天下人を撃て!! - 雑賀孫一と雑賀・根来衆 - 【中編】
■【前回のあらすじ】 今をときめく大河ドラマ『江』の主人公・江姫の父親達…浅井長政を滋賀に、柴田勝家を福井に訪ねる企画だった『江姫が愛した父親達 〜浅井長政・柴田勝家慕情録』。 しかし、それは急な寒波による降雪・積雪によって遮られてしまう。時間が刻一刻と過ぎていく中、急遽計画として立案されたのが緯度的に見て徳島に近く、ある程度の暖気が期待される和歌山県…そして、その歴史が生んだ伝説の鉄砲傭兵・雑賀孫一をめぐる紀行企画。 ほぼ日帰り旅行に等しいという、時間との戦いの様な企画を実行に移した筆者だったが…どんより鉛色の曇り空は遂に、淡路島上空で雪の結晶を発生させてしまう…。 【平成23年1月8日 PM4:30頃 神戸淡路鳴門自動車道上】 ■…遂に、恐れていた事態が発生…しかも、それは淡路島で。 フロントガラスに降り落ちる雪はサラサラとした粉雪でしたが、高速道路上の車窓外に舞い散る白いそれは、いやがおうにも不安を増幅させます。 実は周防長門、結局今回の企画にチェーンとスタッドレスタイヤを調達出来なかったのです。 よって、今回の和歌山旅行で最も避けたかったのは『少なくとも往路では、降雪・積雪・路面凍結などに出くわさないこと』。 『雪に降られたかー…。 ここで一旦帰るべきなのか、それとも行ける所まで行ってみるべきか…』 色々な思案や葛藤もありましたが… 雪模様があまり強くないことから…このまま高速道路を降りずに、行ける所まで行ってみよう。と腹を決め、腰を据え直しました。 右手の車窓、運転席側から見える東の空は真っ暗で、降雪の気配がありありと感じられたのですが… それでも突き進んだ、結果…―。 【平成23年1月8日 PM7:00頃 阪和自動車道・岸和田SA】 ■スリップと降雪に怯える黒いステップワゴンは兵庫・大阪と高速道路をしゃにむにに駆け抜け、阪和自動車道へ。 事前に休憩地点と定めていた岸和田SAへ、無事にたどりつくことが出来ました。 降雪を恐れるあまり、ここまでほぼ休憩なしのノンストップでひた走って来たため、喉の乾きはもちろん、空腹感も限界。 岸和田サービスエリアをきらびやかに彩る露天店舗の群れが、やけに神々しく見えますが… 量と単価が釣り合わない露店食は避け、ギリギリ営業時間だった食事コーナーへ。 豚の生姜焼き定食。 別に大阪名物でも和歌山名物でもありませんが… 今は郷土料理に挑戦するよりHPの回復が先だ、というのが心底から思ったことでした。 おおよそ旅行ライターの端くれらしからぬことですが…まぁ、これでワンコインなのですから価格的にもお腹の満足度的にも御の字。やっと、一息いれることが出来ました…。 ですが、今日の予定はここで終わったわけではありません。 やっとのことで出来た休憩もそこそこに、またステップワゴンに乗り込みます…。 【名称】阪和自動車道・岸和田S.A 【住所】大阪府岸和田市内畑町(上り・下り。) [Ь0724-79-1395 【ホームページ】http://www.w-holdings.co.jp/sapa/index.php?institution_id=2093 (Nexco) 【アクセス】阪和自動車道上下線をどうぞ。 【駐車場】あり/無料。大型38小型130二輪8 【入場料】無料 【平成23年1月8日 PM7:00頃 和歌山県和歌山市・山吹温泉】 ■今回の旅は御覧の通りの突貫旅行、当然ながら今夜の宿が確保できたはずがありませんし…元より車中泊の予定。 そうなると、今日いちにちの疲れを癒すための入浴手段を考えなくてはいけません。そこで、今回も銭湯を利用することにしました。 今夜のお風呂は和歌山市内の銭湯・山吹温泉です。 ■まだ正月休みで店舗を閉めていることが多かった市内の銭湯でしたが、こちらは頑張っていました。 企画『長宗我部元親』のときに利用した古い情緒のある銭湯とは違い、こちらは一般的な街の銭湯です。 脱衣所を抜けて浴室に入ると、普通の浴槽に泡のお風呂、電気風呂に薬湯、そしてサウナ室と水風呂。 なるほど、ここまで揃えば家のお風呂を差し置いて通いたくもなります。 なかなかに快適なお風呂でした。 【名称】山吹温泉(やまぶきおんせん) 【住所】和歌山県和歌山市山吹丁40 [Ь073-423-3991 【アクセス】和歌山市駅 徒歩12分 http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&biw=865&bih=565&q=%E5%B1%B1%E5%90%B9%E6%B8%A9%E6%B3%89%20%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl も参照のこと。 【駐車場】あり/無料、三台分。 【入浴料】大人420円/和歌山県の銭湯は420円で一律設定されている。 脱衣所で服を着て、お風呂の余熱が残っているうちに珈琲牛乳。 今の日本人が忘れかけている至福のひと時…そして、これで本日の日程全部が終了したことになります。 【平成23年1月8日 PM9:00頃 和歌山県和歌山市・根来寺周辺】 本当なら、もっと遅い時刻まで就寝せず、車内で暇を潰すなりTVを視聴するなりしたいところですが…何せ明日は今日よりもっと過密スケジュール、前日の疲れは極力明日には持ち越したくありません。 さっさと明日一番の目的地・根来寺付近へと移動し…そのまま駐車場での車中泊を決め込むことにしました。 冬の寒さが深深と車両内に染み込んで来ますが、冬布団をこれでもかと搭載した後部座席は多少の寒気には耐えますし、足元と枕元付近に二枚づつ貼り付けたカイロが暖気を起こし、安眠に役立ちます。 …明日は朝8時半起床予定。 携帯に目覚ましアラームをセットし、眠りに落ちることにしました…。 ■1543年、大隅国(現鹿児島県東部)種子島に一隻の難破船が漂着した。 ポルトガル人二名と通訳の中国人を乗せたこの船には、のちに戦国時代を震撼させることになる新兵器が搭載されていた。 種子島の領主だった種子島家の若殿・種子島時尭(たねがしま-ときたか)はその新兵器に興味を示した。 『なんじゃ、そのほうらが大事に抱えている鉄の筒は?』 武器だ、と教えられた時尭、ますます興味津々。 ポルトガル人にその武器使用法実演を命じたのだが…一見するとただの鉄の筒にしか見えなかったそれが、すさまじい爆音を発し、標的を粉砕。 その破壊力は、日本のあらゆる武器を凌駕するものだった。 『やっべえ、超すげえ!!二挺とも買うぞ。いくらだッ!?! 』 驚いた種子島時尭はただちに莫大な金額…現在の貨幣価値で数千億円という巨費を投じてその武器を買い取り、家臣たちに機構解明と複製を命じた。 もとから器用で勤勉な民族で天性のクリエイターである日本人。いろいろと紆余曲折はあったが、やがてその新兵器のメイド・イン・ジャパンを達成。 種子島時尭は献上されたその新兵器で特訓し、やがて本邦でもNo.1の専門家となった。 そして、噂を聞きつけた数多くの者達には惜し気もなくその奥義について伝授する。 種子島時尭、随分と気前の良い人物だったようである。 そんな種子島時尭先生の教え子の一人に、津田算長(つだ-????)という男が居た。 読み仮名が未だによく判っていないため、「サンチョウ」さんなのか「カズナガ」さんなのかはっきりしないが、何せ熱意のある生徒だったようで…。 時尭先生から新兵器の撃ち方から製造方法の虎の巻まで、全てを完璧にマスターするまで種子島を離れなかったというから、実に大した勤勉振りである。 やがて新兵器の真髄までも理解した算長は種子島を去り、南海航路を東へ。そのまま、故郷へと向かった。 彼が向かった先は、紀伊国(現和歌山県)根来。 そして、彼がその肩に担いで帰った新兵器…種子島でノウハウを完璧にマスターしたという究極の兵器こそが、伝来地の名を取って、通称『種子島』… 後にその破壊力で戦国大名を震撼させ、信長や秀吉が戦国時代を終わらせる最大の原動力となった、火縄銃そのものである…。 ■【平成23年1月8日 AM8:50】 …と、いうことで…伝来した火縄銃を近畿各地、織田信長や豊臣秀吉の手に頒布するきっかけとなった根来寺に到着です。 妙に早い時間帯なのは、前日の夜に和歌山県入りした為。 本来は7日・8日の二日を掛けて巡る予定だったのですが、計画不足と不意な積雪のため敢え無く頓挫してしまい…。 今回は、場所こそ和歌山県ですが歴史散歩の色合いが濃くなりそうです。 さて、今回も優秀なカーナビ君に導かれるまま阪神高速道路、阪和道を経て和歌山県に入り、根来寺に到着したのですが…どうもうちの子は、根来寺へと案内はしてくれましたが、正面からではなく本堂へと直接に案内してくれたようです(後になって判ったことですが…)。 ――…ですので、見学コースはいきなり根来寺の中枢部。 浄土池。池の向こう側に見えるのが、根来寺の本堂です。 根来寺は1132年(長承元年)、高野山の僧だった興教大師(こうきょう-だいし)が鳥羽上皇の院宣を得、高野山にその根本が開かれました。 厳格で真言宗真理主義者だった興教大師、さっそく高野山金剛峯寺の改革を行おうとしたのですが…。 反発した僧たちによって焼き討ちに会い、御山を下向したことに発祥するという由緒正しき古刹が根来寺です。 その後、時代時代の権力者たちから厚い信仰を受けた根来寺、室町時代末期〜戦国時代には寺領七十二万石、僧兵一万人を擁するという一大宗教都市に発展しました。 石高七十二万石というと、下手な戦国大名を優に上回る一大勢力です。 武田信玄や上杉謙信ら有力な戦国大名家でも、そんなに裕福じゃありません。 その財力があったからこそ、津田算長の持ち帰った鉄炮技術を応用し、多量の火縄銃を所蔵することが出来たのでしょう。 そんな過去の裕福さを物語るのが、寺にしては広すぎるという事実。 とにもかくにも根来寺の敷地というのはだだっぴろい!! 当初、滞在時間は一時間半を想定していましたが…。 歩いても歩いても、見学出来る寺院や塔頭・神社を巡りきることが出来ません。 広大な境内のあちこちに鎮座する木彫りの人形。いったい何なんでしょう。 だるまさん、のようです。…真言宗と何か関係があるんでしょうか? 根来寺の本堂。この奥に、有料で拝観出来る庭園(国の名勝)があります。 本坊奥に広がる国の名勝・根来寺庭園です。 京都や奈良の古刹に見るような、観光客向けのきらびやかで優雅な庭園とは違い、質素です。 かつては、戦国大名並みの地盤と火縄銃を熟知した僧兵たち一万を擁した根来寺のこと、庭園もどことなく武士っぽい誇りのような雰囲気がします。 本堂に居並ぶだるまさん、さっきも小さいのをいくつか見学しましたが…。 すぐ近くにある売店で発見。どうやら、おみくじの入った器だったようです。 おみくじ運の悪さには定評のある(何だそれ)筆者もひとつ買ってみましたが、『中吉』とありました。 …そんな良いのを引くなんて珍しい。 売店のおばさんが『良い卦が出たら、木の枝にくくらずに持って帰るといいですよ。』とお話してくれました。そういうものなのかなと思い、だるまさんともどもMyすてっぷわごんへ持ち帰ることにしました。 敷地内を流れる小川沿いにある『もみじ谷公園』。 公園と銘打っていますが、ここも立派に根来寺の境内です。 もっとも、季節は一月。 紅葉の季節はとっくに終わっていますが…川べりに落ちたもみじの葉の量を見れば、さぞかし綺麗な紅葉が見られたのでしょう。 歩いて境内を巡るのはいろいろと限界があったため、駐車場を移動すると…やけに人に慣れた猫の群れを発見。 夏目漱石が来たこともあるそうですし、根来寺っていう寺号と相性が良いんでしょうか。 毛並みがうちの子たちと似てますが、どの子も揃って顔が小さくて… なんだか、モデルさんみたいです。 さて、色々と境内を巡りますが…とにかく、僧堂や塔頭は数多くあっても…残念ながら、今回の目当てである戦国時代に関する史跡はあまり見受けられません。 実はこの根来寺、かの織田信長とは犬猿の仲。 織田信長は何度か火縄銃でケガをしていますが、そのうちの一回に杉谷善住坊(すぎたに-ぜんじゅうぼう)という鉄炮の名手に狙撃された事件がありますが、この杉谷善住坊を輩出したのがこの根来寺。 怒った織田信長は雑賀・根来を討伐しますが、雑賀衆側は長い激戦の末に講和を勝ち取っています。 あの織田信長ですら、この根来寺を倒すことが出来なかったのです。火縄銃で出世した信長らしからぬことで。 しかし、戦国時代の終わり頃にかの豊臣秀吉の攻撃に遭った際には、時代の流れや敵の規模が違いすぎたこともあって…火縄銃に練達した僧兵達は討たれ、境内の僧堂や塔頭のほとんどが焼き打たれてしまったんだとか。 そんな根来寺の歴史を知ることが出来る資料館が、境内に建設されたこの『岩出市民俗資料館』。 例によって中の展示物は撮影禁止だったのですが、この資料館…なんと見学料金が無料。 中の展示は根来寺近辺の歴史を知るには十分過ぎるほどのもので、火縄銃も二挺ほど展示されていたため、戦国時代の気風を知るにはちょうど良い物件です。 さて、散策がある程度進んだところで…根来寺最大の見どころ・国宝の大塔を目指します。 境内拝観は基本無料ですが、この大塔と大師堂・傳法院、そして本堂奥の庭園は拝観料が必要になります。 国宝の大塔。木造建築の僧塔としては日本最大の規模を誇ります。 秀吉の根来寺侵略での火災を免れているため、優に築五百年を超える歴史があります。 見上げるほどに大きい。 こんな大規模な塔を中世に建築できたことこそ、この根来寺の権勢がどれだけのものだったかを偲ばせてくれます。 説明書き看板によればこの大塔、豊臣秀吉の侵攻時に打ち込まれた火縄銃の弾丸痕があるそうですが…。 ん?( ;・`ω・´) これでしょうか。 指で触れてみても、本当につるつるなんですが… これ、単純に木材に木目か何かがあって、それが落ちただけなのではないでしょうか? …とも思いましたが、よく考えればこんな膨大な規模の大寺院が、威信と誇りをかけて築いた大塔なのですから、そんな粗悪な木材を使ったとも思えません。 これは、長い歴史を掛けて色んな人たちが『あぁ、これが秀吉軍に打ち込まれた火縄銃の痕か!!』と過去を偲んだことで、少しづつ弾痕のカドが取れてこうなってしまったのでしょうね…。 最後に、根来寺の大門へと自動車で移動。 前掲の根来寺MAPをみると判りますが、この大門だけが根来寺の中心部からかなり離れた場所にあります。 私も『れきたん。』を執筆開始して以来、色んな寺院を巡りましたが…こんな離れた場所にぽつんとある山門入口は見たことがありません。 きっと、戦国時代当時はこの山門に至るまで境内が続いていて…あの豊臣秀吉も、よろいかぶとに身を包んでこの山門を通り過ぎ、根来寺の僧兵達が射撃する火縄銃の威力に舌を巻いたのでしょうね…。 火縄銃の破壊力を誰よりも早く認識し、その技術が戦国日本に根付くきっかけとなった火縄銃飛躍の地・根来寺でした。 【名称】 一乗山 根来寺 (いちじょうさん-ねごろじ) 【住所】 和歌山県岩出市根来2286 【пz0736-62-1144 【アクセス】JR和歌山線岩出駅より4km。阪和線紀伊駅より粉河行バスにて根来下車、徒歩約20分。 南海線樽井駅より近畿大学行バスにて根来下車すぐ。 http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0 &msid=102244814435638173910.0004386c96bb3b41a571a &ll=34.286492,135.318389&spn=0.004796,0.006695&z=17 も参照のこと。 ■最寄の道の駅は『根来さくらの里』 (和歌山県岩出市押川37-1 0736-69-0210) http://www.kkr.mlit.go.jp/road/michi_no_eki/contents/ eki/w17_negorosakuranosato/index.html 【駐車場】あり/無料。 【入場料】基本的には無料/ただし、本堂奥の名勝庭園と国宝の大塔・大師堂・伝法堂を拝観するには拝観料500円が必要。 [評価] 見どころ☆☆☆…戦国時代の遺風は乏しいものの、最盛期には武田信玄・上杉謙信級の寺領石高を誇った名刹。 お寺巡りとして訪れるなら、優良物件。ゆっくり見回りたいなら二時間三時間は必要でしょう。 期待度 ☆☆★…国宝大塔の巨大さや、離れた場所にある大門は必見。 スリル ☆★★…お寺ですので、当然檀家さんのお墓がありますが…肝試しにはあんまり向かない物件かと。 バリアフリー度 ★★★…屋外なので期待出来ないです。境内は石段も多いですので…。 周囲環境 ☆★★…売店や休憩所・食事処はそれなりに揃っていますが、わりと周辺道路が狭く、込みやすい傾向があります。 また、山深い場所にあるので冬季の場合は積雪や路面凍結もありえるでしょう。 []総合評価[] 戦国の香り、火縄銃や雑賀衆・根来衆の由来は一見したかぎりではやや薄めですが、その点は岩出市民俗資料館に立ち寄ればある程度補えます。 お寺としても規模が大きく、風情と美観を楽しめる優良な観光場所だと思います。 【平成23年1月8日 AM11:00頃 専光寺】 ■1577年、織田信長が紀伊攻略の為に起こした『鷺森合戦』で活躍した雑賀孫一が、血に濡れた槍の穂先を洗ったという『槍洗いの手水鉢』が境内にある。 … という情報を聞きつけてお邪魔させて貰ったのですが、見た感じでは住居兼寺院の様です。何か他人様のお宅の庭に不法侵入するような雰囲気が否めません(汗。 ■入ってすぐ右手に、小さな手水鉢を見つけました。これが槍洗いの手水鉢でしょうか? …――ですが、それを物語る説明書き看板やそのたぐいがまったく見当たりません。 お寺の敷地は半分が住居兼寺院、半分が墓地といった市街型。歩き回ってほかに説明書きや雑賀孫一伝説の名残を調べようと試みましたが、残念ながらその歴史の匂いや名残は発見できませんでした。 聴いた話ではこちらの住職さんが観光客には親切にその由来を話してくださるそうなのですが、玄関の呼び鈴を押してみても誰も来ない。新年早々とあって忙しいのでしょうか? 根来衆の歴史については根来寺でばっちり過ぎるほど実感できたのですが、雑賀孫一は流石に伝説の傭兵…。どうやら、一筋縄ではいかないようです。 専光寺さんの関係者様帰還を待とうかとも考えましたが、生憎とというか無謀のせいというか、周防には時間がありません。 後ろ髪引かれる思いで、次のポイントに向かいます…。 【名称】 専光寺 (せんこうじ) 【住所】 和歌山県和歌山市専光寺門前丁5 なお、和歌山県新宮市の方にも「専光寺」は存在するので要注意。 【пz 0736-62-1144 【アクセス】JR和歌山市駅より東へ約400km。 http://www.its-mo.com/search/addr/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82%E5%B0%82%E5%85%89%E5%AF%BA%E9%96%80%E5%89%8D%E4%B8%81%EF%BC%8D%EF%BC%95/302012190000000000003 も参照のこと。 【駐車場】なし/前の道の路肩は駐車可能のようなので、御近所様の交通事情を確認する上でどうぞ。 【入場料】無料/ただし、住宅兼寺院の様なので時間帯などには要注意。 [評価] 見どころ☆★★…観光客向けの御寺ではなさそう、普通の街のお寺さんといった雰囲気。雑賀孫一血洗いの手水鉢付近には説明書きの類が一切ありません。 期待度 ★★★…御寺の関係者さんに出会えなかった場合、ちょと寂しい。事前に電話などで出向くことを確認すべきかも。 スリル ☆★★…お寺ですので、当然檀家さんのお墓がありますが…肝試しにはあんまり向かない物件かと。 バリアフリー度☆★★…屋外なので期待出来ないですが、例の手水鉢は車椅子でも見られます。 周囲環境☆☆★…和歌山市の中心部近くですので、移動その他には問題はないと思います。 []総合評価[] 専光寺の住職さんは雑賀孫一巡りに来た方にはとても親切だというお話でしたが、今回は完全にそのタイミングを逸した形に。 和歌山市の中心まで来たなら、ついでに見物する程度でも良いような気がします。 【平成23年1月8日 PM0:00頃 鷺森別院】 ■戦国時代の昔から紀伊和歌山にある浄土真宗本願寺派の寺院。1577年の鷺森合戦でもここを舞台にして、雑賀衆の火縄銃が火を噴いたと伝わっている。 1580年、織田信長との石山戦争に敗れた浄土真宗本願寺の法主・顕如がが新たな総本山として、この鷺森別院に腰を移してきた。 しかし、残念なことに雑賀孫一に関する情報はまったくと言っていいほどありません。 かつてはこの鷺森別院に崇敬する宗派の法主が居住したのですから、孫一は間違いなくこの御寺に顔を出しているはずなのですが…。 どうやら、そういう面をアピールする…歴史の観光客を意識した寺院ではないようです。 お寺の中にもお邪魔しましたが、普通の御寺さんの事務所と言った感じで、別段特筆すべき特徴は見当たりません。 毎年四月頃に行われる『孫市まつり』というイベントでは鎧武者行列の最後のフィナーレの舞台となり、火縄銃の一斉射撃が実演されるとのことですが…隣接する幼稚園と思しき施設から聴こえて来る元気の良い児童の声と、その保護者と思しき若い御婦人方(美人さん揃いでした(待て))が輪になって談笑している声が聞こえてくるくらいで、歴史の残り香といったものは一切感じられませんでした。 よくよく観察してみると寺事務所さんがあるようなのですが、新年早々過ぎてまだ御休みしている模様。 ひょっとしたら、こちらが開いていたなら何か聞けたかも知れませんが…それを踏まえて日程を組まなかったこともまた、何と言うか周防長門の痛いところ。(遠い目 さすがは伝説の傭兵集団・雑賀孫一というべきか…その面影、歴史の名残はなかなか実感出来ないようです。 時間という不可避の敵と戦っている現状、あまり重要ではなさそうな施設に長時間滞在は出来ません。 ほのかな落胆を禁じえずも、次のポイントに向かって移動を開始します…。 【名称】 本願寺鷺森別院 (ほんがんじ-さぎのもりべついん) 【住所】 和歌山県和歌山市鷺森1番地 【пz073-422-4677 【アクセス】鷺森別院ホームページ http://saginomori.or.jp/ の交通案内を参照のこと。 http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&biw=1169&bih=833&q=%E9%B7%BA%E6%A3%AE%E5%88%A5%E9%99%A2&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl も参照のこと。 【駐車場】あり/無料。 【入場料】無料 [評価] 見どころ☆★★…観光客向けの御寺でないようですが、四月に行われる「孫一まつり」では祭りの舞台に。 期待度 ★★★…孫一まつりの時期以外は、浄土真宗本願寺派の寺院としての活動しか行っていません。 スリル ☆★★…いちおうお寺ですが…都市部ですし、肝試しにはあんまり向かない物件かと。 バリアフリー度☆★★…屋外なので期待出来ないです。 周囲環境☆☆★…和歌山市の中心部近くですので、移動その他には問題はないと思います。 天下人を撃て!!〜雑賀孫一と雑賀・根来衆〜【後編】
かつては、戦国大名並みの地盤と火縄銃を熟知した僧兵たち一万を擁した根来寺のこと、庭園もどことなく武士っぽい誇りのような雰囲気がします。
実はこの根来寺、かの織田信長とは犬猿の仲。 織田信長は何度か火縄銃でケガをしていますが、そのうちの一回に杉谷善住坊(すぎたに-ぜんじゅうぼう)という鉄炮の名手に狙撃された事件がありますが、この杉谷善住坊を輩出したのがこの根来寺。 怒った織田信長は雑賀・根来を討伐しますが、雑賀衆側は長い激戦の末に講和を勝ち取っています。 あの織田信長ですら、この根来寺を倒すことが出来なかったのです。火縄銃で出世した信長らしからぬことで。
しかし、戦国時代の終わり頃にかの豊臣秀吉の攻撃に遭った際には、時代の流れや敵の規模が違いすぎたこともあって…火縄銃に練達した僧兵達は討たれ、境内の僧堂や塔頭のほとんどが焼き打たれてしまったんだとか。 そんな根来寺の歴史を知ることが出来る資料館が、境内に建設されたこの『岩出市民俗資料館』。 例によって中の展示物は撮影禁止だったのですが、この資料館…なんと見学料金が無料。 中の展示は根来寺近辺の歴史を知るには十分過ぎるほどのもので、火縄銃も二挺ほど展示されていたため、戦国時代の気風を知るにはちょうど良い物件です。
■入ってすぐ右手に、小さな手水鉢を見つけました。これが槍洗いの手水鉢でしょうか? …――ですが、それを物語る説明書き看板やそのたぐいがまったく見当たりません。 お寺の敷地は半分が住居兼寺院、半分が墓地といった市街型。歩き回ってほかに説明書きや雑賀孫一伝説の名残を調べようと試みましたが、残念ながらその歴史の匂いや名残は発見できませんでした。 聴いた話ではこちらの住職さんが観光客には親切にその由来を話してくださるそうなのですが、玄関の呼び鈴を押してみても誰も来ない。新年早々とあって忙しいのでしょうか?
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