炸裂!!火銃の号砲 

- 堺まつり鉄炮編 火縄銃の爆音は実際すごいのか? -  


  ■謝辞


 このたびは、長らく間が開いたにも拘らず『れきたん』新作の
閲覧においで頂きありがとうございます。

 ここ暫くは背後事情その他でなかなか歴史巡りの旅にも出ることがかなわなかったのですが、
皆様の御愛顧によりいくばくかの資金を得て、久方振りの旅に出ることが出来ました。

 今後も当HPを御贔屓のほど、宜しくお願いいたします。

           
 『れきたん』文責・担当者  周長門




  時は1600年(慶長五年)9月15日、ところは美濃国(現岐阜県南部)・関ヶ原。
 亡き太閤・豊臣秀吉の甥である小早川秀秋は、陣を張る松尾山で悩みに悩んでいた



 今、まさに眼下で繰り広げられている天下分け目の大戦・関が原の合戦における自身の旗色を、いくさが始まってもなお踏ん切れなかったからである。


 西軍の総帥・石田三成からは『豊臣秀頼が成人するまで関白の座』を、徳川家康からは大幅な所領増大を約束されているが…見た感じ、戦線はまったくの互角。どちらに味方しても、貧乏くじをひく可能性は大いにあった。




 『わ、儂はどちらの味方をすれば良いのじゃ…』






 
そんな優柔不断な秀秋の態度に、ある家臣は豊臣家への忠誠を説き、ある者は今徳川軍に寝返れば勝利は間違いなしと言う。いよいよ秀秋の思惑は混乱した。


    

 
『ええぇぃぃ!! 秀秋のぼんくらは何を迷っておるのじゃ!!!』

 怒ったのは徳川家康である。事前に秀秋からは西軍を見捨てたも同然の約束をとりつけており、彼さえ動けば膠着した戦況は一転、家康の宿願であった天下人の座は掴んだも同然となる。
 "忍耐の人"というイメージはあるが実は気が短い徳川家康、いよいよ秀秋の態度に我慢がならなくなった。まだ勝ち馬を決めかねて迷っているのなら、その返事を催促してやろう。


 
『小早川軍が陣取る松尾山に向け、鉄炮を撃ちまくってやれ!!』

          

 家康が怒鳴ったのと同時に響き渡る、すさまじい大音響!!!

その轟音に命の危険を感じた小早川秀秋は、怯えながら采配を振り回し全軍突撃の指示を出す。

 松尾山を駆け下りて行った小早川軍一万五千は、石田三成が頼みとする精神的支柱・大谷吉継の軍勢へ向かって突撃!!

 この瞬間、徳川家康の勝利と石田三成の敗北は決定的なものになったのである――。







『…――って、言われてもなぁ。なんか嘘臭くないか?

 いくら火縄銃がすごいって言っても、そんな遠くまで聞こえるだろか?




(筆者の兄・サイコガンダムMK-38
 仕事で日本中を忙しく飛び回るかたわら、姫路城や二条城といった名城を巡るのがすきという歴史趣味があり、しばしばこういった素朴だが現実的な疑問を投げかけてくる人物である。

 筆者、小首を傾げて返答)



『…――まぁ、最近のマシンガンみたいに静かじゃないわな。
    たまに国際ニュースで見聞きするけど、あのミシン音みたいな奴。』






『当時の火縄銃って、鉛弾詰めて火薬に火ぃつけてドカンだろ。
 喧しいったって、命の危険感じるほどうるさいはずないだろ。






『……―――まぁ、よっぽど大きい音だったんだろうなぁ。
 消音機能とか、なさそうだし…。』







『…――あれ。お前ひょっとして…歴史痛とか言ってるのに、
 
火縄銃の実音と実写、見聞きしたことないのか?




『…―――あッ!?!』





 …と、奇妙キテレツなアバンタイトルが終わったところで久々の『れきたん』。

 今回は、歴史痛にあるまじき『火縄銃の実演射撃を見たことがない』という事実が発覚した赤髭こと周防長門が面目躍如と捲土重来を一緒くたに兼ねて、鉄炮の轟音もとめてひと思案。


 さっそく、戦国歴史的にも火縄銃とゆかりが深そうな地域について調査します。とは言っても、近頃では手元不如意になった手前もあって大掛かりな旅は出来ません。



『……――火縄銃と言えば紀伊和歌山の雑賀衆
 近江国友の鉄炮鍛冶、わすれちゃいけない種子島。

 色々思いつきはするんだけど…―ちょっと遠いのがなぁ。


 幾ら戦国歴史探求の好奇心や行動力が旺盛でも、無い袖は振れません。
…――ですが、なんと言っても日本はここ数年、衰えを見せない戦国時代ブーム。

 なにも火縄銃ゆかりの地へわざわざ遠く足を運ばなくても、町おこし系のイベント情報を鵜の目鷹の目で漁れば、案外といきあたるものなんです。火縄銃の実演射撃は、そういった催しもので祝砲代わりにぶっぱなされることが多い。

 見たこと無いくせにそういうことだけはしってる周防長門…―これまで培ってきた戦国歴史探訪の記憶が、ある心当たりへすぐに行き当たります。





 『……――そうだ、大阪府の堺市を忘れてた。

 前に訪ねていったときには、火縄銃を手に持つ経験が出来たけど。
 肝心の、撃ってるとこを見てなかったなぁ。
 確か、堺市はけっこう規模のでかい町おこしイベントがあるんだっけな…
 検索、堺市、町おこし…っと。




   

  
 
はい。…2012年で39回目を数える歴史由緒も深い町おこしイベント『堺まつり』が即座にHit。

 今回のテーマは『1600年の堺遺産』。国際色豊かな貿易都市だった堺の町の歴史を大パレードのテーマに、古墳時代から明治近世、現代に掛けて織り成された歴史物語を仮装行列に乗せて練り歩くわけですが…さてさて、そのプログラムに目を通してみれば。

 さすがは戦国時代にその名を世に知らしめた堺だけあって、
火縄銃の祝砲が合計五回もぶっぱなされるということが判りました。

 
ついでに言えば周防長門の本拠地・徳島からも『三好長慶会』が三好一族と堺幕府行列で参加。地元の人間は全然知らなかったという罠、もっと宣伝してよって感じです。(;ノヮT)





 『……――さすがは観光宣伝のマズさと下手さに定評のある徳島県。
  そんなんだから、四国地方最大の祭りという称号を阿波踊りから
  高知県のよさこい祭りにかっさらわれるんだよ、ったく…。』





 この筆者の見当違いな痴が後日、とんでもないオチをもたらすのですが…今はおいといて。


 周防長門は久々にホンダ・ステップワゴンのハンドルを握り自宅を出発。鳴門北ICより神戸淡路鳴門自動車道へ乗り、鳴門大橋から四国を脱出。




 もはや定番となりつつある淡路島を経て、大阪府を目指します。





 とは言え、無理な強行軍はドライバーにも車にも良くありません。途中、ひそかに総施設売り上げが日本屈指という淡路SAからハイウェイオアシスに立ち寄り、休憩。

 道路情報を良く確認した上で、再び堺を目指して出発したのですが──…。




 ここで堺まつりのHPを再確認したときに気づいてしまった、堺まつり運営による駐車場

 堺まつりは催し物参加者が異常に多いため、一般見物客へは最寄駐車場の使用を規制し、シャトルバスを出すことで遠回りを要請していたのです。この情報を見逃したがために、周防長門はとうとう祭りのオープニングに間に合いませんでした。

 事前情報確認の拙さが響くタイムリーエラー。




 『……――しかもそのシャトルバスが超満員御礼。
  結局、タクシーのドアを叩いて堺まつり会場に向かったわけであり…

                    
 (某オレンジロードの春日恭介風の語り口調で)




 ただ、悪いことばかりというわけでもありませんでした。


 たまたま選んだタクシーの運転手が堺祭りが一番見やすいという絶好のポイントである歩道橋の場所を良く知っており、そこへ案内してくれたからです。


 さすがは観光客慣れした堺、ちょっと振り向いてみただけの異邦人(古いな)に対する気遣いも抜群です。





…――もっとも、その歩道橋には堺市が派遣した交通整理員が居て
『歩道橋の上では立ち止まらないでくださぁあああぃ!!!』

 とか言ってたわけですが(泣。






 なんだかんだで、やっとこさ到着した堺まつり。…さっそく、火縄銃を拝見…と、意気込んではみたけれど。









 朝鮮通信使の皆さんが通り過ぎたり。


























 バンカラとか口走りそうな古風な学生さんが通り過ぎたり。
















 ハイカラさんが通ったり。
       (さっきからいちいち古いなネタが)



 なっかなか、意中の鉄砲隊に遭遇できません。


 さすがは歴史由緒の古い堺の町。

 これは長丁場だなぁと、人込みを掻き分けながら時間つぶし。

 ザビエル公園で展開されていた刃物市や異国情緒たっぷりな世界の料理屋台とかを巡って、
 片側四車線をほぼ歩行者に解放したにも関わらず敢えて路側帯で渋滞する、大阪府民の律儀さを眺めていたら――。





          


  やっとこさ、火縄銃をひっさげた赤備え集団を発見!!





 『……――緋色一色に揃えた赤備えの鎧兜に、井桁の軍旗。
  ぉをう、滋賀県彦根は"ひこにゃん"のお膝元から、井伊の赤鬼がお出ましだ

                     




 正確には、彦根商工会議所青年部・古式銃研究会彦根鉄砲隊。
 甲斐武田の猛将・山県三郎兵衛昌景の薫陶を受け継いだ赤備の遺伝子が今、関ヶ原以来四百年の沈黙を破って蘇る。

 いよいよ、周防長門の人生初となる火縄銃の実演射撃が目前で始まろうとしている。高まる期待。


弾篭め、

       
        かるか棒による突付きの固定、


              
                火縄の準備。

                      
                      あとは構えて…。



     


      どぉぉぉおおおおおおんッ!!!!!!!!
      (どぉん、をクリックすると実際の音声・動画を見ることができます!!)



             


  耳を劈く、赤鬼の号砲。約3メートルほどの距離から撮影した筆者でしたが、発射の瞬間に衝撃が下腹へ、頭へ、そしてアスファルトへじぃんと染み込んでいく大迫力!!

 また、火花散る視覚効果の威力はもちろんですが、鼻を突く火薬の匂いも濃厚でした。

戦国時代に長篠や石山本願寺で、この鉄の体を持つ異国伝来の兵器が雁首揃えて火を噴いた際にも、戦場で同じようにこの匂いがしたのかと思うと感慨も深い。


 

 
『撃った後の余韻もたまらないっ!! 
  この、白煙が風に流れるなか直立不動な赤備の勇壮振りが最高!!。』


    




      



 そして嬉しかったのが、この後の長州岩国藩鉄砲隊保存会・吉川家による続けざまの号砲。



 『アナウンスが吉川家を
 よしかわけ って読んだのが全然…

 重ねて念の為言うけども、全然気にならない豪壮振り。



  無骨な鉄砲隊に女の子が混じってるのもポイント高い。
  さすがは吉川元春の遺伝子、嫁さんが
(以下略)だから可愛い子には感覚が鋭い!!』














                  

 こちらも、関ヶ原の合戦では見られなかった奮闘振りを今の世で面目躍如する大迫力。


               

 この後、しばらくマーチングバンドやディズニー世界一著作権にうるさいアメリカの鼠によるパレードが続いたのち…周防長門、本日最後の贅沢…根来史研究会・根来鉄砲隊の皆さんが登場。

          



 周防長門も以前訪れた、和歌山は根来寺より根来衆が登場。

 かつてあの雑賀孫一と共に織田信長の覇道を阻み、天下に武名を知らしめた鉄炮僧兵軍団・根来衆

 寺領72万石、武田信玄や上杉謙信の最盛期にも匹敵する栄華を今も国宝・根来寺大塔に残し、火縄銃伝来と頒布の歴史に輝かしい功績を残した、戦国歴史Fanには言わずとしれた古豪です。

 きっと、他のどの鉄砲隊よりも秀でた実力を持つに違いない――

 と、モノローグを挿れたのですが…――こっちは関ヶ原以前に無力化したせいか、馴れてなかったか緊張したのか。







 
 比較的年輩の方が多かった根来衆僧兵に扮するナイスミドルズ、冷静に弾を篭めた…


      

        と思ったら、ここで遠慮なしにタイミングずらして連射!!!




                    

 おかげで、ナイスショットが全然撮れてない。


…―――思ってたのと違うタイミングでいきなり撃ったもんだから、
   びっくりして像がぶれて撮れてしまった…


 けどまぁ、これで都合…一日で三回、十五発の火縄銃実射を見聞した。
 祭りの最終まで居残れば、帰りに大渋滞が起きるだろうから…ここが潮時かな。』


 あともう一件、堺まつりには鉄砲隊の登場が残っていましたが…―祭り開幕以降、ほぼ歩き通しの強行突破だったため、ここで疲労がピークに。時計も既に三時半を過ぎており、祭りも最後のフィナーレの予感。

 こんだけの規模のお祭りが終わるまで街中に居残っていたら、まず間違いなくこの近辺は大渋滞になります。そんな最中に強行軍で突破なんか試みたら、最悪…阪神高速道路で討死しかねません。





 こういうときは敢えて早く帰ろうとせず、混雑のピークが緩む時刻まで時間を潰すに限ります。





 前回時間切れで訪れることが出来なかった、綺麗と評判の夜景…――堺市役所最上階から一望出来るという街の燈のキラメキを最後に堪能することに。













 昼間の疲労感が残る体が癒されるように壮観な夜景を楽しんだところで、時計は夜の9時過ぎ。


 本来の目的――…火縄銃の実演射撃はたっぷり堪能しましたし、ここで再び周防長門は愛車の待つ駐車場へ舞い戻り。また一歩、戦国歴史通の経験値を積んで徳島に戻ることになりました――…。








             



『…――へぇ、火縄銃の実演射撃見るために、堺までいったんか。
 で、どうだったよ。
小早川秀秋をびっくりさせた鉄炮の轟音いうのは。





そりゃあもう、びっくりするような爆発音と衝撃だった。、
   あれを千本単位で揃えられて、一斉に撃たれたら…たとえ山の上でも
  生命の危険は感じたのと違うかな。裏切りの踏ん切りもつくってもんだ


                  …って、なにその新聞紙。』



『…先月末の徳島新聞
 
なんか、三好市の方で今月に鎧武者行列があるらしいんだけど、
 そこで鉄砲隊
二十人を招いた火縄銃実演をするらしいぞ。




『…うそん。徳島県民なんだけどそんな話


 全然聞いてねぇえええ!!!!




           


               
   
 とまぁ、実はもっとよく郷土の新聞に目を通していれば、わざわざ燃料費と高速運賃ださなくっても地元で火縄銃の実演射撃が見られたというオチをつけて、今回は〆。

 さすがは観光宣伝の拙さと伝わらなさに定評がある徳島県…と呟いたところで…いかがだったでしょうか。


 今回は、紙面の上だけのうんちくに終わる戦国歴史知識を活きたものにするため、鉄炮の歴史も深い大阪府堺市から火縄銃実演イベントの迫力と実体験をお届けいたしました。



 郷土の新聞のオンラインや観光課、意外なところでは教育委員会などに問い合わせると今回に周防長門が踏んだオチは回避可能ですし、探してみると案外『あれ?』っていうような催し物や団体行事で火縄銃は祝砲替わりに撃たれているので、興味のあるかたは探してみては如何でしょう。

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