明智 - 最後の十一日間 -  



1582年6月4日、やっと瀬田の唐橋を復旧させた明智光秀。本能寺で討ち滅ぼした主君・織田信長の居城であり、織田家の象徴でもあった安土城へと入城します。

 けれどだけども、だがしかし。
ここでも光秀は大きなポカをやらかしてしまう。

それは、織田信長の遺族を捕らえることに失敗したこと。
本能寺では織田信長を寺ごと灰にしてしまい首級を見失うというヘマをやらかしたばかりの光秀、
今度は信長の家族をまんまと逃がしてしまったのです。

明智光秀の不運と詰めの甘さは、ここでも天下に露見してしまう。

 失態続きに憤懣やるかたない明智光秀でしたが、気を取り直し。

安土城内に残されていた莫大な財宝を家臣郎党で分け合うと、佐和山城・長浜城といった近隣の城を攻め落とし、味方になりそうな武将達をかきあつめようとします…。


□@前回最後の通過点だった瀬田の唐橋がある県道2号線を東進、神領交差点経由で県道57号線を南進。名神高速道路瀬田西ICから高速を東へ。竜王Icを降り、国道447号線北進。西横関交差点で国道8号線に東進。

近江八幡市を過ぎて安土町の西生来町交差点で県道201号線を北上。JR安土駅が見えてきたら、道路標識を見誤らなければ安土城跡に辿りつけます。

安土山

今では何のへんてつもない小山ですけど、かつてはこの山の間際に琵琶湖畔があり、山の頂には七層五階建ての豪奢絢爛な巨城・安土城がそびえたっていたわけです。









                                                        山の麓にある看板。安土城の歴史が書き記されているほか、安土城近辺の案内図も兼ねている。

この看板を見て、遠巻きに安土山を眺めているぶんにはお金は要りません、が…。







 現在、安土城跡を管理している総見寺の境内に入るには入山料として500円が必要。

 総四百数十段ある、安土城天主閣跡まで続く石段の麓からの眺め。

 手前に映っている木の棒は、総見寺が無償で貸し出している杖。
足腰に自信が無ければ、この杖を借りておくのが無難。









 なにせこの石段、一段一段の段差がわりと高い!

筆者の足は決して長くはないけども、一段あたりの高さが脛の半ば以上はあったから、一段あたり30〜40p、場所によってはそれ以上あったんじゃないかと思われ。






 織田信長は、自分に会いに来た客や家臣たち全員に、こんなアホみたく高くて長ぁーい階段を登らせたんだろうか…。

 織田信長を無神論者たらしめる証拠、石段に残された石仏。


説明文ともども、石段に溶け込んでいるため、良く見ないと踏んづけてしまうかも。

 







 織田信長が安土城を作る際、近隣の寺や路傍に残された石の仏像を徴収、石材として扱ったもの。

参拝客達が小銭を置いてあるのは、お賽銭のつもりなのだろう。

 








さて、肝心の安土城はどこなんだとお思いの方。


 安土城は明智光秀の時代が終わって間も無く、原因不明の大火事で燃えてしまったんですよ。




 だから、今はなぁーんにも残っちゃいません。あるのは、どこまでも続く石段と石垣の跡。



当時の面影を偲ばせるのは、信長が安土城内に法華宗寺院・総見寺を建立した際、甲賀から移築させた三重の塔と山門だけ。

ちなみに、総見寺の御神体は織田信長本人だったらしい。

 

 







 織田信長廟。

安土城内で、織田信長の御霊を祀る場所。

このへんだけ、なんか空気が違う…。

 廟は原則非公開であるため、接近できるのはここまで。








木の格子戸には参拝客が置いたのだろう、小銭が数枚。
私も、成れないステップワゴンでの貧乏旅行が無事終わる様に願って…五円玉を置いてきました。

 まぁ、信長公も初対面でいきなり交通安全を祈願されても、困ったでしょうけどもね…。




 明智光秀も、その巨大さと広範囲にはきっとため息をついただろう安土城。

 もう一度麓に帰ってきた頃には、足も膝もがくがくになっていたのは言うまでもありません。

運動不足…。

 







A石垣と跡ばかりの安土城というのも何なので、近くにある安土町城郭資料館へ行ってみました。


 1/20スケールの安土城ディオラマが見物の、小さな資料館。

入館料は大人200円とお手軽価格。

この安土城模型、真ん中から真っ二つに割れるのが特徴。








 
城のどまんなかを吹き抜けにして宝塔を据え、その真上に
宙吊りの能舞台を設置する。

時代を超越し、革新的な考えの持ち主だった織田信長の思想が五百年の時を超えてよみがえります。

 





そのほか、こまかな部屋の間取りまで緻密に再現された城内の様子を間近に楽しめる。


内部にはこのほか、戦国武将グッズの製造・販売を手がけるしょうぶ屋さんが支店を出していたり、ちょっとした喫茶店が経営されていたりと、しゃれた雰囲気を楽しむこともできる。

明智光秀グッズが見当たらなかったのは、やっぱり彼が織田信長殺害の下手人だからだろうか…。




安土城跡

住所・滋賀県安土町下豊浦
駐車場・あり/無料・ただし花見期間中は有料。
入場料・麓から眺めるだけなら無料・総見寺内・城内跡を見たいなら500円

[評価] 
見どころ☆☆★
期待度 ☆☆★ 
スリル  ☆☆☆ 
バリアフリー度☆★★

総合評価 オススメ!


安土町城郭資料館

住所
・滋賀県安土町小中700
駐車場・あり/無料
入館料・大人200円

[評価] 
見どころ☆☆☆ 
期待度☆★★
スリル★★★
バリアフリー度☆☆★

総合評価 一見の価値あり。 
織田信長の知識に自信がある人は、全二十問ある織田信長検定に挑戦してはいかがだろう。




1582年6月8日、明智光秀は安土城から近畿各地の武将達に手紙を書き書き。


内容は当然、『自分に味方しろ』というもの。
けれど、主君殺しの大罪人である光秀に協力する者はわずかだった。

娘婿だった丹後の細川忠興は光秀の罪を批難して協力要請をはねのけ、
与力で友人だった大和の筒井順慶もまた光秀の頼みを黙殺。




あせり始めた明智光秀。
そして、ここでも不運。ダメを押すかのように、信じられない急報が届く。

『播磨の羽柴秀吉が、ものすごい勢いでこっちに戻って来ている!!』


あわてた明智光秀、安土城を飛び出した。
向かった先は比叡山のおひざもと・坂本城。


そこは琵琶湖西岸に位置する、かつての居城だった地。

明智光秀が、織田信長からはじめて貰った城だった場所…。



■Bというわけで、次に向かうのは坂本です。

JR安土駅前から県道201号線を南進、西生来交差点から国道8号線に入り、西進。
西横関交差点から国道447号線を南進、名神高速道路竜王Icから瀬田西Icを目指します。

瀬田西Icを降りたら、県道57号線を北上・神領交差点を左折し再び瀬田の唐橋を渡り、橋を渡りきった直後の
唐橋西詰交差点を右折し国道422号線を北上。そのまま道なりに琵琶湖南岸の道を進み続ければ
大津港口交差点、そこを直進すれば国道161号線。

あとは、その国道161号線をひたすら北上。石川町交差点を抜けてしばらくすれば、道路右手側に『坂本城跡』と大書された石碑があり、その脇から駐車場へと続く小道がある。


 石碑は大きい割りには判りにくい位置にあるため要注意。

石碑を通り過ぎてしまったら、もう少し進んだ先の道路左手に
牛丼チェーン店のすき家さんがあるので、その駐車場を利用して道路を反転すればよい。








っていうか、私のその日の昼食はそこのすき家で頂きました。



牛丼


吉野家に勝利した実績と味のハーモニー、650円。

 

何が悲しゅうて、京都まで弾丸ツアー組んで昼飯が牛丼なのだろう。


 京都といえば湯葉、湯豆腐といった京料理に舌つづみを打って当然だろうに。

っていうか坂本は滋賀県だが、滋賀なら滋賀牛とかおいしい郷土料理もあったはずだ。

何が悪いっていうんじゃない。みんな貧乏が悪いんです。
貧しさに負けた。いえ、世間に負けた。


すみません、今の部分はオフレコでお願いします。



さて、気を取り直して…坂本城跡に御案内。

 といっても、城跡としての規模は安土城とは月とすっぽん。

 城の遺構どころか石垣すらない。本来の坂本城の遺構はそのほとんどが住宅街になってしまったせいで、学術調査もなかなかできないんだとか。

見た感じ、普通の緑地公園でした。

琵琶湖畔の波打ち際に整備された芝生と、遥かかなたまで続く琵琶湖の水平線が美しい…けど、歴史情緒はあんまりない。


 公園内にひとりたたずむ、明智光秀の石像。

坂本城なら、娘婿の明智秀満もぜひ一緒に並べてほしかった・・・。












その傍らには、町おこしの材料としたかったのだろう、地元の
まちづくり推進協議会が建立した説明書きの石碑がぽつり。








 




 しかもその石碑、明智光秀と坂本城の関係は書いてあっても『坂本城が何なのか』といった具体的説明がまったく書かれていないので、風情を楽しもうにもてだてがない。


犬糞の匂いが厳しい芝生と、琵琶湖の波の音が聞こえるばかり。

 

本気で明智光秀ゆかりの地として売り出したいのだろうか、坂本町は。


きょうび坂本といえば龍馬だが、こんな半端な光秀アピールならば
まだ龍馬にこじつけた方が儲けられそうなものだと思う。


ちなみに、坂本城は当時のキリスト教の修道士達が『安土城の次に有名で華麗』と記録に残すほどだから、
当時はこの何もない緑地公園に、壮大な水城が建っていたのだろう。

さっきから 








だろう だろう ばっかですが、残ってないから仕方ない。
苦情お問い合わせは最寄の民○党窓口までどうぞ。


まぁ、秀吉との対決が迫りつつありシリアスな顔してる明智光秀の姿を思い浮かべれば少しは溜飲も下がります、か…。

 安土城からはけっこう長い旅路だったんだけれど、正直…これはちょっと骨折り損。




坂本城跡

住所・滋賀県大津市下阪本3
駐車場・あり/無料
入場料・無料

[評価] 
見どころ☆★★ 
期待度☆★★ 
スリル☆★★
バリアフリー度☆☆★

総合評価 いまいち。わざわざ見に行くほどでもない。





1582年6月9日。明智光秀は超あせっていた。秀吉が戻って来てるらしいと聞いたからだ。

頼みの綱は、丹後の細川忠興とその親父・幽斎、そして大和の筒井順慶。

どちらも明智光秀とは仲が良く、忠興に限っては自分の娘を嫁にやったほど。

その二人が、どうしても協力要請になびいてくれない。
忠興は嫁を監禁して絶好をアピール、そして順慶は知らぬ顔。


結局、味方も兵士も集められないうちに時間だけは過ぎ…秀吉が大阪の尼崎まで戻って来たと報告を受ける。

 

やべえ。秀吉早い。早い上に兵力も味方も多い。 こっちは味方は少ないし兵力もない。


明智光秀、細川忠興と筒井順慶に助けを求める。
既に書状の文面は半泣きだ。

天下はおまえらにくれてやる、俺は引退するから助けてくれ』とまで書いた。

 

けど、忠興と順慶は動かない。


いよいよ明智光秀の尻に火がついた。
覚悟を決めた光秀は、決戦の地・山崎は天王山を目指します。



かくして1582年6月13日。羽柴秀吉軍約四万と明智光秀軍一万六千は天下分け目の戦いに望むことになった。

世に言う『山崎の合戦』である…。

 

■C次の目的地は山崎。坂本城跡を出て、国道161号線を南進、そのまま国道1号線へと入る。 
そのまま道路標示を根気良く眺めつつ、JR京都駅を目指します、が…。

ここで一日目がタイムアップ。京都駅近くに予約しておいた京都第一ホテルさんへ。

疲労しきった体をひきずりチェックイン、部屋に入ると同時にぐったりと…。



 ちなみに、今夜宿泊する宿を決めたのは旅行出発の
           (あ、バカだ。このひとバカなんだ。とか言わない。指差さない。)

いやぁ、焦りましたよあの夜だけは。


下手したら…

残暑の蒸し暑さが厳しい京都の夜を、車中で切り抜けなきゃいけなかったですから。





電波少年じゃあるまいし、いきなり前日に電話なんかしたって
予約なんてあるわきゃァありません。



結局、ネット検索の『旅窓』で滑り込み予約しましたよ、ええ。


  この土壇場で良く、5300という格安予約が取れたもんです。



まぁ、ビジネスホテルですから
風情ある京都の雰囲気も楽しめなきゃ
京料理も食べられないですが…。




仲居さんの奇襲もないし、
何よりインターネット回線が常備されてるのが強み。






 …え、何。


なんで京都まで来て、ビジネスホテルなんか泊まるんだって?


そりゃあ私だって、風流に旅館で泊まりたいです。京料理食べたいですよ。
何なら滋賀県の草津温泉やら雄琴温泉で泊まるっていう手もありましたよ。


 とくに雄琴は良い。 あの温泉街には夢があります。主に男の欲望番外地的意味で。お値段、下は16000円から上は限りなく。
まぁ、30000円もあれば桃源郷を楽しめるというんですから…



この素敵な夜景のもと、京都の芸妓さんに匹敵するような

可愛いおねーたんと一緒に

トランクス一つだけで浪漫飛行へ In The Sky★






是非泊まりたかったです。こんな機会めったにないんですから。


  けど、高速道路料金(実は土日じゃないのでかなりの激痛)がそれを許してくれんかったとです。


既に予算50000円のうちの1/3近くが交通費でとけてるんだってばよ!!





なんで土曜日日曜日に休みどころが巡ってこないですか。


 よし、今度の七夕様の短冊には、『やせたい』じゃなくって『お金欲しい』って書こう…。

幸せって、歩いてこないものらしいですが、私は待ちます。他の誰かにあなたがふられる日まで。AHAHA。゚+.(゚∀゚*)。+.゚

 へ、何。今日が何年何月何日かって?
あったりまえのこと聞かないでください、昭和五十五年でしょう?
あぁ、そろそろ八時だョ全員集合がありますね、いそがなきゃ



ん、なんですかそのトンカチは。

                               ぅぐぅ。


----( チャンネルはそのままでお待ちください。 れきたんチャンネル )----











----( 二日目 )----


…あれ、なんか寝ぼけてて…ぶっちゃけちゃいけないことをぶっちゃけた気がしますが。
どうしたんでしょう。なんか読者様からの視線が痛い。


まぁ、きっと気のせいでしょう。
気を取り直して、二日目です。

 


ホテルを出たら、JR京都駅前にうなるほどある駐車場に車を放り込んで、京都駅構内へ。
 
次の目的地は山崎なんだから、名神高速道路を使えば良いのに。と思われるかもですが、
次の次が長岡京市勝龍寺で、どちらもJR京都線を駆使すれば非常にわかり易いためです。


JR京都駅からJR京都線に乗り、山崎駅で降りる。ここからはちょっとしたウォーキングになります。

きつい上り坂の山道なので自転車などを用いるより、素直に歩いた方が良い。

山崎駅から約2`の道のりを歩き、天王山山頂を目指す。

…山頂まで足がたどりつけば、素晴らしい眺めを堪能できる。

かつては天下分け目の天王山も今はハイキングコース。二人の武将が運命をかけて戦った山崎の地が一望できる。















山崎・天王山

住所・京都府大山崎町大山崎
駐車場・無料
入場料・無料

[評価] 
見どころ☆☆★
期待度☆★★
スリル☆★★ 
バリアフリー度★★★

総合評価 眺めは良いけど、ウォーキングに慣れていなければかなりの道のり。覚悟してどうぞ。

明智光秀 最後の十一日間 【後編】





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