海部友光】カイフトモミツ
     若大将!何だか知りやせんが、長宗我部軍の本陣が浮き足立っておりやす!
     ここは一気に討って出るまたと無い好機ですぜッ!!!
  【十河存保】ソゴウマサヤス
     う、うむ。何ゆえ蜷川隊が当家に鞍替えしたのかは知らぬが、恐らく真琴姐の謀であろう。
     …讃岐衆全部隊に伝令ッ、兵装を【】から【】に持ち替え、突撃の備えに掛かれ!!
     城外に出撃し、長宗我部軍を殲滅すべしッ。…すわ、我に続けぇぇーーい!!!



 長宗我部軍は大名の元親を大将に、先陣を次弟の香宗我部親泰コウソカベチカヤス が、
     後詰を三弟・吉良親貞キラチカサダ が勤める必勝の布陣を敷きながらの大敗ッ。
     存保様は『もはや長宗我部元親は恐るるに足らず、今こそ彼奴を滅ぼす好機!』と
     御館様に言上仕る次第との事でござるッ。
 【三好義賢】ミヨシヨシカタ
     うむ、俺もそう思うぞ長慶兄ぃ。長宗我部家は連戦に継ぐ連戦で、大きく疲弊している。
     伊予の河野家は三好家と争う気は無いようだし、我らの故郷・阿波を兵火から守る為にも
     ここで一気に、あの小賢しい無鳥島の蝙蝠を打ち滅ぼすべきじゃァないかね。(シャカシャカシャカ
 【三好長慶】ミヨシナガヨシ
     義賢・存保の言いや良し。目標としていた近江国切り取りも達成を見た処だ、丁度良かろう。
     されば、三好家の次の攻撃目標は長宗我部家の居城・土佐岡豊城トサ オコウジョウ 攻略とする。
     ・・・とは言え、もはや長宗我部家の兵力は疲弊の極みであり、さしたる策も無用であろう・・・。

     義賢・冬康は土佐本山城トサ モトヤマジョウ に向かい、土佐平定軍を編成し
     速やかに岡豊城を攻略せよ。陣立てや出撃兵力はその方らの裁量に任せる。
     十河一存ら讃岐衆は引き続き伊勢亀山城を堅守し、土佐の平定終了を待つべし。
     長逸・政康には北近江小谷城キタオウミ オダニジョウ を任せる。荒廃した小谷城下を復興させつつ、
     近隣からの襲撃に備え軍備を固めよ。

     では、今日の評定はこれまでとする。各自、忠勤に励むように。
 合点だ長慶兄ぃ。元親めをふん縛ってここに連れて来るから、待っててくれョ。

 御館様〜;;絶妙の機転で策略が成功したと思われませぬか〜ッ。
     存保殿の奮戦もさる事ながら、土佐安芸城を見事ないすセーブですの。(*´・ω・) ジー

 (・ω・`;)・・・。
 ・・・恵まれない謀略家娘に、愛の手をっ。 (っ´;ω;)っウルウル
 だぁッ。分かった分かった。分かったから、そんな目で儂を見るな。
     真琴よ、そなたに位下 式部大輔 ショウゴイノゲ シキブダイフ の官位を授く。
     追って朝廷より正親町帝からの伝達の使者が参るであろう。
 有難く拝命いたします〜。三好式部大輔真琴に昇格〜。
     これで、松永弾正に張り合える肩書きは出来た〜。にゃはは〜。 (* >ヮ<)ノ Yeah!

 【松永久秀】マツナガヒサヒデ
     ・・・御館様は、まだ長宗我部家に対する攻略の命を出されておられなかったのでござりまするぞ。
     重大な評定違反である先駆けを誇られる様な事は・・・いや、何も申しますまい。
     ・・・いちいち癇に触る小娘だ。儂が三好家を掌中に収めた折には、真っ先に喰い散らかしてやるぞボルァ。 (#゚皿゚)y-~~)



<<1566年4月 三好家の戦略です。>>

摂津高槻城。──
周囲を三好家領に取り囲まれた状況にあるこの支城の城主は、足利義輝 アシカガヨシテル 。
かつての室町幕府第十三代将軍であり、幕府の復興を目論んで三好長慶と対立。
数多の合戦・謀略戦を繰り広げた名将であったが、1562年4月に室町御所を失陥し幕府は壊滅。
以来義輝は高槻城にて独立勢力として活動してきたが、
近年破竹の勢いが目覚しい三好家の威信がもはや揺るぎ無い事を悟り、苦悩の末
遂に降伏を決断。高槻城を明け渡し、長慶に誓紙を差し出してきた。
旧室町政権は、領袖であった義輝の三好家帰属により名実共に壊滅を迎えた。


しかし、同じく高槻城に独立勢力として詰めていた義輝の弟・足利義昭 アシカガヨシアキ は
これを不服とし三好家への帰属を拒否。城から退去して浪人武将となった。

長慶は義昭の政智の才を惜しみ、臣下に下るよう
再三に渡って使者を遣わしたが義昭はこの要請を全て一蹴。西国に向かって落ち延びていった。

 ようやく、我が三好家に屈する気になったか・・・義輝殿。
     ・・・貴殿には「高槻公方」の尊称と、高槻城を「高槻御所」と称する事を許す。
     だが、以降は政に関る事、京に戻る事は罷りならぬ。宜しいですな?
 【足利義輝】アシカガヨシテル
     な、何と惨いッ。余は、京洛に戻ること叶わぬと言うのか。。
     いや・・・それが、前将軍に対する管領代殿の最大の温情、という事なのか・・・。
     余はつくづく、貴殿という男を読み誤っておったのやもしれん・・・。壁|ノωT)・∴。オーイオイオイ
 ふ。・・・歴史上でも、私は貴殿に暗殺までされかかったが
     とうとう貴殿を廃位する事も弑逆する事も無かった。ただ、それだけの事だ。
     誰ぞある。義輝殿を高槻御所までお送り致せ。
 【三好義継】ミヨシヨシツグ
     ・・・。(御館様、義輝殿は刀剣『童子切』ドウジギリヤスツナ や『国綱』オニマルクニツナ 、
     東山名物茶器『青磁馬』セイジバコウハン といった一等級の家宝を多数所持しておりまする。
     これ等を没収し優秀な家臣に下げ渡せば、御家の為になるかと・・・。)
 ・・・義継よ。お前には主君の心がわからぬのか。(`・ω・´)シャキーン
     儂が何のために、幕府滅亡後三年もの義輝殿の高槻城に兵を向けなかったと思うか。
     ・・・そういった前公方を蔑ろにする愚考は、儂の目の黒いうちは許さぬ。

     次にそんな事を申してみよ、貴様との養嗣子の縁を断ち切るぞッ!!!(怒
 は、ははぁッ;で、出過ぎた口を利き申し訳ござりませぬッ!! ガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブル
 義輝殿、高槻御所まで御見送り致しまする。ささ、どうぞ此方へ。
     ・・・つくづく馬鹿じゃのう、義継殿は。要は、長慶の目が黒くなくなってからやったらいいのだろうが。
     長慶は歴史上の没年をもう2年も過ぎている。・・・儂の時代は、もうすぐ其処まで来ておるわ。ククククク・・・
( ゚ー゚)y-~~)




     
・・・今宵は、ここまでにいたしとうございます。





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