炸裂!!火縄銃の号砲
- 堺まつり鉄炮編 火縄銃の爆音は実際すごいのか? -
■謝辞 このたびは、長らく間が開いたにも拘らず『れきたん』新作の 閲覧においで頂きありがとうございます。 ここ暫くは背後事情その他でなかなか歴史巡りの旅にも出ることがかなわなかったのですが、 皆様の御愛顧によりいくばくかの資金を得て、久方振りの旅に出ることが出来ました。 今後も当HPを御贔屓のほど、宜しくお願いいたします。 『れきたん』文責・担当者 周防長門 |
なんだかんだで、やっとこさ到着した堺まつり。…さっそく、火縄銃を拝見…と、意気込んではみたけれど。 朝鮮通信使の皆さんが通り過ぎたり。 バンカラとか口走りそうな古風な学生さんが通り過ぎたり。 ハイカラさんが通ったり。 (さっきからいちいち古いなネタが) なっかなか、意中の鉄砲隊に遭遇できません。 さすがは歴史由緒の古い堺の町。 これは長丁場だなぁと、人込みを掻き分けながら時間つぶし。 ザビエル公園で展開されていた刃物市や異国情緒たっぷりな世界の料理屋台とかを巡って、 片側四車線をほぼ歩行者に解放したにも関わらず敢えて路側帯で渋滞する、大阪府民の律儀さを眺めていたら――。 やっとこさ、火縄銃をひっさげた赤備え集団を発見!! 『……――緋色一色に揃えた赤備えの鎧兜に、井桁の軍旗。 ぉをう、滋賀県彦根は"ひこにゃん"のお膝元から、井伊の赤鬼がお出ましだ』 正確には、彦根商工会議所青年部・古式銃研究会彦根鉄砲隊。 甲斐武田の猛将・山県三郎兵衛昌景の薫陶を受け継いだ赤備の遺伝子が今、関ヶ原以来四百年の沈黙を破って蘇る。 いよいよ、周防長門の人生初となる火縄銃の実演射撃が目前で始まろうとしている。高まる期待。 弾篭め、 かるか棒による突付きの固定、 火縄の準備。 あとは構えて…。 どぉぉぉおおおおおおんッ!!!!!!!! (どぉん、をクリックすると実際の音声・動画を見ることができます!!) 耳を劈く、赤鬼の号砲。約3メートルほどの距離から撮影した筆者でしたが、発射の瞬間に衝撃が下腹へ、頭へ、そしてアスファルトへじぃんと染み込んでいく大迫力!! また、火花散る視覚効果の威力はもちろんですが、鼻を突く火薬の匂いも濃厚でした。 戦国時代に長篠や石山本願寺で、この鉄の体を持つ異国伝来の兵器が雁首揃えて火を噴いた際にも、戦場で同じようにこの匂いがしたのかと思うと感慨も深い。 『撃った後の余韻もたまらないっ!! この、白煙が風に流れるなか直立不動な赤備の勇壮振りが最高!!。』 そして嬉しかったのが、この後の長州岩国藩鉄砲隊保存会・吉川家による続けざまの号砲。 『アナウンスが吉川家を よしかわけ って読んだのが全然… 重ねて念の為言うけども、全然気にならない豪壮振り。 無骨な鉄砲隊に女の子が混じってるのもポイント高い。 さすがは吉川元春の遺伝子、嫁さんが(以下略)だから可愛い子には感覚が鋭い!!』 こちらも、関ヶ原の合戦では見られなかった奮闘振りを今の世で面目躍如する大迫力。 この後、しばらくマーチングバンドや 周防長門も以前訪れた、和歌山は根来寺より根来衆が登場。 かつてあの雑賀孫一と共に織田信長の覇道を阻み、天下に武名を知らしめた鉄炮僧兵軍団・根来衆。 寺領72万石、武田信玄や上杉謙信の最盛期にも匹敵する栄華を今も国宝・根来寺大塔に残し、火縄銃伝来と頒布の歴史に輝かしい功績を残した、戦国歴史Fanには言わずとしれた古豪です。 きっと、他のどの鉄砲隊よりも秀でた実力を持つに違いない―― と、モノローグを挿れたのですが…――こっちは関ヶ原以前に無力化したせいか、馴れてなかったか緊張したのか。 比較的年輩の方が多かった根来衆僧兵に扮するナイスミドルズ、冷静に弾を篭めた… と思ったら、ここで遠慮なしにタイミングずらして連射!!! おかげで、ナイスショットが全然撮れてない。 『…―――思ってたのと違うタイミングでいきなり撃ったもんだから、 びっくりして像がぶれて撮れてしまった…。 けどまぁ、これで都合…一日で三回、十五発の火縄銃実射を見聞した。 祭りの最終まで居残れば、帰りに大渋滞が起きるだろうから…ここが潮時かな。』 あともう一件、堺まつりには鉄砲隊の登場が残っていましたが…―祭り開幕以降、ほぼ歩き通しの強行突破だったため、ここで疲労がピークに。時計も既に三時半を過ぎており、祭りも最後のフィナーレの予感。 こんだけの規模のお祭りが終わるまで街中に居残っていたら、まず間違いなくこの近辺は大渋滞になります。そんな最中に強行軍で突破なんか試みたら、最悪…阪神高速道路で討死しかねません。 こういうときは敢えて早く帰ろうとせず、混雑のピークが緩む時刻まで時間を潰すに限ります。 前回時間切れで訪れることが出来なかった、綺麗と評判の夜景…――堺市役所最上階から一望出来るという街の燈のキラメキを最後に堪能することに。 昼間の疲労感が残る体が癒されるように壮観な夜景を楽しんだところで、時計は夜の9時過ぎ。 本来の目的――…火縄銃の実演射撃はたっぷり堪能しましたし、ここで再び周防長門は愛車の待つ駐車場へ舞い戻り。また一歩、戦国歴史通の経験値を積んで徳島に戻ることになりました――…。
『そりゃあもう、びっくりするような爆発音と衝撃だった。、 あれを千本単位で揃えられて、一斉に撃たれたら…たとえ山の上でも 生命の危険は感じたのと違うかな。裏切りの踏ん切りもつくってもんだ。 …って、なにその新聞紙。』
『…うそん。徳島県民なんだけどそんな話 全然聞いてねぇえええ!!!!』 とまぁ、実はもっとよく郷土の新聞に目を通していれば、わざわざ燃料費と高速運賃ださなくっても地元で火縄銃の実演射撃が見られたというオチをつけて、今回は〆。 さすがは観光宣伝の拙さと伝わらなさに定評がある徳島県…と呟いたところで…いかがだったでしょうか。 今回は、紙面の上だけのうんちくに終わる戦国歴史知識を活きたものにするため、鉄炮の歴史も深い大阪府堺市から火縄銃実演イベントの迫力と実体験をお届けいたしました。 郷土の新聞のオンラインや観光課、意外なところでは教育委員会などに問い合わせると今回に周防長門が踏んだオチは回避可能ですし、探してみると案外『あれ?』っていうような催し物や団体行事で火縄銃は祝砲替わりに撃たれているので、興味のあるかたは探してみては如何でしょう。 この記事に関する感想・お問い合わせは掲示板かメールアドレスまでどうぞ。 |