2011年大河 -姫たちの戦国-』   - 第十回 わかれ -

■さて、今週も『江』の感想・解説をしていきたいと思います。

 前々回、正室や娘達にしていた戦々恐々としていた柴田勝家が勝手にプチ家出状態だった江に対し、威厳ある父親の態度を発揮。

 殴りつけて叱ることで軽挙を戒め、父親らしい横顔を見せることで家族の絆を娘達に響かせ…前回では微笑ましい親子の交流を見せてくれましたが、風雲急を告げる歴史の流れ。亡き戦国の覇者・織田信長(豊川悦史)の後継者たる地位を巡る羽柴秀吉(岸谷五朗)との関係はまさに一触即発。

 清洲会議での一件、信長葬儀問題と次々に挑発行為を繰り返す秀吉の策謀に乗せられた家臣団の激昂と、家族との絆との板ばさみになった勝家はついに賤ヶ岳へと出陣。生還を誓いながらも、持久戦以外に選択肢が無い絶望的な合戦へと赴いて行きました。

 歴史考証より戦国幻想な趣が強調されている大河劇、今週は題名からして悲劇的な展開は予想がつきますが…はたしてどれほど歴史から脱線し、どこまでファンタジックな物語に仕上がっているのか。

( ・(,,ェ)・)。oO( 予想、戦国歴史二割、幻想八割。)


 それでは今回も一週間遅れで大河『江』の第十回『わかれ』、感想と歴史痛的補説の開始です。

■江(上野樹里)with茶々(宮沢りえ)&初(水川あさみ)
 物語の流れからして、今回は涙なしでは考えられない展開であるとは予想はしてましたが…―――いくらなんでも、くどい。


 確かに、落城や滅亡に瀕した戦国武将の悲哀…これが二度目という『父親との別離』、ここを肝にしなければ北ノ庄城での物語は生きてこない、それはわかりますが…。

 @母親・お市の方(鈴木保奈美)が別離の形見分けをする→

A一人一人に最後の別れの言葉を授ける→

B石田三成(萩原聖人)が迎えに来た際には土壇場で抱き合って涙する→

C天守閣が炎に包まれ、三姉妹が悲嘆にくれた涙顔で燃え盛る城を見上げて泣き叫ぶ。

 これに柴田勝家(大地康雄)とお市の生涯終焉の幕がオプションで付くんですよ?
何遍、涙を誘う展開をはさんだら気が済みますか。
( =(,,ェ)=)

 07年大河『風林火山』でも、滅亡した勢力に属していた歴史の敗北者達…由布姫(柴本幸)や美瑠姫(真木よう子)の生き様は視聴者にその悲哀や心模様を共感させるような描写がありましたが、それはあくまで根底基盤にしっかりとした骨の太い物語があってこそ映える展開でした。
 
 しかし、本年大河『江』はどこかふわふわとしたアットホームな雰囲気の、女性が強く戦国乱世を駆け抜けていくという人生劇場です。
 喜劇あり、ほんわか感あり、波風はあるけれども基盤が緩い物語土壌。基礎のうってない物語へ悲劇を塗り重ねていっても、視聴者の胸を打って響かせるような説得力が生きて来ないんですよ( =(,,ェ)=)

 これで、三姉妹に上野樹里や水川あさみ、そして宮沢りえといった演技力に定評のある若手〜実力派俳優がキャスティングされてなかったら、一体全体どうなっていたことやら。

 まぁ、家族愛・お姫様の激動の恋愛物語に殺伐さとリアリティを求めている歴史痛の方では偏見評価は免れませんが、今回ばかりはきっと同じような感想を抱いた視聴者の皆様も大勢いらっしゃったのではないでしょうか。
 悲劇や波乱万丈を強調したいという脚本の意図は判らなくもないですが、倒置法や強調は過ぎると食傷になるんですよ…ええ。


■柴田勝家(大地康雄)+お市の方(鈴木保奈美)
 三姉妹の悲涙てんこ盛りな鬱展開に比較して、こちらの二人は流石に安定した演技力と画面への説得力。今回はこの二人、戦国夫婦善哉が居なければ本当に見所評価に困るような物語だったように感じました。

 



 柴田勝家とお市が二人きりになるシーンや、それぞれがピンで映るシーンだけを見ると、『あれ、今日は江姫を視てたんじゃなかったっけ?』といいたくなるほど絵面に説得力と安心して視聴出来る感が発揮されているのがよく判ります。



 ダメな時の惰弱で臆病な勝家とは同一人物とは思えないような演技分けが素敵です。

 血気盛んに出撃を迫る家臣達の声を黙して傾聴する勝家、一敗地にまみれて北ノ庄に生還した勝家、そして紅蓮の炎をバックに正室の介錯をする勝家。どのシーンでも、大地康雄さんは感情表出に優れた表情と視線でバッチリ決めてくれます。

 これが実にイイ。( ・(,,ェ)・)b




 お市の方も、三姉妹(特に主人公(爆。)の立ち居振る舞いや表情に濃淡の差があり過ぎる悪所を補ってあまりある強い存在感を発揮。

 執拗だと感じるほど繰り返されたお涙頂戴な今回の演出で、赤髭が一番涙腺に来たのは実をいうと江や三姉妹が涙ぼろぼろこぼしながら未練と悲嘆にくれ続ける場面じゃなくって

 …―――石田三成を叱咤して威厳を発揮し、三人を送り届け門扉が閉まった後…その場に崩れ落ちて涙する、お市の方の表情でした。( =(,,ェ)=)


 『女の戦は生きること。』と言い切った啖呵を否定している展開を視聴者に感じさせない、突っ込む隙を見せないのは安定した、本当に戦国乱世の悲哀を噛み締め続けてきた母親像を演じきったからこそ。来週から、この二人が居ない展開になるかと思うと冗談抜きで誰を褒めて評価したら良いのかわかんなくなり、不安を覚えるほどです。


【大河『江』歴史物語 〜物語に隠された裏事情〜】 

『やはり…。』と言おうか、『案の定!!』と賞賛すべきか…『賤ヶ岳の合戦』の描写はかなり薄く、短い尺で纏められていました。
 お姫様の物語にとっては、勝家が経過はどうあれ負けて帰って来たことが重要なのであって、その理由とかはどうでも良いのかも知れませんが…――そこはそれ、保守派歴史痛には語り甲斐のあるエピソードはたくさんあるわけでして。( ・(,,ェ)・)

 …確かに、賤ヶ岳の合戦での秀吉勝利は、一言でまとめれば『常識を超えた機動力』になるのですが…それ以外にも勝家の敗因は枚挙にいとまがないほどありました。
 

■柴田勝家が、親族衆や家臣団への求心力・人心掌握力は猿面冠者にはほど遠く

  前回、柴田勝家が清洲会議後に獲得した近江長浜城を秀吉に奪われた件を皆さんは記憶にとどめているでしょうか。実はあれ、
(秀吉がズルいのもさることながら)柴田勝家の家族問題が大きな要因でした。
 

 @柴田勝家は子宝に恵まれるのが遅かったらしく、1583年(天正十一年)の賤ヶ岳の合戦頃に安心して采配麾下を任せられる実子が成長しきっていませんでした。

 そこで、勝家は二人居た姉の子を一人づつ養子に迎えていました。

一人が柴田勝豊 (しばたかつとよ) 、長浜城の城主をしていた武将で、もう一人が柴田勝政(しばたかつまさ) …劇中に登場した勝家の側近・佐久間盛政の弟でした。(つまり佐久間盛政も勝家の甥ということになります)。

 この柴田勝豊と佐久間盛政は仲がたいへん悪く、勝家は勝家で病弱で武勲に乏しい勝豊より、勇敢で逞しい盛政を重用、宴会の席などでは勝豊をさしおいて盛政に最初の杯を与えるなど配慮を欠くような待遇をしていました。

   これに眼をつけたのが羽柴秀吉。清洲会議の際、勝家に長浜城の割譲を求められた際、条件として『柴田勝豊を長浜城主にすること』という約定を取り付けました。






 そして、勝家との対決準備が整うや否や、いきなり長浜城を攻撃!!

 …勝家と犬猿の仲になってしまっていた勝豊をあっけなく降伏させてしまったんです。

 やっぱりこのあたり、無骨な親父気質の戦国武将だった勝家と、人心の機微を読むのに優れた策略家だった秀吉との器の違いが大きく出た展開といえます。


 Aまた、勝家は佐久間盛政の制御すら、ちゃんと出来ていませんでした。賤ヶ岳の合戦の際、勝家は盛政ら開戦派閥の急先鋒に対し、『大岩山砦・岩崎山砦を攻略したら直ぐに戻って来ること』と厳命していましたが、実は佐久間盛政…この二つの砦を粉砕し、秀吉方の武将だった中川清秀を討ち取った武勲に奢り、直ぐに戻って来なかったのです。


 当然、柴田勝家は甥の命令違反に激怒。すぐに戻るよう使者を送り、
あの莫迦は俺に腹を切らせたいのか!!!』
と怒鳴ったそうですが、それでも盛政は戻って来ない。

 盛政にしてみれば、『十余里(約52km)も離れた美濃国の大垣城に居る秀吉が、そんなすぐに戻って来るとは思えない。大岩山砦で一晩休憩したら戻ろう』と考えていたのでしょうが…。

秀吉は、その52kmを僅か時間で帰って来たのです。

 中国大返しの時には、その50qを一日掛けて激走し『秀吉戻るの早ぇ!!?(;゚Д゚)』と世上の人々を驚嘆させた秀吉でしたが、賤ヶ岳ではそれ以上の神速を見せたことになります。

 盛政が慌てて退却したのは言うまでもありませんが、殿軍(最後尾)の柴田勝政が追いつかれて襲撃を受け、そのまま雪崩式に柴田家は全軍崩壊。

 哀れ、勝家は寵愛した甥のおかげで夫婦ともども腹を切るはめになったのです。



 秀吉が常識外れだったとはいえ、勝家が盛政を制御しきれていれば賤ヶ岳合戦は持久戦となり、反秀吉派閥だった紀伊の雑賀・根来衆や四国の長宗我部元親、徳川家康らからの包囲網に取り囲まれていたことを考えると…

 …――江やお市の方が怒鳴り散らしてやらなきゃいけないのは、たぶん佐久間盛政ってことになるでしょう。
( ・(,,ェ)・)


 B忘れていけないのは、02年大河『利家とまつ?加賀百万石物語?』で唐沢利明が主演を勤めた前田利家(まえだとしいえ)

 賤ヶ岳の合戦で柴田軍が総敗北する火縄となったのが佐久間盛政の命令無視なら、起爆剤となったのは間違いなく前田利家です。

 本年大河『江』ではキャスティングどころか名前も出て来ませんが、賤ヶ岳の合戦で柴田軍本陣の右翼備だった利家は、柴田軍が乱れ始めたとみるや戦いもせず戦線を離脱。


 そして、前田利家隊の退却を見た金森長近(かなもりながちか)・不破勝光(ふわかつみつ)・徳山秀現(とくやまひであき)軍は

『利家殿が退却してるってことは…しまった、柴田軍の先陣が負けて、総軍撤退の命令が出たのか!?!』

 とカン違いして一緒に撤退。


 こうなると、柴田軍の陣形は底の抜けた釜のようなもの。勝家は撤退途中に秀吉軍から後方側面を攻撃されてチェックメイト。

 小姓頭だった毛受勝照(めんじゅかつてる)が勝家の影武者を勤めて討ち死にし、柴田勝家は彼らの懸命の時間稼ぎの間に、必死で賤ヶ岳から逃れていったわけです。

…まぁ、こうしてみると柴田勝家という武将の脇の甘さが良く判りますね。



 しかし、柴田勝家は出来た大将だったようです。

 利家が戦線を離脱したのは織田家の家臣時代、屋敷が隣同士で親友だった秀吉との仲を思ってのことだと判断し、何と、撤退途中に前田利家の本拠地だった越前府中城にり道。

 裏切り者に対して、寛容に湯漬けと替え馬を所望し、利家も利家でこの申し出を受諾。

 勝家は『お前が秀吉と仲が良かったこと、それでわしへの忠誠との板挟みになっていたことは良く知っている。わしの事はもう良いから、秀吉の麾下になってやれ。』と言い残して退去したそうです。

 前田利家は秀吉の家臣になり、北ノ庄城を攻撃する際には先鋒となって奮闘。勝家を『柴田のおやじ殿』と尊敬していた利家にとっては、最後の御恩返しが槍働きであろうと考えたのでしょうか。
(利家は計算高い性格だったらしいので、単なる変節漢の点数稼ぎだという説もありますが。( =(,,ェ)=))

 そして勝家は秀吉や利家といったかつての後輩達が城を取り囲むなか、劇中にもあったとおり天守閣で最後のバカ騒ぎと大宴会。


 それが済むと、天守閣に火を放ち『今から武士の腹の切り方ってのを教えてやるから、とくと眼に焼き付けておけ!!!』と、紅蓮の炎をともない、十文字腹をかっさばいて自分の臓物を引きずり出す豪快な屠腹を遂げ、秀吉や利家たちを感嘆させたのだとか。

 けれど、この豪快な鬼柴田の最期も、大河『江』では軽やかにスルー。

 浅井長政の時も織田信長の時も、そして柴田勝家も…なんでしょうか、どうして今年の大河は戦国武将の華々しい最期のシーンをはしょりたがるんでしょうかね…
( ;・`ω・´)っ)・ω・`)・∵;; 


■羽柴秀吉(岸谷五朗)with石田三成(萩原聖人)
 相変わらず、好感どころか『お市の方が"女の戦は生きること"ってのを前言撤回しても仕方ないような、さいってーのド悪党+助兵衛だな』としか視聴者に感じさせない、見事な悪役&道化師役を務めている秀吉。

 今回も磐石のバカっぷり&驚きの黒さで、今後も江たち三姉妹の敵役となっていくのに充分な存在感を発揮しています。"見ていて安心出来る主要人物"も、いよいよ秀吉と家康くらいになってきた気がしなくもなく。


 それに引き換え、石田三成(萩原聖人)のキャラクターが弱いこと弱いこと。

 09年大河『天地人』では、才気走った冷たい官僚振りをいかんなく演じきった小栗旬さんの石田三成が記憶に新しいところですが、何なんでしょうか…この当たりっぷりの弱さっていうか青びょうたんぶりは。(;・(,,ェ)・)

 とても、後々に羽柴〜豊臣政権でも屈指の政務官僚となり、関ヶ原合戦では西軍の総司令官として勇躍する器量があるように見えません。

 こう見えても、賤ヶ岳の合戦では加藤清正・福島正則ら『賤ヶ岳の七本槍』に匹敵する武勲を立てた勇敢な武将でもあるのに、お市の方に一喝されて怯んだり、江に睨まれてもスルーしたり…。
(そういえば、『賤ヶ岳の七本槍』のメンバーも誰一人顔を出しませんでしたね、今回( ・(,,ェ)・)。)

 私はてっきり、萩原さんが声優として好演した『アカギ〜闇に舞い降りた天才』の赤木しげる張りの超冷徹で器量才幹にあふれた秀才振りをやってくれるのかと思っていたんですが…どうやらアカギじゃなくてカイジ(へたれVer)だったようです。(;=(,,ェ)=)


【大河『江』歴史物語 〜物語に隠された裏事情〜】

■賤ヶ岳の合戦といえば、何といっても七本槍ですが…

@『賤ヶ岳の七本槍』と言えば、羽柴秀吉麾下として大活躍した七人の青年武将達…加藤清正(かとうきよまさ)・福島正則(ふくしままさのり。09年大河『天地人』では石原良純が好演)・加藤義明(かとうよしあきら)・脇坂安治(わきざかやすはる)・糟屋武則(かすやたけのり)・片桐且元(かたぎりかつもと)の七人ですが、実は石田三成とその刎頚の友・大谷吉継(おおたによしつぐ)もこの賤ヶ岳でかなりの武功を挙げていました。

 特に石田三成は秀吉軍が美濃大垣から賤ヶ岳・余呉湖畔までの52kmを走破するために入念な下準備を指揮したとされ、そういう意味では勲功第一なのですが…秀吉は農民出身であるため、譜代の家臣が居ません。

 そこで、この賤ヶ岳合戦で槍働きでは屈指の大活躍だった先の七人を大きく喧伝し、三成と吉継はまんまと月見草になってしまったというわけ。

 同じ賤ヶ岳の戦いで大活躍した加藤清正・福島正則と石田三成・大谷吉継が十七年後に、賤ヶ岳から50q強の位置にある関ヶ原で宿命の激突をするのかと思えば、興味深いエピソードではありますよね。( ・(,,ェ)・)


■金とか貴重品は使うべきときにパァンと景気良く。重文を贈った徳川家康
 ケチだ、守銭奴だ、徳川家康だーーーッ!!!と。

 戦国武将で金にうるさいといえば何といっても徳川家康ですが、彼は単純なケチではなく…お金の使いどころを慎重に冷静に、石橋を叩きまくって決めるという神算鬼謀の持ち主でもありました。


 たとえば、今回…賤ヶ岳の合戦で秀吉勝利を予測した家康が秀吉に戦勝祝いとして贈った茶器。『なんだよ、あんな茶器一個で秀吉のご機嫌とりやって…。』と思われたかも知れませんが、あの妙ちくりんな茶器は『初花肩衝』(はつはなかたつき)。

 当時で既に『一国に値する』ほどの超超高級茶器として、数奇屋や茶人にとって憧れ・垂涎の品でした。
 新田・楢柴と並ぶ『天下三肩衝』と呼ばれた銘器中の銘器で、元は織田信長所蔵でしたが、本能寺の変のあと家康の家臣が獲得。

 家康がそれを謙譲され、今回秀吉へ引き出物として贈られました。


 現在、初花肩衝は国指定の重要文化財として東京都は徳川記念財団が所有しています。


■ さて、今回もリベラルを装った歴史痛視点(蹴)での感想でしたが…いかがだったでしょうか。

 次回予告では織田家に牙を剥き野望をあらわにした秀吉が、父母を失った三姉妹に魔の手を伸ばさんとします。

 姉を守ろうと懸命になる江、秀吉に真っ向から立ち向かう茶々。戦国乱世の嵐に翻弄される三姉妹の命運は、今後どうなっていくのか。次回をお楽しみに。

2011年大河『江』第十一回 猿の人質 感想と解説





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