三好長治 阿波三好家焉記   - 前編 -


 さて、世間の歴史ブームを見てみると…どうやら世間様は幕末ブーム、坂本龍馬ブーム最高潮のご様子。さもありなん、大河ドラマは『龍馬伝』、主演の福山雅治さんほか俳優陣は豪華、演技も脚本も大絶賛。

 高知や京都は龍馬Fanの皆様であふれかえっているとか、なかなか結構な賑わいぶりというじゃありませんか。

 私は『JIN』で内野聖陽さんが演じた土臭くて男くさい龍馬が好きでしたし、相変わらず根っからの戦国時代Fanなんですけども。それに私にはどうにもあの、『時代が変わる!!』という幕末から明治維新にかけての激動浪漫に共鳴できないようで。
 
 
 
  ただ、そんな私にも坂本龍馬という人に少しだけ想うところがあるのは『日本人はやっぱり、志半ば…”無念のうちに人生が終わってしまった英“っていうのに感情移入しやすい民族なんだなぁ』ということでしょうか。

 
 そうなんですよねぇ。明治維新を完成させて、近代国家日本の礎を築いたという意味では坂本龍馬や西郷隆盛より大久保利通が偉大ですし、摂関政治から武家政治へと政権交代を実現させた意味では源義経より源頼朝。戦国時代を終わらせたって意味では、織田信長や明智光秀・真田幸村よりも徳川家康の方が絶対に功績大のはずなんですよ。
 
 けど、龍馬も義経も信長も光秀も、道半ばに生涯を終えていながら人気は絶大。龍馬も西郷さんも地元のみならず日本各地で英雄視されてるけど、大久保利通はつい最近まで故郷鹿児島に帰れなかった(遺骨帰郷が実現しなかった)ほどの嫌われよう。

 義経は大河ドラマになったけど頼朝主役はいまだに実現しませんし。まぁ家康はどうでもいいとして(どうでもよくするな!!)。
 
 やはり『夢半ばにして歴史の表舞台をらなくてはいけなかった』という同情に余りある背景が、魂の底が判官びいきで浪花節な日本人の心をゆさぶるんでしょうねえ。



 
 けど、考えてもみましょう。日本の歴史上、志半ばで倒れていった人って、よく考えなくってもいくらでも居るわけですよ。



 坂本龍馬や西郷隆盛が日本史の英雄として出世の坂道を駆け上がっていたその影で、いったい何人の人が挫折や失望を味わったでしょう?あの人たちが動かした歴史を思えば、それはきっと万人単位じゃないでしょうか?



 幕末はいちおう江戸幕府の支配下ですからいいとしても、殺伐とした戦国時代なら、夢破れる=御家滅亡。夢のかわりに命をかけてる戦国大名に善戦なんて意味はありません、あくまで結果なんですから。死んだらそこでおしまいなんです。だから、消えて滅亡してしまうと哀れなもので、誰も見向きしてくれません。




 そこで、今回はそんな戦国時代の檜舞台から立ち去っていったルーザーズの皆様から、郷土徳島県を代表いたしまして『』、その終焉期に花を咲かせた武将達、そのゆかりの地についてを御紹介したいと思います。







■ @まずは戦国時代後期の三好家総領だった三好長治。その長治殿のお墓がある徳島県愛住町は勝瑞からスタートです。
 今回は徳島県の県境も日付も越えない行程ですので、旅行というより歴史散歩といった感じになるでしょうか。


@ 徳島県板野郡藍住町勝瑞、龍音寺見性寺。三好長治殿を含めた三好家歴代のうち四代のお墓がここにあります。左から三好之長・三好元長・三好義賢・そして三好長治の『墓である』と伝わっているものです。


@ なんで『墓であるもの』だなんて曖昧な言い方をしたのかといえば、実のところこの四基の墓が『確実に三好家四代の墓』だなんて確証がいまだにないからです。







 実際、このお墓の前には何の説明書き看板・誰の墓かなんてひとっことも書かれちゃおりません。確証がないことはうそかも知れませんから。





@三好長治殿は1553年、当時この見性寺にあったとされる勝瑞館で生まれました。

 
 父親は三好義賢、当時の阿波国でも最高権力者。この頃はまだ織田信長や武田信玄・毛利元就といった有名戦国武将たちの勢力もぱっとせず、三好家がいちばん天下に近い位置にありました。

 義賢はその三好一族でもNo2という超がつく実力者、長治も何不自由なく育ったことでしょう。なにせ三好の天下は磐石だったんですから。





■Aしかし、そんな三好長治殿の家庭事情は大変複雑なものでした。

 長治の父である三好義賢はもともと阿波徳島の最高権力者だった主君の細川持隆をこの見性寺で暗殺、その愛妾だった小少将という美姫を略奪したという後ろめたい過去のある人。





 小少将は細川持隆の側室で、持隆との間に男児を生んだ身にもかかわらず随分とおしりの軽い性分な人だったようです。はやくから義賢に色目を使っていて、持隆暗殺をそそのかしたのも彼女だと言われているほどの悪女。そして持隆死後、義賢と再婚してとつき十日を待たずに誕生したのが、長殿。



つまり長治は、主君を暗殺した父親と、その彼と浮気したお姫様の間に生まれた子、ということになります。生まれた時点ですでに因縁が出来てる武将だったわけです。




見性寺

【住所】  板野郡藍住町勝瑞字東勝地176
【アクセス】神戸淡路鳴門道 鳴門IC→国道11号→県道14号線→県道41号線
      JR高徳線「勝瑞駅」下車→徒歩5分
【駐車場】 なし/寺の境内に車を止めれそうな場所はある。
入場料】 無料。檀家のあるれっきとしたお寺なので騒がない様に。



[評価] 
見どころ☆☆★…土塁や矢竹などに歴史的説明はある程度されているが、肝心の三好四代の墓には
        説明書きの類はまったくない。
期待度 ☆★★…かつての勝瑞城の名残はいくつか残されているが、一見は寂れた鉄筋の寺。
スリル  ★★★…特筆事項なし。
バリアフリー度☆★★…屋外なので期待出来ない。三好四代のお墓には車椅子でも接近は可能。


総合評価 わざわざ見に来るほどでもないと思う。三好家のFanでもない限り。








■Aさて、そんな三好長治殿と父・三好義賢が一緒に暮らしていたであろう勝瑞館、随分と規模が広かったようです。見性寺前を走る県道41号線をまたいだ向こう側、現在も発掘調査が続いている勝瑞館発掘現場にお邪魔してみました。



 広大な敷地内。もとはナガオテック(長尾鉄工所)さんという会社が全域を所有し、学術調査も出来なかったようですが、バブルがはじけて建築景気は後退。

 藍住町が国の補助を受けてその跡地を買い取り、学術調査が開始されたのだとか。





 





不景気ってのも、時には良い方に転ぶものなんですね。いろんな企業・宗教団体の土地にされて、学術調査が進まない史跡を数多く見てきただけに感慨深く。

 


 A史跡のなかを見て感じたのは、割と閑散としているということ。国指定史跡になってるんだし、もっとこう…大規模に、にぎやかに発掘調査をしてるイメージがあったのですが…重機が動いて、人がいっぱいいる区画はそう広くありません。
 


 学術調査、実は進んでいないとか?ちょと心配になってきました…
 
 
 A近くにあった事務所にお邪魔して、見学の申し込み。人当たりのよさそうな研究者と思しき方から、一通り史跡内の説明を受けることが出来ました。
 
 戦国三好家に関するさまざまな質問、長年どうなんだろう?と想っていたことを聞いたところ…さすがは三好家調査の第一線にいらっしゃる方らしく、その質問にすべて納得いくような説明を頂けました。感謝!
 
A史跡の片隅に完成した小さな東屋。実はこの勝瑞館跡、発掘調査をし終わった場所は公園として生まれ変わるらしく、ある程度調べ終わった箇所は元通りに埋めなおしているのだそうです。






 なるほど、合点。それで発掘してる現場がやけに小さかったんだ。
 
 なお、研究調査が終わって勝瑞館跡が完全に公園化するのは二十年くらい後だそうです。









 明智光秀のときに巡った京都の勝龍寺城公園みたいなきれいなのに、なるといいね…。



 ここでなんと。調査員さんと話もはずんだせいか、発掘物を見学させて貰えることになりました。事務所の隣にあったプレハブのなかには、発掘された陶器や刀がところ狭しと並んでます。


 A棗茶入(なつめちゃいれ)。戦国SLGとかでは良く聞く名前ですが、実際に見て触れられたのはこのときがはじめて。

 『茶入れ』とは戦国時代当時、茶人たちが茶の湯を楽しむための抹茶を入れていた陶器製の容器のこと。


 朝鮮産や中国産陶器がとくに評価が高く、珍重されていました。長治殿の父親・三好義賢も相当な茶数寄だったようで、所持していた唐物の茶壷『三日月』には、銭三千貫(現代の価値にして四千五百万円!!)の値段がついたこともあったといいますから、ちょっとしたステータスシンボルだったんでしょうね。


 A白茶碗

 今でも、スーパーの陶器市とかで普通に売ってそうですが、正真正銘に朝鮮製の一品です。

 中島誠之助先生とこにもっていったら、いったいどんな値段がつくのやら。




 さっきの棗茶入同様、四百年以上も土に埋まっていながら奇跡の完全品。





 このほかにも、勝瑞城からはさまざまな種類の『骨』が多量見つかっている、というのが特徴だとかで、こんなに大量の骨が見つかる戦国期の史跡はほかにない、とは研究員さんの豪語。

 特におおいのは魚の骨で、普通の史跡ならば土に還ってしまうところが勝瑞では吉野川の氾濫で土壌が水に浸かることが多かったため、当時の骨が比較的きれいに保存されたのだとか。


 なお、誰だかわからないけど完全な人骨も二体分ほど出土しているそうです。

 長治殿じゃなさそうだけど、いったい誰の骨なのやら…。


















勝瑞館発掘現場



【住所】  板野郡藍住町勝瑞字東勝地176
【アクセス】JR高徳線「勝瑞駅」下車→西へ500m程徒歩約10分
   神戸淡路鳴門道 鳴門IC→国道11号→県道14号線→県道41号線
【駐車場】 あり/20台強 無料。
【入場料】無料。入り口に入って間も無く左手に見えてくるプレハブが発掘事務所。ここで
申し込みをすれば、資料などの印刷物を無料配布の上で発掘現場の詳細な説明が受けられる。
 愛想の良い調査員の方にあたれば、発掘物を直に見学することが出来るかも。なお、定期的にイベントが開催されているため、そちらも興味があれば。



[評価] 
見どころ☆☆★いちおう、国指定史跡。発掘調査が終わるまでにあと20年近く掛かると言われる
遺跡の規模は西日本でも随一、匹敵するのは周防大内家の館跡くらいだとか。

期待度 ☆★★三好家に興味がある人なら☆一個追加。
スリル  ★★★特筆事項なし。ただし、人骨は完全体二つを含めかなりの数の骨が出土しているいわくつきの土地ではある。
バリアフリー度☆★★
屋外なので期待出来ない。



総合評価 国指定の歴史的発掘調査物なのにかなり気軽に見物出来る。近くまで来たFanの方なら。




 

さて、お次の歴史的史跡は…と言いたいところですが、実は今日の歴史散歩は朝九時頃の出発だったせいもあり、この時点でお昼に。



    どこかで昼食でも取りましょうか…ということで。




 以前、この付近を散策していた際に支援者の方から紹介されたお店に御案内。勝瑞館跡から県道41号線を西進すると左手側に見えてくるのが洋食店『よーろぴあん』。

【平成23年2月23日追記】
 先日『よーろぴあん』様を訪ねていったところ、残念ながら閉店した模様。
 当時の雰囲気をお楽しみ頂く意味で、そのまま掲載を継続させて頂きます。





 徳島県の郷土色や特徴があるの?と言われると少し返事に困っちゃうのですが…まぁ、おいしくって量が多いため、何度か通っているため勝手に宣伝しちゃいましょう。


 今日頂いた昼食はハンバーグフェア開催中のため別セット、980円。今回の旅は入場料や駐車場料金が要らなかったので、たぶん最高の出費じゃないかな。でもこの量でこのお値段は安い。



 あぁぁ、ボリュームがつたわりにくい写真を取ってしまった。近くにケータイでも置けば、ライスの量とかがわかったかも知れないのに。








 ちなみにライス大盛りは無料。っていうか、店員さんがこっちの体格で勝手に判断して『大盛りにする!?』って聞いてくれます。あぁ、なんてふとっぱらな御主人。



 もちろん、量だけじゃなく味もおいしいです。味にうるさい支援者の方からの御紹介でしたし、そこは太鼓判をポンできます。徳島近隣の歴史探索の際にはぜひぜひ。





 よーろぴあん

【住所】徳島県板野郡藍住町笠木字西野33-8
【アクセス】神戸淡路鳴門道 鳴門IC→国道11号→県道14号線→県道41号線
【ホームページ】
http://www.yoo-ropian.com/


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