明智 - 最後の十一日間 -  



京都市中央区・本能寺本堂

■歴史観光名所をするにあたって、やってしまいがちかつありがちな『期待外れ・骨折り損のくたびれもうけ』。それを率先してやってしまおうがコンセプトである『れきたん。』。


 第一回から三回までは、地方の歴史観光名所…当たり外れが大きい、期待と落胆のふり幅がかなりきわどい場所ばかりを御紹介してきました当ブログですが、今回は…"ついに!!"といおうか、"やっとか!?"といおうか、歴史観光の一大拠点・京都編をお送りいたします。


     今回の旅予算は五万円 車中泊も含む貧乏旅行です
     芸妓と しっぽり なんて夢のまた夢でした
     
     スーパーコンパニオン、よしんば芸子にみっちり 
     冷たい視線で罵倒してもらうだけで
     
     予算オーバーしてしまいそうです
     
     まぁそんなコースがあれば やぶさかではないですが


 さて。そんなわけで。『京都総力特集!!』とか銘打った旅行案内雑誌を開けば、目に飛び込んでくるのは魅力的な観光名所ですよね。

 そのどれもが、一言では語りつくせないほど魅力的なスポットばかりなのですが…今回私が注目したのは、とある人物が辿った栄光と挫折の軌跡です。

 その人物の名は、明智日向守光秀

 歴史の教科書でも超おなじみの大事件、今まで数多の歴史人達が心惹かれたであろう『本能寺の変』を皮切りに、彼がたどった足取りを順番に追いかけようという企画を立案。



 世の中の需要やブームをふりちぎって、今の季節の京都でなんで坂本龍馬を企画しないとか御意見ごもっともですが、このさいそれは置いときましょう。


 家紋ブームで言えば、光秀も龍馬も同じ桔梗紋ですし構やしません。




 題して『明智光秀最後の十一日間』。
 悲劇の名将・明智光秀が本能寺の変で信長殺しの謀反人となり、その汚名を返上できないままに終えてしまった生涯最後の十日間の足取りを追跡し、ご紹介していきます。



■@今回の旅は、兵庫県西宮市から

兵庫県に住まう支援者の方の御好意でホンダ・ステップワゴンを借り受けて出発です。前回の徳島県では奥祖谷の道の荒さ・険しさには心身ともに大きく疲労しましたが、今回の旅は移動の大半が都市部の高速道路。少し大きめでも、後部座席で休憩できる車がありがたいです。名神高速道路西宮Icから東進、吹田Jctを経由して京都南Icを目指します。

□途中休憩を取るならサービスエリアは吹田SA、パーキングエリアは桂川PAがある。どちらも大都会・観光先進府県の高速道路だけあって大規模ですが、桂川PAでは買い物や軽食も可能。駐車場もかなり多く、車中宿泊を予定している方はお勧め。今の季節だと京都も夜は涼しくなっているので、窓を開けたら仮眠くらいは出来ます。

 え、そんなに軽食と広さのあるPAが珍しいかって?

 ふふ、田舎の高速道路のパーキングエリアにあるのは駐車場と自販機一台だけ、なんてのは当たり前なんですよ?



■A京都南ICを降り、国道1号線を北上。国道9号線か京都縦貫自動車道沓掛Ic方面を目指しますが、沓掛Icに入らずそのまま9号線を北上して亀岡市を目指します。

 目的地は、丹波亀山城跡。明智光秀が本能寺の変を起こす直前に居城としていた城です。

■B丹波亀山城跡。1582年5月26日、明智光秀は信長に中国へ出陣している羽柴秀吉の援軍を命じられ、この丹波亀山城に入りました。その日の晩、娘婿の明智秀満・家老の斎藤利三らに信長への反逆を打ち明け、覚悟を決めたのです。



[アクセス]
JR嵯峨野線 亀岡駅から徒歩で、もしくは京都縦貫道・亀岡ICから車で。亀岡高校がわかり易い目印。

【住所】京都府亀岡市荒塚町内丸1-1

 城跡周囲は一車線強の狭い路地。京都府立亀岡高校の通学路にもなっているため、運転の際は要注意を。駐車場は近辺には無いが、亀岡駅前から歩き、もしくは図書館中央館の有料駐車場があるので、そこを利用すると良いだろう。

 現在、丹波亀山城跡は宗教法人『大本』の聖地・大本天恩卿となっている。

 本丸跡は同教の聖地となっているため立ち入り禁止だが、石垣の見学などは大本の受付で見学申し込みをしている。
 ただし条件として、御祓い?を受けなければいけないので、宗教観に敏感な人は御一考を。

 城跡巡りで気をつけたいのは、こういう風に城跡が個人または団体の所有地になっているケース。

 大本さんのように申込で見学させてくれることもなくはないが、見学料が優しくなかったり、関係者以外立ち入り禁止になっている場合も少なくない。




 やっかいなのは、立入禁止であることに第三者が気づきにくいパターン。
 筆者は一度、関係者と思しき方と距離無制限徒競走をした経験がある。























 [評価] 

見どころ☆★★ …城マニアじゃないならこんなもの。 

期待度☆☆★…苔むした碧緑の石垣は悠久の歴史を感じさせる。 

スリル☆★★…筆者に霊感はない、あしからず。 

バリアフリー度☆★★…屋外なので望むべくもない。



■C亀岡市から国道9号線経由、途中でJR保津峡駅に向けて北上すると、途中にあるうねうねと曲がりくねった山道。これが
老ノ坂

老阪西去備中道(老ノ阪西に去れば備中の道)

揚鞭東指天猶早(鞭を揚げて東を指せば天猶ほ早し)

吾敵正在本能寺(吾が敵は正に本能寺に在り)

 頼山陽詩『本能寺』




この峠を越えると沓掛、京都丹波口・桂川河畔に向かう。
1582年、明智光秀軍一万三千は予定していた山陽道・備中には向かわず老ノ坂を東に向かう。


『敵は、本能寺にあり。』





 現在の老ノ坂峠は当時の老ノ坂峠とは違うルートを走っており、今の老ノ坂トンネルがあるあたりが当時の峠らしい。付近は、クヌギやコナラの木々がうっそうと繁る山深い道。

 近辺にいくつか歴史ゆかしき観光箇所はあるけど、明智光秀関係でないので今回はパス。っていうか私は怖がりなので、心霊スポットとか愉快な場所はサッサと通過する…。


[評価] 
見どころ☆★★…現在は立て看板も無ければ道路標識もない、本当の意味で何もないただの坂。 
期待度☆★★…実質的にはただの道。明智光秀が一万三千の軍勢を連れた峠にしちゃ狭い。 

スリル☆☆☆ …実は老ノ坂峠、怨霊と呪縛の巷・京都でも有数の心霊スポット。昼間でも薄気味悪い山道は、夜通れば恐怖感は倍増! 過去に殺人事件が起きたという廃モーテルの建物が今も有刺鉄線に囲まれて残っており、そこが一番怖いと評判とか。

バリアフリー度☆★★…屋外なので望むべくもない。




■Dさて、今度は国道9号線をぐっと東南進し、JR京都駅へ。
  次に向かうのは本能寺。明智光秀が反逆の狼煙をあげたかつての主君・織田信長が逗留していたお寺なのですが…碁盤の目の様に大路小路が張り巡らされた京都の街中では、駐車場なんてそうそう確保できるものじゃありません。

 ここは潔く、車を一度駐車場に預けて公共の施設を利用しましょう。



 通りに面した近くの建物に『ホテル本能寺会館』とあるのが目印。本能寺はそのホテルの裏手側、下本能寺前町にひっそりとたたずんでいます。

 注意したいのが、本能寺は最寄バス停や京都市役所からは全然見えない、ということ。これは、本能寺が周囲のホテルや商店街にすっぽりと囲まれているため。




 本能寺を発見するには、寺町通りを少し入りこむ必要があります。
表通りからはまったく見えないのですよこれがまた。。
商店街の商店に取り残されたように、ぽつねんとたたずむ本能寺の正門は時代の流れを感じさせる。




 嗚呼、ここであの第六天魔王・織田信長が紅蓮の炎に消えたのかと思うと感慨深いものがある…――だなんて、おもわず司馬遼太郎先生っぽくつぶやいてみたくなります、が…実をいうと。



 今の本能寺は、本能寺の変以降に豊臣秀吉が京の町を区画区画した際に場所を移して再建されたもの。
 当時の本能寺は四条西洞院、本能小学校(廃校)近辺ににあったされる。


本能寺の発掘調査は現在も進行中。最近、『ただのお寺ではなく、堀もあれば塀も門もある立派な要塞だった』ということが明らかになり、新聞紙面を賑わしたことがありました。


 『大本山本能寺』と書かれた巨大な門をくぐると、入って右手側に風情もなくガラス張りが張り巡らされた本能寺宝物庫がある。

 おごそかで霊感的な境内を期待していただけに、うわ。とか思わされる立地条件ではあるけども…。

 境内を拝観するだけならお金はいりませんが、宝物庫を見学するには入館料が必要。

 




 入館料は基本一般は500円だが、やはりそこは修学旅行慣れした京都のこと、中高生は300円・小学生は250円・修学旅行生は200円、とやけに細かい値引きが設定されている。

 また、本能寺の前にある『ホテル本能寺会館』を利用していれば、300円で入れるという素敵な特別値引きもある。商売上手なことだ。

 余談だが、筆者は小学校の修学旅行でこの本能寺会館に宿泊。

 同級生の間で『夜中に廊下歩いてたら信長に会った!!』という小学生らしい嘘が飛び交ったのはいうまでもない。ここじゃ死んでいないのに。



 さて、そんなこんなで宝物庫に視線をやると…今開催されている展示会の題目が、ずばり『本能寺と信長展』。

 これはさっそく見学・撮影してブログを視聴の皆様にも…と、思ったら…入るなりこんな看板と鎧がお出迎え。




 本能寺宝物庫では、写真撮影は厳禁となっているようです、無念。

そこで、入館時に頂いたパンフレットから写真を転載、現在展示されていて見学できたものを回想していきます。



茄子茶入れ唐物。唐物とは中国伝来、茶入れというのは茶道で煎じるお茶の粉末の容器のこと。
表面が色あせているのは、本能寺の変で起こった火災のせいで釉薬が沸いてしまったため。謀反の業火の激しさを物語る。








信長家臣団尾張衆津田氏甲冑。信長の家臣・津田家が使用したという兜。

津田家は信長の親戚だけど、信長の弟を間違って殺してしまって信長を激怒させた信次、
り明智光秀の娘婿になったせいで本能寺の変後に信長の子供から復讐された信澄など、とことん運がよくない家系。




 

信長公愛用とされる茶釜・あられ釜。

 本能寺の変が起きる前日に開催した茶会で、信長はこの茶釜で沸かしたお湯をつかって茶を楽しんだという。
 この茶釜のそばで座っている信長公の姿が浮かぶよう。

 本能寺蔵・織田信長公像。

 パンンフレットが言うには『髭の生えていない信長像は非常にめずらしい』とのこと。

 信長のあだ名は『赤鬼』というのだけれど、こんな顔に
いちいち目くじらを立てて叱責されていたのなら、光秀がきれるのも無理は無い。普通に怖い。

 職員室にこんな人相の先生、昔は必ず一人は居た気がする。

 

  他にも、パンフには掲載されていなかったけど、展示品でも圧巻だったのは『森蘭丸所蔵・陣中太刀』。
背負い太刀と呼ばれる長大な刃渡りのある剛剣で、背中にせおわないと抜くことが出来ないほど刃渡りの長い刀のこと。

 信長公お気に入りの美少年だった森蘭丸が、あんな巨大な刀を持ち歩いて信長につきしたがっていたとは。中の撮影が出来たら絶対に撮ってたんですが…。

 あいにく、明智光秀に関する展示品はありませんでしたが、彼の謀反に大きく影響を与えた張本人ということでひとつ。




【アクセス】
京都市営地下鉄東西線から京都市役所前に降りて徒歩、もしくは市バスで京都市役所前or河原町御池で降り、徒歩で。

【住所】京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本博尅O町522-1 
【拝観料】境内に入るだけなら無料。宝物庫で開かれる展示会などを見学する場合は500円。詳細な値引き設定は記事を参照。


 なお、この宝物庫の展示会は定期的に内容を改めるため、ちょうどその模様替え期間中に来てしまうと何も見られない。先に問い合わせなどをしておくと良いだろう。

【駐車場】
本能寺は境内にちゃんと立体駐車場を敷設している。筆者は借り物の車をそこに放り込む勇気がなかった&知らなかっただけ。

[評価] 
見どころ☆☆★ …あの織田信長が天下布武を前に力尽き…――た場所ではないけど、雰囲気を楽しみたいなら。そうでなければ、京都には山ほどある法華宗寺院のひとつでしかない。なお、本能寺にあるのは織田信長のお墓ではなく供養塔。お墓参りがしたいなら大徳寺総見院(京都市北区紫野大徳寺町、市バスで大徳寺前または建勲神社前)にどうぞ。

期待度☆★★ …宝物庫を見学しなければ、特に織田信長や明智光秀の面影に触れることは出来ない。ちなみに宝物庫見学は、一度チケットを切ってしまうと再入場が不可能。出たらそれでおしまい。 見学前にお手洗いは済ませておきましょう。

スリル☆★★ …くどいようだが筆者に霊感は無い。危険があるとも思えないし。

バリアフリー度☆☆★…車椅子で行けないこともないが、宝物庫の展示会場となる二階に通じるエレベーターは…見た記憶が無い。



■E瀬田の橋。


                    滋賀県大津市・勢田の唐橋。

 近江八景「瀬田の夕照」で名高い日本三名橋の一つ。古くから「唐橋を制すものは天下を制す」と言われ、その橋梁には旧東海道が通っている。


 現在の橋は1979年(昭和54年)に架け替えられたもの。筆者は昼間に来たせいで、評判高い琵琶湖畔の夕陽を拝めなかった。


 本能寺での織田信長殺害に成功した明智光秀は京の町を占領し、ついで織田信長の本拠地だった近江国(現滋賀県)の占領に着手するが…まず最初につまづいたのがこの瀬田唐橋。




 勢多を治めていた山岡家の山岡景隆四兄弟が明智光秀に協力することを拒否、なんと瀬田の唐橋を焼き落として通行不可能にしてしまった。

 明智光秀、豪族クラスのサンピンにすらそっぽを向かれ唖然呆然。


 明智光秀って、本能寺の変以降は本当に何をやっても駄目駄目な運命ばかりをたどるんですよね。
 さぁ、その運の無さを再確認しながら、歯車の狂った三日天下の足跡を追跡してきましょう。


[アクセス]
京阪石山坂本線唐橋前駅から徒歩5分、もしくは京都府道二号線を経由。

【住所】
滋賀県大津市瀬田唐橋町

[評価] 
見どころ☆☆★ …橋から眺める眺めは、天気と条件さえ良ければ絶景になる。今度おとずれるときは水曜どうでしょう的旅じゃなく、ゆっくり計画的に訪れたい。

期待度☆★★ …歴史的な面影は橋の容貌からも伺えるが、風情を楽しめなければただの橋。自動車の通行量も多く、追憶に浸るにはちょっと…ね。

スリル☆★★ …くどいようだが筆者に霊感は無い。

バリアフリー度☆☆★…車椅子で渡れないこともない。


■瀬田の唐橋が復旧し、明智光秀が近江国に到着したのはそれから二日後のことでした。

 五十路を過ぎて天下に王手をかけた老将の瞳に映るのは、かつての主君が天下に比類なき無双の堅城として誇りにしていた安土城。かつての主君が、第六天魔王が目指した平安楽土の象徴を次回は御紹介いたします。

明智光秀 最後の十一日間 【中編】




■前に戻る    トップへ戻る