天下人をて!! - 雑賀孫一と雑賀・根来衆 -  







■【前回のあらすじ】

 大河ドラマ『江』の主人公・江姫の父親達…浅井長政を滋賀に、柴田勝家を福井に訪ねる企画だった『江姫が愛した父親達 〜浅井長政・柴田勝家慕情録』。当初はその紀行を計画していた周防長門だったが、それは急な寒波による降雪・積雪によって遮られてしまう。

 時間が刻一刻と過ぎていく中、急遽計画として立案されたのが緯度的に見て徳島に近く、ある程度の暖気が期待される和歌山県…そして、その歴史が生んだ伝説の鉄砲傭兵・雑賀孫一をめぐる紀行企画。

 ほぼ日帰り旅行に等しいという時間との戦いそのものな無茶企画を実行に移したところ、案の定淡路島で降雪に遭遇。しかし、昼間に出発したことが幸いしたのか路面凍結・積雪に見舞われることなく車は阪和自動車道へ。

 翌日、火縄銃と僧兵を多数擁したという古刹・根来寺、雑賀孫一が槍を洗ったという専光寺、そして織田信長と雑賀衆・根来衆の合戦舞台となった鷺森別院を訪問。伝説という名のベールに包まれた鉄炮傭兵・雑賀孫一の足跡を辿る旅はいよいよ終盤に突入する…。




■【平成23年1月8日 PM13:00頃 和歌山市内・『海鮮蒸し料理 勝浦』】

■さて、いよいよ時計の針も正午を過ぎると…残り時間が否応なく背中を押してきます。


 これが夏なら良かったんですが、何せ年明け早々の一月初頭の話。
午後五時は大丈夫でも、午後六時はもう当たりは真っ暗闇間違いなし。

 つまり、周防長門に残された時間はあと四時間強しかないのです。


 何という素晴らしきタイム・トライアル。


私が今闘わなくてはいけないのは、雑賀孫一の伝説ではなく時間なのかも知れない。

 急いで今日の昼食休憩、『海鮮蒸し料理 勝浦』さんへと向かいます。

 マグロの水揚げ量日本一を誇る南紀勝浦からの新鮮な魚介類が自慢のお店。

看板にあるとおりの蒸し料理の他、様々な形で和歌山の海の幸が満喫できます。

















 注文したのは『マグロ漬け丼(上)セット』、2,100円也。

 お味噌汁に香の物、茶碗蒸しと
マグロの山掛けがついてこの御値段は価格以上の魅力的。


 



 たぶん、本企画『天下人を撃て!!』では筆者最高の贅沢。


 丼の御飯を隠し切るほど大量のマグロに思う存分したつづみを連射させて頂きましたが…そんな幸せも束の間。


周防長門に残された時間は、あと五時間もありません…。






【名称】  海鮮蒸し料理 勝浦 (かいせんむしりょうり-かつうら)
【住所】  和歌山県和歌山市湊45の1 【пz073-433-6766
【アクセス】海鮮蒸し料理 勝浦ホームページ http://www.seiromushi-katsuura.com/ の地図・アクセスを参照のこと。

【駐車場】あり/無料
【入場料】無料

[評価] まぐろの水揚げ量日本一の南紀勝浦から仕入れた自慢の海鮮を楽しめるというのが自慢のお店です。
 御食事の他、和歌山県の郷土料理を御土産として購入出来るため一挙両得。

 詳しくはホームページのほうをご覧下さい。




■今回から、イラスト・4コマ漫画などに協力を戴いていた友人が『かげとら』という
ペンネームを名乗るようになりました。

 素朴でほんわかとした作画ですが、たまにツボの角度が斜め上な濃いジョークを挟んだり、そうかと思えばやけにシニカルなネタを仕込んだりする緩急のキッツイ芸風がポイントです。
 
 彼へのコメント・感想などはTOPページから行ける『赤髭の雑記帳』あてにどうぞ。




■【平成23年1月8日 PM14:00頃 和歌山市内・和歌山市立博物館】

 
さて、推定残り時間が遂に四時間を切りました。次の目的地は和歌山市立博物館。

ここでは、火縄銃と並び雑賀衆の象徴ともいえる『あるもの』が展示されています。














 それがこの、鉄錆地雑賀鉢兜(かなさびじ-さいかばちかぶと)。

 戦国時代中後期の武将達に愛用された『雑賀鉢』という種類の代表的な兜です。















 兜のてっぺんに植わった棘、兜の四方に金象嵌で書き込まれた四天王の名前が勇猛な雰囲気を感じさせてくれます。
















 他にも和歌山私立博物館には鉄錆地置手拭形兜(かなさびじ-おきてぬぐいなりかぶと)という別タイプの雑賀鉢のほか、火縄銃はもちろんのこと…あの徳川吉宗を輩出した紀伊徳川家の史料など、充実した常設展があります。

 はい、すみません。この博物館も撮影禁止だったので写真はございませんっ!!!




【名称】和歌山市立博物館(わかやましりつはくぶつかん)
【住所/ホームページ//アクセス】http://www.wakayama-city-museum.jp/
上記ホームページを参照のこと
【駐車場】あり/有料。和歌山市営駐車場-和歌山市民図書館前を利用、駐車時間60分まで100円、以降30分ごとに150円。
【入場料】一般/250円、詳しくは上記ホームページの「博物館概要」を参照のこと

[評価] 
見どころ☆☆★…雑賀衆達の象徴的武装である火縄銃と雑賀鉢兜が常設されている博物館。それ以外にも、和歌山県の歴史を知るための数多くの展示物が公開されて居ます。入場料が安価なのも魅力的。

期待度 ☆★★…和歌山県の歴史の中では、雑賀孫一の存在はそう大きくはありません。雑賀衆の痕跡だけを求めて見学すると肩透かしを食うかも。

スリル  ★★★…特記事項なし。博物館ですし…。

バリアフリー度☆☆★…車椅子四台・ベビーカー二台が貸し出されているほか、エレベーター・身障者トイレもある。身体障害者手帳があれば入場料が無料になるなど、福祉サービスにはかなり力を入れている模様。

周囲環境☆☆★…和歌山市の中心部、市立図書館の隣。移動その他には問題はないと思います。

 

[]総合評価[] 雑賀孫一と雑賀衆、ということだけに特化した物件ではありませんが、彼らの歴史的活躍を踏まえての和歌山県の歴史を詳しく知ることが出来ます。

 とくに江戸時代以降の近代史における史料展示物の充実振りは一見の価値あり。



■【平成23年1月8日 PM15:00頃 和歌山市内・中野城址】



 1577年、戦国の覇者・織田信長と雑賀衆が火花を散らした鷺森合戦で雑賀方が篭城し、陥落後は織田方が拠点とした中野城址。

 今は木柱と説明書き看板だけがひっそりと佇み、往時の歴史と激戦の記憶を忍ばせます。




 …ちなみにこの中野城址、とある巨大ショッピングモールの敷地間際、何方様かの家庭菜園と思しき場所にぽつねんと立っているだけで、それ以上の情報は残念ながら得ることは出来ませんでした。

 さぁ時間がないぞ、走れ周防長門!!!




【名称】  中野城址 (なかのじょうし)
【住所】  和歌山県和歌山市中野 【пz無し
【アクセス】南海加太線・中松江駅から徒歩12分

http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&biw=865&bih=565&
amp;q=%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83
%A0%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82
%A3&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl

 も参照のこと。

オークワ・パームシティ和歌山県周囲の地図だが、中野城址はこの大きな建物のほぼ真裏側の小さな路地の路肩にある。


【駐車場】無し/ただし、パームシティ和歌山店敷地内であるため同店で買い物さえすれば駐車場は併設も同然。
【入場料】無料

[評価] 
見どころ☆★★…雑賀孫一と織田信長が激突した軍事上の重要拠点ですが、現在はその名残も民家の区画となってしまい、往時を偲ぶことは出来ません。

期待度 ☆★★…中野城址と書かれた木柱一本と説明書き看板がひとつ。それ以外には何も無いため、過度の期待は禁物。

スリル  ★★★…特記事項なし。

バリアフリー度☆★★…屋外なので期待出来ないですが、特に障害となるようなものはありませんでしたので…車椅子とかでも見学は可能です。

周囲環境☆☆★…和歌山市街の中心部に位置していますので、各種交通アクセスは良好。

[]総合評価[] 雑賀衆たちが織田信長と激突した場所ですが…わざわざ行くべき価値があるかといえば、正直なところ微妙。



■【平成23年1月8日 PM15:40頃 和歌山市平井・平井政所の坪】
 雑賀孫一の居館兼道場だったとされる『平井政所』という屋敷跡。


雑賀孫一に関する観光案内資料にも掲載されている場所、パンフレットを見る限りでははっきりとした写真がないのですが、かつて孫一が暮らしたとされる屋敷跡。

 ここはまず抑えて置きたいと訪れてみたのですが…矢張りそこには『伝説』という名の深い霧がたちはだかっていました。





その跡地は現在諸説あり、ここだという特定はなされていない。というのです。
そしてこの案内看板のアバウトさ。だいたいこのあたりだったんじゃないかな、といわれる場所を曖昧に示しているだけで、どこをどう行けばよいのか書いてありません。此れは手ごわい…。




『判らないときは他人様に聞いてみる』という歴史観光の奥の手も、年明け早々の夕暮れ間近と言う時間帯が災いしたのか、閑静な住宅街であるにもかかわらず人の影が見当たりません。

 やっとこさ農作業をしている方と話が出来たのですが、『ちょっと聞いた事がない』という残念な結果に終わりました。もう何回言ったか自分でもわかりませんが、さすが伝説の傭兵。




■残念ですが、このままさまよっていては日が暮れてしまいます。

歴史観光で一番の大敵は暗闇、このままマゴマゴしていては
(誰が上手いこと言えといった)、伝説の鉄砲傭兵集団・雑賀集の頭領たる雑賀孫一の足跡をたどる最後の訪問地点へ辿り着けないかも知れません。

伝説の濃い煙にまかれたまま…――今回の旅でも、そして雑賀孫一にとっても最後の地となる訪問ポイントに向けて移動を開始します…。

■平成24年1月4日追記
その後調査した結果、ここがおそらく平井政所の坪であろうと最重要視されている地点がフェンスで四角く区切られている、という情報を得ました。そこを発見できれば、もっと詳細な説明書き看板や歴史の残り香を感じることが出来たかもしれません。

 あと周防長門、よほど動揺していたのでしょうか。『和歌山市役所の観光課にрオてみる』という基礎基本的な情報検索手段を忘れていたようです。また周囲近辺が落ち着いた暁には、この企画もリベンジ調査しに行きたいと考えています。




【名称】  平井政所の坪 (ひらいまんどころのつぼ)
【住所】  和歌山県和歌山市和歌山市平井

 【пz無し
【アクセス】JR和歌山市駅から和歌山バス六十谷線に乗車、平井バス亭下車後徒歩約10分

http://maps.google.co.jp/maps?q=34.262182,135.16572&num=1
&sll=34.26181,135.168164 &sspn=0.00626,0.009602&hl=ja&brcurrent=3,0x6000b23dd9c1b2d5:0xd1eb8ea6241715b0,0
&ie=UTF8&ll
=34.262271,135.16575&spn=0.00626,0.009602&z=17

 も参照のこと。

ただし、地図が示しているのは平井政所の坪の説明書き看板がある場所であり、政所の坪ではない。


【駐車場】無し/周辺の道路状況・交通規則に注意し、自己責任で路肩にでもどうぞ。

【入場料】無料

[評価] 
見どころ☆★★…雑賀孫一の道場、その根拠地があったとされる政所の坪の跡地。

期待度 ★★★…説明書き看板がひとつ。

スリル  ★★★…特記事項なし。

バリアフリー度☆★★…屋外なので期待出来ないですが、車椅子等の障害になるようなものは見当たりませんでした。

周囲環境☆★★…説明書き看板のある平井団地前までは自動車で訪れることも可能ですが、周辺の道路状況に注意して運転する必要あり。不規則で狭い道路が入り組んだ地形のため、道を間違ったりすると色々と厄介かも。

 

[]総合評価[] 雑賀孫一の館跡があり、雑賀衆達の活動拠点だったかも知れませんが…時の流れを感じさせない、田圃や遠い山の風景に戦国時代を映し見ることが出来るかも。




  


■1577年(天正5年)。織田信長は一向に終わらない雑賀衆との戦いに業を煮やし、ついに自ら大軍を率いて雑賀荘に攻め入ってきた。

今までは織田信長配下の小軍団しか討伐軍にはならなかったが、これはいよいよ腹をくくらなければいけない。


 雑賀孫一は火縄銃を背負い、雑賀鉢兜をかぶって騎馬にまたがり、槍を構えて出陣する。

 『ここが雑賀衆の意地の見せどころよ!! 信長を直接火縄銃の的にして、その魂魄を失せさせてやるぜ!!』

 雑賀衆は火縄銃を天に突き上げ雄たけびをあげた。


 出陣するさなか、孫一ら雑賀衆は矢宮神社に戦勝を祈願する。

 矢宮神社の祭神は八咫烏(やたがらす)という三本脚の烏で、雑賀孫一もこの霊験を頼みにし旗印に使って信奉していた。

長年、鉄炮傭兵として仏敵と戦ってきた雑賀衆。織田信長を撃たんとする士気は高く…この気勢がついに祭神を動かした。

織田軍は干潮をねらって雑賀川を渡河し、攻めてくるだろうが…雑賀の人々のために私が海の潮を退かさない

 とのお告げが孫一達に意識にこだまする。

 聞き間違えようもない、八咫烏からの神託だった。















よし、矢宮神社が俺たちを守ってくれるぞ!! 野郎ども、出陣だ!!


 雑賀川を挟んでにらみ合う織田軍と雑賀衆、はたして…干潮の時刻になっても、潮は満ちたままだった。





 いくら織田軍が大軍であろうとも、川が渡れなければその利を生かすことはできない。

 雑賀衆は川沿いに展開し火縄銃を連射、ついに織田軍に勝利することができた。


 これに感謝した雑賀孫一、戦勝を矢宮神社に報告し、神前で舞を踊った。
 この踊りが、後世まで『雑賀踊り』として脈々と受け継がれ、雑賀衆の武威を和歌山の民に知らしめたという…。


■織田信長が毛嫌いし、信じていないという神仏を味方につけた雑賀孫一が戦勝を祝ったという伝承を残す『矢宮神社』に到着です。

















 神社の鳥居横にひっそりと建つ『雑賀孫市ゆかりの地』の木柱。

 もっと自己主張しないと、これはきっと誰も気づかない…。















 雑賀孫一の戦勝をいまに伝える物語、矢宮神社ご由緒の説明書き。雑賀孫一勝利の霊験か、今は入試や就職、スポーツに恋愛成就と手広く御利益をもたらしてくれるようです。


 矢宮神社の本殿。

 境内を見た感じ、雑賀孫一に強く関連する史跡はありませんが…彼が雑賀踊りをしたというのはきっと本殿前でしょうから、きっとこのあたりでしょう。













今や神社の伝承以上に伝説となってしまった傭兵・雑賀孫一の舞い踊る姿が、つむった瞼の裏に思い浮かぶかのようです。


 たくさん吊るされた絵馬。神社の規模から考えると、かなりの量です。

 さすがは戦国の覇者・織田信長をしりぞけただけあって、その神霊はかなり強力のようです。















 雑賀孫一が軍旗の紋様としたという八咫烏(ヤタガラス)

 三本脚の烏で、神話時代にまでその由緒をさかのぼることが出来るんだとか。

 普通、カラスといえば縁起がよくありませんが…どうやらここでは別格みたいです。















 境内にひときわ大きく書かれた『夫婦岩』の看板。

 …看板周囲をきょろきょろ見ても、それらしい岩が見えないのですが…。
















 妙な違和感がする四角い板枠を覗き込むと、そこに二つならんでいました。

 縁結びに夫婦円満、恋愛成就も応援するという夫婦岩ですが…


 これじゃあまるで、つけものいしです。( ・(,,ェ)・)









 雑賀孫一もこれに一生懸命、恋愛を祈ったりしたんでしょうか。

『戦国無双』や『センゴク』といった今時戦国メディアに登場する雑賀孫一は、女性に苦労しなさそうな美男子でしたが…。




  ■戦国の覇者を退かせたという雑賀孫一ネームバリューを、就職や恋愛といったあらゆる"合戦"に勝利する霊験として今に伝える矢宮神社でした。


 そして、残り時間もあとわずか。予定では二箇所残っている雑賀孫一ポイントですが、果たして周防はそれを達成することが出来るのか!?!





【名称】  矢宮神社 (やのみやじんじゃ)
【住所】  和歌山県和歌山市関戸1丁目5-27 【пz073-444-0668
【アクセス】和歌山市バス秋葉山下車後、西へ徒歩5分

http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&biw=1169&bih=833&q=
%E7%9F%A2%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%80%E3%82
%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl
 も参照のこと。


【駐車場】あり/無料。ただし道の痛みが激しく、エアロパーツやダウンサスを組んだ車では入れそうにないです。

【入場料】無料

[評価] 
見どころ☆★★…雑賀孫一ゆかりの神社という伝承があるほか、家族円満・縁結び・学業成就などさまざまな御利益があるそうです。

期待度 ☆★★…戦国時代の残り香や雰囲気を楽しむには、正直苦しいかも。説明書き看板以外に当時を偲ぶものがありません。
スリル  ☆★★…いちおう神社ですが…肝試しにはあんまり向かない物件かと。

バリアフリー度☆★★…屋外なので期待出来ないですが、特に障害となるようなものはありませんでした。車椅子とかでも参拝は可能です。

周囲環境☆☆★…和歌山市街ですが、細かく道路の入り組んだ立地条件にあります。子供も多かったですので、自動車で向かわれる方は注意が必要でしょう。



[]総合評価[] 雑賀衆たちが織田信長の侵略に立ち向かい、勝利したという所縁の深い場所。

 雑賀孫一が戦国の覇者に勝利したことにあやかってか、学業・恋愛成就、夫婦円満などにご利益がある、パワースポットです。八咫烏の絵馬は雑賀孫一めぐりにちょうど良い御土産になりそうですので、そういう意味でなら寄ってみるのも良いかも。




■織田信長・豊臣秀吉といった天下人達と渡り合った伝説の鉄炮傭兵・雑賀孫一。

 彼らの火縄銃戦術は物量作戦で押しに来る織田軍・豊臣軍をたびたび撃退し、彼らの武名は
天下に鳴り響いた。

 

 しかし、もともと雑賀衆は自由な商工業職種にある人達や地元紀伊の土豪が織り成した連合政権、けっして磐石一枚岩の結束を誇ったというわけではない。


 そこに眼をつけた豊臣秀吉の切り崩し戦略にあい、その混乱に乗じて秀吉軍が猛攻を仕掛ける。

 雑賀衆とは盟友関係にあった根来寺は焼き撃たれて降伏、雑賀孫一は雑賀衆の連携を切断され、孤軍奮闘のすえ遂に秀吉の軍門に降ることとなる。


 火縄銃を持ったフロンティアは、こうして終幕を迎えた。


 これ以降、雑賀孫一の命運については定かではない。


 雑賀・根来衆が降伏した1585年、紀伊を統治することとなった豊臣秀長の家臣・藤堂高虎の策略にあって自殺した、雑賀衆降参後ほどなくして病死したとも言われるが…


 その後も生き延び、数多くの戦いに参加したというという説も数多くある。



 後に天下分け目の関ヶ原合戦では豊臣方西軍につき、伏見城を攻撃。


…徳川家康と無二の友であったという城将・鳥居元忠を討ち取ったのが雑賀孫一であるとか、

 水戸徳川家に仕えた子孫達がのちに『孫一』という名前を代々継承していったなど、生存説にも様々な伝承があるが…


























なかでも目を引くのが、奥州の覇者・伊達政宗の招聘に応じて奥羽に旅立ったという説だ 。








 伊達政宗の家臣として伊達家の鉄砲技術指南にあたった雑賀孫一は、奥羽の騎馬武者が操馬技術に巧みであることに着目。



 機動力の高い騎馬上にありながら鉄砲射撃を行うという、常識に離れた特殊部隊『伊達騎馬鉄砲隊』の創設に関与したという伝承がある。



 その伊達騎馬鉄砲隊が大坂夏の陣・冬の陣で激突したのが、豊臣軍が誇るかの名将・真田幸村でした。


 孤高の鉄砲傭兵集団として紀伊に根を張った雑賀衆、そしてその頭領である雑賀孫一。

 『天下人など何するものぞ』という彼らの気風、戦国の覇者にすら向けられたその銃口が最後に捉えたのは、六連銭の旗を掲げた伝説の勇者達、その最後の雄姿。


 徳川家康に死すら覚悟させたあの真田幸村が最後に戦った相手が雑賀衆のDNAを受け継いだ者たちだった。というのは、はたして歴史の粋なはからいか…それとも、戦国最後の傭兵達へのはなむけだったのだろうか…。



■【平成23年1月8日 PM16:20頃 和歌山市平井・蓮乗寺】

 と、いうわけで…本企画最後の目的地・蓮乗寺に移動します。


 もう太陽は随分と西に傾いており…残り時間があとわずかであることを告げています。

…急がないといけない。

 

 しかし、カーナビに言われるままに道路を進んでいたらびっくり仰天。


 ステップワゴンどころか、軽四でも危なそうな車幅の路地に入れとの指示が出たからです。
( ・(,,ェ)・)あやうく突っ込みかけましたよ?



 諦めて、一度車を降りると…今度は徒歩で再アタックします。


 そして、ほどなくして蓮乗寺を発見。

 かなり狭い路地を抜けた先にあり、自動車での到着はほぼ不可能。


















 古めかしい大門の横に開かれていた扉から中に入ります…。


 こちら蓮乗寺さんも見るからに住居兼寺院、観光に対応したお寺さんというわけではなさそうです。










 そして、境内に入ってまもなくの所に説明書き看板。


 蓮乗寺の歴史的背景、そして雑賀孫一のものとされる
お墓についての説明が書かれています。簡潔で飾り気がない文容は雑賀孫一の朴訥な性格をあらわしているかのようです…。


 境内の隅、壁際近くにひっそりと建っているのが、平井孫市郎藤原義兼…伝説の傭兵・雑賀孫一その人のものと伝わるお墓です。
 某社などの戦国SLGでは姓が『鈴木』とされている孫一ですが、こちらでは平井さんとなっているようです。


 地元自治体により郷土の英雄として整備が行き届いていた土佐の長宗我部元親の軌跡とは違って、雑賀孫一に縁のある地はどこも、こんなふうにある種の質素さと寂寞感が漂います。





…――やはり、『伝説』という霧の中に居る戦国武将だけに、その最後もまた『伝説』、なのでしょうか。




 最後の最後まで、雑賀孫一は伝説という霧の向こうから姿を現してはくれませんでした。


 しかし、 彼が…そして雑賀・根来衆が戦国の歴史を生き抜き、たやすく天下人に膝を屈しなかったという事実は、信長・秀吉・家康といった英雄達と同じ時代に色褪せることなく、現代まで輝き続けていました…。




 五百年の時を過ぎて、再び英雄として若い世代の崇敬を集める戦国武将、雑賀孫一。






 最後に、彼のお墓に手を合わせて…『いまでも貴方は、忘れられることなく英雄でありつづけていますよ』、と報告して…本企画『天下人を撃て!!雑賀孫一と雑賀・根来衆』を締めくくることにしました…。





【名称】  蓮乗寺 (れんじょうじ)
【住所】  和歌山県和歌山市和歌山市平井252

 【пz無し
【アクセス】JR和歌山市駅から和歌山バス六十谷線に乗車、平井バス亭下車後徒歩約10分

http://maps.google.co.jp/maps?q=34.261721,135.168137&num=1
&sll=34.261393,135.167488&sspn=0.00313,0.004801&hl=ja
&brcurrent=3,0x6000b23dd9c1b2d5:0xd1eb8ea6241715b0,0
&dirflg=d&ie=UTF8&ll=34.26181,135.168164&spn=0.00626,0.009602&z=17


 も参照のこと。

【駐車場】無し/そもそも、自動車では行けない場所にありますので…。
【入場料】無料/ただし、明らかに住宅兼寺院ですので、入る時間帯には考慮が必要。

[評価] 
見どころ☆★★…伝説の人・雑賀孫一はいまだ特定しておらず、複数人の候補があるのですが…そのうちの一人・平井孫一の墓があります。

期待度 ☆★★…戦国時代の残り香や雰囲気を楽しむには、正直苦しいかも。説明書き看板以外に当時を偲ぶものがありません。

スリル  ☆★★…特記事項なし。お寺というか、個人の住宅です。

バリアフリー度☆★★…屋外なので期待出来ないですが、特に障害となるようなものはありませんでした。車椅子とかでも参拝は可能です。

周囲環境★★★…自動車でたどり着けない場所というのは、近代日本の県庁所在都市ではかなり稀有なケースなんじゃないでしょうか(汗。

[]総合評価[] 

 雑賀孫一という伝説の傭兵、その数奇な運命に共感を覚えた方は、是非お参りしてあげて下さい。なお、彼の墓は他にも複数候補があり、ここだけが彼の墓といわけではありません。








■ さて、伝説の鉄砲傭兵・雑賀孫一の謎に包まれた軌跡を追う企画『天下人を撃て!!〜雑賀孫一と雑賀・根来衆』、いかがだったでしょうか。


■そして、今回の歴史紀行がどれくらいの出費になったかを御報告。例によって、行く前のガソリン補充費用とETCによる高速道路料金は除いての出費合計です。



定】





 今回の旅は『出発直前になって企画予定を実行するのに無理が生じ、急遽その内容を大幅変更してお送りする』という、今までにないドタバタ突貫旅行のケースであった事実、その詳細と裏側を余さずお届けしたわけですが…―。




 今回の旅は、旅行会社の販売するパック旅行…旅行のプロによる充実したプランニング、観光先の案内達人の誘導による旅では、決して堪能できない楽しさが隠されていることに気づかせてくれました。


 一個人による小旅行の楽しさというのはこの事前準備や紀行ルートの詳細な下調べ、限られた時間をどういう風に順序だてて使うかという、企画立案の段階に楽しさが存在するということもさることながら…


 不意な事件事故によってその予定が立たなくなった場合に臨機応変、自分の想う通りに再び設計図を引き直すことが出来る、という楽しさがあります。















 今までは不肖周防長門、そんな密かな楽しみを皆様へ知らせずに『れきたん。』をお届けしていたことを改めて実感したわけで…





 これは非常にもったいないことだと思い、事前にUpしていた前篇・中篇を加筆修正した上で再度この『楽しさ』をお届けさせて頂きました。






次回企画は現在のところ未定ですが、戦国時代の武将達が残り香を
はなつ土地には不肖赤髭、日本全国、時間と予算のゆるす限り
巡っていきたいと考えております。


うちの地元には、こんな見逃せない歴史スポットがある!!』などの情報や
『れきたん』で取り上げて欲しい戦国武将の御希望・ご要望などにつきましては
『赤髭亭』ホームページの『赤髭亭お客様名簿帳』へ是非お立ち寄りの上、
書き込みを頂戴できれば幸いです。   
赤髭公ばるばろす。





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