2011年大河 -姫たちの戦国-』   - 第1回 湖国の姫 -


■いよいよ始まった!!二年振りの戦国時代大河『
 
本日は戦国Fanの皆様も歴史通の諸兄姉様方も待ちわびたことであろう、大河『江』の初回放送日でしたが…もう皆様方は視聴されたでしょうか?


 赤髭が疑問に思っていた物語のスタート地点は、テロップで表示された1583年(天正十一年)。

 既に戦国の覇者・織田信長が世を去り、主人公の江姫(上野樹里)がやんちゃ盛りの少女時代を迎えた年代からの開始となりましたが…。


 …――彼女が波乱万丈に満ち溢れた生涯を再確認するために、母親のお市の方(鈴木保奈美)が語り部として過去を回想するシーンからの導入となりました。

 一時間強という短い時間、戦国時代でもかなりおいしい時代の背景をやや駆け足気味のダイジェスト風展開で一気に流されてしまった感のある第一話『湖国の姫』。


 赤髭が一見した感じでは、2007年大河『風林火山』の本格かつリアル嗜好な歴史大河と違い、その敷居はずいぶんと初心者向けに設定されて居たように感じましたが…



 それでも  σ(゜、。 )?  と小首を傾げざるを得ないような、大小さまざまなクエスチョンを抱えた方は多かったのではないでしょうか。

■結局終始小首を傾げる展開で終わったんですけどね、歴史Fanとしては(遠い目




 物語の感想、今後への期待、膨らむ妄想…赤髭にもいろいろと書きたいことは多くあるのですが…――今回は皆様も抱いたであろう大河『江』第一話への『なぜなに』を説する、擬似Q&A企画をお送りしたいと思います。


 それでは、皆様の御時間を少々拝借…。 。゜+. m9っ;・`ω・´)っ 。+.゜ Time Stopper !!


歴史痛の眼。要するに薀蓄のひけらかしとも言う。


■大河『江』第一話 【湖国の姫】

 Q. お市の方って、よく絶世の美女だなんて言われるけど…いったいどんな顔してたの?鈴木保奈美と似てた?

A. 
当時の美人の条件を当てはめると…色白で瓜実顔、眉が薄くて目は細い切れ長の一重瞼だったんじゃないかと思います。

 




Q1. なぜ、お市の方は浅井家に嫁ぐことになったの?

A1. 美濃国を攻略した織田信長が上洛をするためには、近江国南部(現滋賀県南部)を治めている六角承禎(ろっかく-じょうてい)という戦国大名を討つ必要がありました。

 そして、その六角承禎といがみあっていたのが、同じく近江国の北部、琵琶湖北岸を治めていた浅井家。

 もともと浅井家は六角家に半ば強制的に従属させられていたのですが、浅井長政の代になってその関係を脱却し、その背反に怒った六角家とは交戦状態にありました。



 早い話が、敵の敵は味方、という理論ですね。( ・(,,ェ)・)



Q
. なんで浅井久政(ムスカ大佐 寺田農) は織田家を毛嫌いしていたの?

A. 
もともと、浅井家は久政の代まで六角家服従政策・反織田家政策だったからです。

 その弱腰政策に反発して、クーデターを起こしたのが嫡男の浅井長政。

 長政は父親を強制的に隠居させると、浅井家の政策を反六角家に、織田家の敵だった美濃斎藤家と縁を切って信長とは親密な関係を築くという、ほぼ真逆の政策方針へと舵を切りなおしました。

 先代である久政としては、面白くありませんよね。


 
Q. お市の方って、兄の織田信長が好きだったの?秀吉に妻のねねが意味深なこと言ってたけど。

A. 織田信長は、早くから妹のお市の方とは関係を持っていたという説があります。

 
お市が浅井長政に嫁いだのは二十一歳のことですが、これは当時としてはかなり結婚適齢期を過ぎたもの。これは、信長が最後の最後までお市を手離すのを惜しがったからじゃないかと言う説があります。

 また、織田信長の若い頃のあだ名である『尾張のうつけ』『たわけ者』というフレーズ、実は信長が近親相姦者であることが公然の秘密であり、それを尾張の民衆が揶揄する意味でそう呼んだという説があるくらいです。

 実際、お市の方が浅井長政に嫁いだのは1567年9月以降、長女の茶々が生まれたのは1567年内のこと。

 計算が合わないんですよね…長政の子だという前提条件では。



 Q. 浅井長政とお市の方って、そんなに仲睦まじい夫婦だったの

A. 
お市の方が浅井家から織田家に出戻ってきたのは浅井家が滅び、小谷城が陥落したあとのことですが…普通、この手の婚姻関係は嫁ぎ先と実家が敵対関係になった時点で解消され、離婚された妻は開戦前に実家へ戻されるものでした。

 最後の最後まで浅井家滅亡と向き合ったお市の方の行動を考えれば、それだけ浅井長政を慕っていたということでしょう。浅井長政もしきりにお市の小谷城退去を求めていましたが、これも愛のなせるわざといったところでしょうか。



Q. なんで織田信長は足利義昭からの副将軍位・管領位就任要請を蹴って、草津・大津・堺の直轄領化を要求したの?

A. そんな形だけの、束縛ばかりしかない有名無実な肩書きを貰うより、商品・金銭流通の一大拠点だった港湾都市を貰った方が得だからです。

 
織田信長は田畑から徴収できるお米などよりも、季節を問わず金銭で収入が得られる商業地のうまみを良く知っていた戦国武将です。

 実際、信長は草津・大津・堺に置いた代官を通じて多額の矢銭(軍事費)を徴収し、そのお金で軍備を整えています。
 
 
 Q. なんで琵琶湖のことを びわのうみ っていうの?

A. 
琵琶湖、実際に見てみると海と間違うくらい大きいんですよね。日本最大の湖ですし。

 そもそも、江姫の名前のもととなった近江(おうみ)という国名、 琵琶湖が京都に近い海 から 近江 っていう意味合いなんです。
 逆に、浜名湖近辺(現静岡県西部)は京都から遠い海ですから遠江(とおとうみ)国と名づけられました。


■今夜はここでいったん筆を置き、次回更新では他に赤髭が気づいた疑問点や解説できる部分についてお話したいと思います。

2011年大河『江』第二回 父の仇 感想と解説




■前に戻る    トップへ戻る