長宗我部 四国覇者追跡記編】







 ■『長宗我部元親』の生涯、その魅力に迫るべく彼と歴史の縁が深い名跡を巡礼していく旅を企画『長宗我部元親 四国者追跡記』。今週はその中編をお届けいたします。



 そして、併立企画『一泊二日を予算万円で乗り切れるか?』についてですが…今回中編は二日目朝からの再開ということで、残り金額がいったい幾らなのかを先ず発表させて頂きます。

 …果たして、初日にけちりまくった結果が、いったいどうなったかと言えば。




□『二日目を五千円で乗り切るんだろう?なんだ、そんな危機感もないし簡単じゃないか』って?



いや、割とピンチです。(;・(,,ェ)・)



 私はこの残額のなかから、帰りのガス代を捻出しないといけないんです。

今回の旅がいかに険しい道のりであったかは、車のメーターが既に300qを優に越していることが示してくれてます。


 高知県からまっすぐ自宅へ帰ればどうということはありませんが、途中で徳島県内にある巡礼ポイントをあたらなければいけないことを考えれば、ガソリン代は二千円強か三千円は欲しいところ。


 逆算したら、あと2500円くらいしか無いんです。


 七日夕方、晩御飯までには自宅に戻る予定で組んでは居ますが…はてさてその予定も予定通りいくかどうか。


 果たして、周防長門は本当に二日間を一万円で乗り切り、長宗我部元親ゆかりの地を全部巡礼し、予算残額で無事に徳島県へ戻って来られるのでしょうか?


 それでは企画『長宗我部元親-四国覇者追跡記』中編のスタートです。



【平成22年11月7日AM7:50頃 高知県南国市。】

 車中泊から起床。

 外はあいにくの雨模様。

 出発前に支援者の方から『この六日・七日、高知は天気が悪い』と聞いていたので覚悟はして居ましたが…こう、実際に降られると憂鬱です。


 


 二車線道路の路肩に止めてあった車からのそのそと這い出すと、まずは近くのコンビニに。

 朝食と洗面を済ませたら…本日最初の目的地…
長宗我部家の居城があった岡豊城址、そしてその傍らに立つ高知県立歴史民俗資料館へ向かいます。



岡豊城は長宗我部家の御先祖様とされる秦一族・秦能俊(はたよしとし)が築城した平山城。

 長宗我部家は『土佐七雄』と呼ばれる土佐国でも特に有力な諸豪族の一家だったが、1510年に時の長宗我部家当主・兼序(かねつぐ)が本山家など他の六家に岡豊城を攻められて滅亡。

 兼序の嫡男だった国親(くにちか)は土佐国司・一条家の庇護を受けて岡豊城を回復。御家復興を果たすと、昔の復讐とばかりに周辺書豪族への侵攻を開始する。


 国親の嫡男が長宗我部元親。1560年、二十二歳という戦国武将としてはかなり遅咲きの部類にはいる年齢で初陣。
 『姫若子』という不名誉なあだなもなんのその、大手柄を立てて敵軍の本山家・安芸家を圧倒。


 姫若子から『土佐の出来人』『鬼若子』へと華麗な成長を遂げた嫡男を見て安心したのか、長宗我部国親は1560年に世を去った。家督を継いだ元親は、『宿敵の本山家を滅ぼせ』という父の遺言に従い、岡豊城を本拠地として土佐国統一に乗り出していく…。



 岡豊山の中腹にある高知県立歴史民俗資料館





















 ちょっと天気が悪いのが気にかかりますが、さっそく中へ。



















  館内は今年リニューアルしたばかりらしく、綺麗で清潔感があります。















 長宗我部展示室。


例によって展示品はすべて撮影が禁止されていましたので、内容をお伝えできませんが…

 入ったとたんに目を引く長宗我部元親公の木像や嫡男・長宗我部信親の具足や陣太刀、そして数多くの書状と盛りだくさんの内容。


 これは、誰かが撮った写真を見るより直接御覧になったほうが良いと思います。


 展示室の中央には長宗我部家の家紋・七つカタバミが染めこまれた軍旗が並ぶ本陣が。

 ここだけは撮影が許可となっていたので、一枚パシャリと。






 本陣中央のビデオでは、長宗我部家の歴史を説明するプチ大河ドラマなビデオソフトが上映されてます。

 長宗我部元親をモデルにしたゆるキャラや、そのほか長宗我部グッズ。

 さすがは高知県、商売上手。

 徳島県でも三好家の一族をゆるくして…知名度がヒドイし、無理か。


 


 長宗我部展で戦国情緒を満喫したところで、歴史民俗資料館を出ます。実は、この資料館の裏山に広がっているのが岡豊城跡



 機嫌悪そうだった空模様はいよいよ崩れだし、雨まで降り出しましたが…これでへこたれて城址の写真を断念するのはかなり残念なこと。ここは、傘をさしてでも城跡の写真を撮るべき。

 雨の中、デジカメにビニール袋を巻いて…城址探索を開始です。

 既に発掘調査が終わった岡豊城跡、その全域が公園風に整備されています。










 あちこちに立つ説明書き看板と石碑。それをひとつひとつ眺めながら、山の中を練り歩いて行きます…。





(つめ)に到着。

 どうやら岡豊城には本丸とか天守閣が無かったらしく、詰と呼ばれる二階建ての建物がここにあったようです。









 元親やそれを支えた屈強の精鋭『一領具足』たちが、ここで軍議を開き四国制覇を夢見てたのでしょうね…。



  詰の礎石に溜め込まれたどんぐり。
 近くにトトロでも居るんでしょうか。











 岡豊城はかなりの広さ。

 そしてなによりきついのが、急勾配急傾斜の山道。



 アスファルト舗装はされてますが、それを差し引いても厳しい道のりです。





 岡豊山のいちばん奥にある『伝・厩曲輪跡』へやっとのことで到着。

















 途中に自販機や休憩所はいっさいなかったので、正直かなり疲れました…。




 ですが、安土城以来…歩き甲斐のある山城跡でした。

 歴史民俗資料館の長宗我部展も出来が良かったですし、個人的には今回企画のメイン観光ポイントじゃないかなって思いました。




【名称】  高知県立歴史民俗資料館/岡豊城址(こうちけんりつれきしみんぞくしりょうかん/おこうじょうし)
【住所】  高知県南国市岡豊町八幡1099 -1 【пz088-862-2211
【アクセス】高知自動車道高知IC.又は南国IC.より車で約10分〜15分
   詳細はホームページを御覧ください。


【駐車場】あり/無料。
【ホームページ】
http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~rekimin/
【入場料】常設展/大人(18才以上)450円・団体(20人以上)360円
 企画展/大人(18才以上)500円・団体(20人以上)400円 ※常設展観覧料込み


 ※毎年5月3日は「歴民の日」として入館無料。


[評価] 
見どころ☆☆☆長宗我部元親に関する歴史に興味がある方なら、文句なしの聖域。ここは絶対抑えるべき。
期待度 ☆☆☆長宗我部家に関する展示が常設されているし、ビデオソフトが長宗我部家の興亡をかなり丁寧に説明してくれてます。展示品の種類や説明書きもわかりやすく、ポイントが高い。
スリル  ★★★…特筆事項なし。歴史民族資料館ですし…。


バリアフリー度☆☆☆…駐車場からのスロープはもちろん、館内はバリアフリー対応、エレベーターあり。一階から三階までの全階層に身障者トイレ設備。
ベビーカー2台/車いす4台/高齢者用手押し車2台が無料貸出品として設置されてます。
 休憩所や授乳室まで整えられた手の行き届きようは、はっきりいって一地方自治体が運営・設立しているとは思えないほぼ完璧な出来。体が不自由な方でも安心して回れます。


総合評価 オススメの太鼓判が押せる優良な観光ポイント!! 元親を良く御存知でない方でも、長宗我部展を見れば一日で歴史通になれます!!。( ・(,,ェ)・)b



【名称】  岡豊城址(おこうじょうし)
【住所】  高知県南国市岡豊町八幡1099 -1 
【アクセス】高知自動車道高知IC.又は南国IC.より車で約10分〜15分
   詳細は高知歴史民族資料館のホームページを御覧ください。


  http://drive.yahoo.co.jp/route/preview?sid=SS6n8m3jbnPcrNGwEPNrCrQ3QxM7LWczx8vDNt91mF (JR高知駅から)
【駐車場】あり/無料。(歴史民俗資料館が所有)
【入場料】無料


[評価] 
見どころ☆☆★…長宗我部家が長年本拠地とした岡豊城の城址。城跡から望む景色も良いが、細かな説明が行き届いた看板や説明書きが嬉しい。
期待度 ☆☆★…完全な意味での城址ですので、天守閣や城郭はない。けど、遺構はかなり保存状態が良いです。
スリル  ☆☆★…道のりは舗装された道路と険しい傾斜の山道。自然の山ですので蛇なども居そうですし、足元にも要注意。
バリアフリー度★★★…屋外ですので期待は出来ません。あと、トイレや自販機等は城跡内には無いのでそれも踏まえてどうぞ。


総合評価 歴史民族資料館のすぐ裏側ですので、そちらへ来たついでに見るのがベスト。城跡としてはかなり整備が行き届いた優良物件。



□さて、その後も順調に勢力を拡大した長宗我部元親。

 宿敵だった本山家や他の土佐七雄、土佐国司一条家といった数多くのライバルたちを打ち従え、家督を継いで十五年目の1575年、遂に土佐一国の統一を達成しました。


 しかし、近畿や中部と違い土佐国は貧しく痩せた土地。
 満足な俸禄も得られず、長年戦い続けた家臣達が貧窮にあえいでいる姿を見た元親は、もっと広い領土を得なければならないと痛感する。



よし、それなら隣近所…阿波国や讃岐国、伊予国を攻めよう。
 そして新しい土地を家臣達に分け与えて、楽をさせてやらねばならない。俺は、四国を制覇するぞ!!



 おりしも、東隣の阿波国の戦国大名だった三好長治は家臣達に裏切られて討死した直後。
 元親はその混乱に乗じて阿波国の白地城・大西城を攻略。昔から白地は『四国の辻』と呼ばれる要衝で、ここを占拠したものが四国を制覇するとされるほどの土地でした。



 白地城を占拠してまもなく、四国を制覇する夢をみた元親。家臣に勧められて、白地城の近くにある古刹・雲辺寺を訪ねる。


 雲辺寺は789年に弘法大師が開基した真言宗の名刹。
 標高1000bを超える雲辺寺山の高地にあり、そこから見える雄大な風景は四国制覇に燃える元親には、夢と野望を駆り立てる絶好の眺め。



 気分を良くした元親、雲辺寺住職・俊崇坊に

俺は四国を制覇したい。この夢をどう思うか

 と尋ねたが、俊崇坊はその思いを聞くや一喝する。


 『やめておきなさい。
元親殿はつい先日、土佐の統一を果たしたばかりと聞く。

ようやく土佐国の蓋となった貴殿がどうして、四国の蓋になれるだろう。

それはしょせん、茶瓶の蓋で水甕に蓋をするようなものだ。諦めて土佐に帰りなさい』。


 しかし元親は

名工の作ったやかんの蓋は、多少大小が違っても用を成すという。俺はいずれ、四国の蓋になってみせるッ!!

 と切り返す。


 元親の相談役だった谷忠澄

坊主に武士の策略がわかるもんですか。元親様はきっと四国の覇者になれます!!

 と後押し。


 長宗我部元親の瞳は、雲辺寺の裏山から遠望できる讃岐・阿波・伊予の国々を睨んでいた。

 土佐の出来人が四国の覇者へと駆け登ったサクセスストーリー、破竹の快進撃はこの雲辺寺より始まる…。




■長宗我部元親が四国制覇の夢を描いた記念的な地・雲辺寺に向かいます。

 

 四国八十八箇所でもかなり高い部類になる、標高1000mを超える高地にある雲辺寺。


 参拝には、山麓から境内へ直通しているロープウェーが便利ですが…その代金、実に2000円。

 『一泊二日壱万円の旅』では、とてもじゃないですがそんな出費はお支払い出来ません。


 そこで、自動車で山道を登り直接に雲辺寺を目指すことにしたのですが…ところがどっこぃ。 c( ;・`ω・´)っ


 あと少しというところまできて『自動車で参拝される方は、駐車場使用の際に参道修復のためのお布施をお願いします』という看板に直面。

 早い話が駐車場料金請求――…そのお値段、500円也



 おぉっと、これは思わぬアクシデント。


 今は少しでも出費を抑えなくてはいけないってのに…残り予算額を思い出せば、もはや余裕はそれほどありません。支払わずに行くにはどうしたらよいのか…――。



 結局、駐車場に止めずに登れるギリギリの場所まで車を使い、路肩に駐車。 ( ・(,,ェ)・) ステップワゴンを路駐したんか(自爆突っ込み。


 残り距離は徒歩で踏破し、山頂を目指そう…などというセコい精神全開な倹約行脚をきゅうきょ決定。


 正直、この道中も凄く疲れました…c(=(ェ,,)=c)――晩秋の山道をウォーキング慣れしてないおっさんが登るのは、普通に苦行です…。



 雲辺寺境内に到着。

普通に寒い!!

 
まだ十一月なのに、なんでこんなに異様な寒さがあるんでしょうか。

 …うーさぶさぶさぶ…って。


 って、なんでお寺の境内に『なすびの彫刻』が。
















 

 …そりゃ、こんな寒いギャグ二十四時間体制でぶっちゃらけてたら、山ごと寒くなるわ。
















 閑話休題。

 こ、これは霜でしょうかひょっとして。

 …私、標高1000mをナメていたのかも知れません。『夏は涼しくて良いが、冬の寒さはここで過ごさないと判らない』とは雲辺寺関係者の言ですが…まだ11月なのに、山風の冷たさが真冬級です…さぶさぶ。



 さて、境内を一通り散策していましたが…長宗我部と名のつく説明書きや謂れのあるポイントを発見出来ません。


 雲辺寺は長宗我部家の阿波侵攻作戦の時に兵火で焼け、衰退してしまた歴史があります。
 なので、長宗我部元親を顕彰するような義理もないのかも知れませんが…。


 ってここも焼いたのか元親!?。

 徳島県内のお遍路さん寺って、ほとんど長宗我部家が火ィつけて燃やしてる気がしてきましたが、実のところ。

 長宗我部元親は土佐高知では比類がない英雄ですが、阿波徳島をはじめ他の県での地域伝承では、あまり人気が宜しくありません。

 天正年間の長宗我部家侵攻で燃やされたとか被害をこうむった、という伝承のほか、長宗我部元親に騙し討ちにあって殺された戦国武将などのお話は、特に被害の大きかった徳島県には数多く残されています。

 彼が四国の覇者として戦国時代に大きく飛翔したサクセスストーリーの裏では、長宗我部家の覇道で土地や家族を失った者達が、歴史の敗者がいっぱいいるわけで…。

 御国が違えば、英雄像も違ってみえてくる。そんなお話。




 雲辺寺の鐘つき堂。何か注意書きが…。


















  …――土佐のいごっそうは燈篭に登る、阿波の踊る阿呆は鐘を突く…ですか。

( ノ(,,ェ)=)たぶん突いたんでしょうね、誰か。

















 五百羅漢。実際に五百体の羅漢像がお出迎えしてくれます。



 写真には映ってませんが、ひとりひとり足元に名前とナンバリングが刻まれています。

 近年の作品と思われるため長宗我部元親は無関係っぽいですが、喜怒哀楽の表情様々な羅漢さまズの編隊は圧巻の眺め。




















 元親の四国制覇の夢を『ヤカンのふたで水甕にフタをするようなもんだ。』と一喝した俊崇坊。

 きっと彼も、こんな表情で土佐の小覇王の顔を見つめていたんでしょうね。


 












 雲辺寺の裏山にある巨大な毘沙門天像。




 実はこの毘沙門天像、土台部分が展望台になってます。そこからの眺めは…。

 
これぞまさしく、長宗我部元親が眺めたのであろう雄大な四国の風景!!

 両腕をひろげれば、四国のすべてが抱けるような錯覚を楽しめます。




 たしかに、これだけ綺麗に四方の大地が見えたら…四国制覇の夢も、くすぐられるかも。













 まだ挫折を知らない土佐の出来人、長宗我部元親が未来の大望を描いた雲辺寺でした。




【名称】  巨鼇山雲辺寺(きょごうさん-うんぺんじ)
【住所】  徳島県三好市池田町白地763-2【пz0883-74-0066 
【アクセス】
http://drive.yahoo.co.jp/route/preview?sid=SSIrWv78PnPcpY5CA04Wq_y2kbOeDb05UOdwpne9Og (徳島自動車道・井川池田I.Cから)


県道241号線沿いにある『雲辺寺ロープウェイ山麓駅』[Ь0875-54-4968 から山頂に向けて直通ロープウェイが20分置きに出ていますので、そちらを利用するのも手。(料金は往復で大人2000円・中高生1500円・小人1000円。十五人以上で団体割引。)


【駐車場】あり/有料
 参道修復の為の寄付金に御協力下さい、という御布施願いの形を取っている。(バイク100円/軽自動車300円/普通車500円)
【入場料】無料。


[評価] 
見どころ☆☆★
…土佐を統一し波に乗る長宗我部元親が四国制覇の夢を描いた地。標高1000メートル以上から四国四県を眺めれば、かつて元親も見た景色が広がります。
期待度 ☆★★…長宗我部元親、という歴史の匂いは希薄。五百羅漢や毘沙門天像は圧巻なのだけれども…。
スリル  ☆★★…自然の山、その頂に造られた寺院であるため、その道のりは傾斜もあり険しい。当然、危険もある。
バリアフリー度★★★…屋外ですので期待は出来ません。あと、境内には自販機や売店が無いので要注意。ゼイゼイ言いながら山を登っても、飲むものや食べるものは手に入りません。(冬季だけ開業しているレストランはあるが、十二月中旬からの開業)。


総合評価 四国八十八箇所のうちの一寺院として参拝するならともかく、戦国時代の歴史観光としての価値観はいかも。現地には、まったく長宗我部家にまつわる説明もないので…。



□長宗我部元親の軍勢は阿波・讃岐を治めていた豪族達を次々と薙ぎ払い勢力を拡大。

 1582年には、それまで四国最大の勢力だった三好家総領・十河存保(そごう-まさやす)と中富川(吉野川)河畔の合戦で激突。


 三好家は既に衰退期に入っては居たが、十河存保は"鬼十河""夜叉十河"と綽名された歴戦の猛将。
 織田信長に連戦連敗こてんぱんだった宗家の三好義継や、酒盛りと失政を繰り返して自滅した三好長治とはワケが違う。


 しかし、その鬼十河の牙をもっても長宗我部家の勢いは止まらない。


 四国制覇の夢に向け意気盛んな元親や、僅か十歳ながら器量が良く将来有望な嫡男・信親、そして相談役ながら兵法にも優れた家老・谷忠澄。その彼らに率いられた勇猛果敢な土佐侍、一領具足(いちりょうぐそく)が大活躍し、合戦は長宗我部方の勝利に終わる。


 しかし、領土を追われた十河存保は奥の手を発動。知己を得ていた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)を通じて織田信長の援軍を仰ぎ、信長はそれを受諾。





 あわや信長軍が四国上陸、長宗我部元親も絶体絶命か。


…と思われたその数日前に。


 織田信長が『本能寺の変で明智光秀の謀反に倒れる』というアクシデントが発生。


織田信長の尖兵として四国に舞い戻っていた十河存保と三好一族の最長老・三好康長は大慌て。


今こそ好機だ!!長宗我部家の四国制覇を実現するぞ!!


 元親は精強な一領具足で編成された長宗我部軍を阿波・讃岐に派遣し、十河・三好軍を粉砕。


1585年には、伊予の河野通直を降伏させ…ついに念願の四国制覇を達成した。家督を継いで二十五年目、土佐を統一して十年目に達成された悲願の四国覇者、その栄冠が元親の額に輝いた瞬間だった。



 しかし、時代は長宗我部家に微笑まなかった。

 その頃の上方では、織田信長死後の後継者争いに勝利した豊臣秀吉が台頭。

 四国の覇者・長宗我部元親に立ちふさがる。



 秀吉は元親に『土佐一国を安堵してやるから、阿波・讃岐・伊予の三国をよこせ』と脅迫。

 実は元親、明智光秀・柴田勝家、そして徳川家康…つねに秀吉の敵ばかりと手を組み、一度は大坂城を攻めようとしたほどの反秀吉派閥。


 長宗我部元親は長年の相談役・谷忠澄を大坂城に派遣。

四国の覇者の地位を明け渡す気はないが、恭順の意を示す

 という外交カードを切らせるが…長年に渡り敵意をむき出しにしていたこともあり、豊臣秀吉は土佐一国のみしか認めない。

 交渉の間、大坂城に居た忠澄は豊臣家の軍備力・財政力が長宗我部家とは桁外れであることを痛感する。


 忠澄は土佐に帰還後、元親に現実を説き豊臣秀吉への降伏を勧める。
これまで四国制覇を後押し、支援してきた相談役からの言葉に元親は憤慨。


 
 『ここで槍をまじえず白旗を振るのは土佐侍の名折れだ!! 俺は豊臣秀吉に徹底抗戦する。』


 


 秀吉の要求を突っぱねた元親は総勢四万もの四国防衛軍を編成、自分は兵八千を率いて白地城に入り、豊臣軍を迎え撃つ準備をする。


予想される豊臣軍の侵攻ルートは阿波方面・讃岐方面・伊予方面のみっつ。白地城に居れば、どのルートで敵が来てもすぐに駆けつけられる。


 はず、だった。




…しかし、1585年6月。四国を襲ってきた豊臣軍の財政力と軍事力の物量作戦は、元親の予想を遥かに超えたものだった。




 阿波方面からは豊臣軍総大将の羽柴秀長・羽柴秀次軍の六万、
 讃岐方面からは宇喜多秀家・黒田如水・蜂須賀正勝・蜂須賀家政ら二万三千、 
 伊予方面からは毛利輝元の派遣した小早川隆景・吉川元長ら三万の軍勢が一斉攻撃。



 総勢十一万、しかも田舎暮らしの長宗我部家とは比較にならない最新の重装備をした屈強な上方武者が相手だ。

わずか一ヶ月で長宗我部軍は総敗北し、元親の篭る白地城にも豊臣軍が侵攻してきた。




 『戦力が違いすぎます。諦めましょう…。』


 相談役・谷忠澄が降伏を勧めても、一度は『そんなこと出来るか!!』と突っぱねた元親でしたが…

 冷静になって考えれば、既に阿波・讃岐・伊予の諸城は豊臣軍の前に陥落、策を弄しても黒田如水に見破られ、兵を交えれば連戦連敗。


 どう頑張っても、勝ち目はない。


 1585年7月25日、長宗我部元親、豊臣秀吉に降伏。
彼が四国の覇者と呼ばれた期間は、わずか半年にも満たない期間だった…。



長宗我部元親が着手した四国制覇作戦、その最初の一歩にして終焉の地がここ、白地城址。


なの、ですが。


 岡豊城址の遺構がほぼ完璧な形で残っていたのに対し、こちらは真逆…ほぼ壊滅状態です。



 当時を偲ぶ面影はどこにもなく、ただ説明書き看板と石碑が静かにたたずむだけです…。



 いったい白地城跡はどこにいってしまったんでしょうか。

 



 白地大西城の説明書き看板は『大歩危祖谷阿波温泉.あわの抄』さんの敷地内にあるのですが…。


 実は、この『あわの抄』さんが立つまえには、ここに『かんぽの宿』があったらしく…。



 はい、もうお判りですよね。 (;=(,,ェ)=)またこのパターンか。


 その『かんぽの宿』を、ちょうど白地城の本丸跡に立てちゃったらしいんです。

 そして、基礎工事やらなんやらで白地城跡の遺構はしっちゃかめっちゃかに破壊されてしまったというわけ。







 今では石碑と看板でしか、往時をしのぶことが出来ません。









 坂本城のときもそうでしたが、城跡の扱いというのは宮内庁が指定した皇室関係者の古墳などとは違い、一般の土木建築業者の思惑ひとつで大破壊されちゃうていどのものなんですね…。

 まぁ、

 長宗我部元親の四国制覇の夢も、それが破れたときの悔し涙の跡も、みぃんな温泉旅館の土の下に混ぜ込まれてしまってました…。




















【名称】  白地城址(はくちじょうし)
【住所】  徳島県三好市池田町白地本名165番地6(本丸跡・説明書き看板)/徳島県三好市池田町白地本名165番地2(石碑)
【アクセス】
http://drive.yahoo.co.jp/route/preview?sid=SSIrWv78PnPcpY5CA04Wq_y2kbOeDb05UOdwpne9Og (徳島自動車道・井川池田I.Cから)
【駐車場】なし/白地城の説明書き看板は『大歩危祖谷阿波温泉.あわの抄』の敷地内駐車場、石碑はすぐ近くにある『永楽荘デイサービスセンター 星 』の敷地片隅、大西神社にある。双方とも駐車場を有しているので、一声掛けて借りるのも手か。
【入場料】無料


[評価] 
見どころ☆★★…説明書き看板一枚、そして石碑がひとつ。当時を偲ぶ遺構や面影は殆ど残されていません。


期待度 ☆★★…長宗我部家にまつわる歴史の匂いは薄い。過度な期待は出来ません…。
スリル  ★★★…特筆事項なし。かたや温泉旅館の一角、かたや老健施設の片隅。怖いはずがない。
バリアフリー度☆★★…屋外ですので期待は出来ませんが、車椅子での観光は出来ると思います。


総合評価 長宗我部元親が大望を抱き、そして夢破れた場所。けど、観光価値的にはいまいちというのが素直な感想。彼のたどった足跡を追い、巡礼していく意味でなら立ち寄る価値はある。




【平成22年11月7日PM13:50頃 高知県高知市・はりまや橋付近。】
 さて、再び舞台を高知県に戻したところで…早いもので、今回の企画最後の外食です。





 昨夜は高知県に来ておきながら地鶏を食べるという暴挙に出、副菜に選んだ鯨のかつがイマイチという結果に終わったわけですが…今日も懲りずに土佐料理。今日は高知市のシンボル・はりまや橋の近くにある土佐料理店・とさ市場さんへ突撃。




 どんなメニューが揃っていたかは、下記ホームページを御参照いただくとして…えぇ、今回も大いに悩みました。
 朝食はコンビニで済ませましたし、おそらく高知料理に舌鼓を打つのはこれが最後のチャンス。


 今度こそ王道の鰹たたきを…と考えましたが、ずっと意識に引っかかっていたのは昨日の失敗談。


…そう、鯨です。鰹のたたきは別に徳島に帰っても食べられますが、鯨はおいそれと食べられません。ここはひとつ、昨日のリベンジを狙ってもう一度鯨に挑戦してみました。


…そろそろ財布も底が見えて来ましたし、あんまり大盤振る舞いも出来ない。ならば、ここは一点張り『くじら丼セット』。




1380円という、なけなしの予算金額を削って大挑戦!!




 くじら丼っていうから、きっと鯨の赤身をまぐろ丼みたくごはんに乗っけて、上から醤油系のたれをかけt…

( ・(,,ェ)・)?




 …おわかり頂けただろうか。



 なんか、丼の上には甘い匂いがするごった煮系のものが。


――…海鮮丼系じゃなく、親子・他人丼系のモノだったようです。


 



 食べた感想、は…。 


 …――あ、あれ。

 『目をつむって食べたら"ぱさぱさした、微妙に魚系のスメルがする牛肉"…?


 しかも、丼の具部分はほとんどがこんにゃくやえのき、たまねぎなどを牛丼系の甘いつゆで煮込んだもので、鯨肉は舌にごくごくわずかしか当たりません。…こ、これは…ひょっとしてこれはっ…。



 …――( :(,,ェ);) き、昨日とほぼ同じくらいに期待はずれだったのではッ…!! ひどい、こんなっ…不条理なことがッ…!!(涙。


 ただ、一緒についていた鰹のたたき数切れがびっくりするほど美味しかったです。素直に鰹のたたき食べれば良かったのかも…(・(ェ,,)・ )




【名称】新鮮土佐料理 とさ市場(しんせんとさりょうり・とさいちば)
【住所】高知県高知市はりまや町1-3-11 【пz088-872-0039
【アクセス】JR高知駅 徒歩8分 土佐電鉄はりまやばし電停 徒歩1分 (詳細は下記ホームページを参照のこと)
【駐車場】無し/近辺の有料駐車場を利用。
【ホームページ】
http://r.gnavi.co.jp/s015801/ ( ぐるなび 様の評価ページ)


【一口情報】高知駅前から徒歩で行ける、アクセスの良い郷土料理店。筆者は注文の選択を間違えたような気がしますので評価は控えますが、鰹のたたきは本当に美味でした。



■というわけで『長宗我部元親 四国覇者追跡記』中編、いかがだったでしょうか。



 四国の覇者たらんと願った長宗我部元親の野望も、儚い夢と消えてしまいましたが…豊臣秀吉家臣の一地方政権となったあとも、長宗我部家に様々な歴史の波が押し寄せます。



 豊臣秀吉Vs島津義久の『九州征伐』、豊臣秀吉Vs北条氏政の『小田原城包囲戦』、そして日韓両国に酷い禍根の爪あとを残した『唐入り』…幾多の合戦を潜り抜け、様々な動乱の嵐を潜り抜けながらも、徐々に精魂をすり減らし傷ついていく元親。



 しかし…永遠に続くと思われた長宗我部家忍従の日々も、『豊臣秀吉の死』により急展開を迎える。
 太閤秀吉没後急速に台頭していく徳川家康、そしてその野望を阻止せんと策略の網を張り巡らせる五奉行筆頭・石田三成。



 果たして、長宗我部家は激動の戦国末期に名を残すことは出来るのか?…そして、今も高知県の英雄として語り継がれる時代を超えたカリスマ性、坂本龍馬のそれに匹敵する魅力は長宗我部元親の生涯、そのどこに隠されていたのか!!


 そして毎回忘れ去られがちになっている並立企画『一泊二日壱万円の旅』。
 最後の土佐料理グルメでも予算大幅消費のうえに大失敗してしまった周防長門、彼は本当に緊急避難信号なしで無事に自宅へと戻ることが出来るのか!? (=(ェ,,)= ) なにこの無駄なモノローグ。

長宗我部元親 四国覇者追跡記 【後編】





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