2011年大河 -姫たちの戦国-』   - 第十八回 恋しくて -

【勝手に大河『江』紀行 〜大阪城 vol.1 】
■さて、今まではこの冒頭ではとりとめのつかない言葉を並べていましたが…今週からは、大河『江』にまつわる戦国歴史を巡る小さな紀行を御紹介する『勝手に大河『江』紀行』を連載していきます。

 昨今では、大河ドラマ放送後の『〜紀行』で紹介された史跡などには観光客がたくさん訪れると聞きますが、赤髭も結構そういう場所にはふらりと旅に出ていますので…その写真の方が、視聴率だの内野聖陽さんの離婚がどうだのより、お楽しみいただけるのではないかと思い。(*-(,,ェ)-)


□記念すべき第一回は、十八話現在で三姉妹が暮らしている天下一の巨城、豊臣秀吉の権威の象徴だった大坂城をご案内します。


□大阪城の本丸。

 なお、いきなり余談ですが…お気づきの戦国Fanの方も多いかとは思いますが、当時は『大阪城』ではなく『大坂城』でした。読みも【おおさかじょう】ではなく実は【おおかじょう】だったりします。


□なぜ土偏の坂から、こざと偏の阪になったのかは諸説あるみたいですが、赤髭がいちばん面白いと思ったのは…

『"天下の台所"として西日本の経済を左右した大坂の街で栄華を極めた大商人達が「"坂"では【土に反る】、つちにかえる。で縁起が悪い!!」と験担ぎを主張し、今の"阪"に改名した」

という説。

 大阪人気質がいかにも突っ込みそうな難癖で面白い。( ・(,,ェ)・)



□各種メディアに取り上げられ、おそらくは日本でも一・二を争う知名度を誇るであろう大坂城。

 豊臣秀勝(AKIRA)が『派手派手しい厭な城な城だと思ってましたが…』と名残を惜しんでいましたが、残念ながら今の大坂城は秀吉が築城した当初のものとは大きく異なります。



□大坂夏の陣での陥落後、徳川幕府によって大坂城は再建されますが…豊臣時代の栄華の象徴であるこの大坂城、当然ながらその規模や煌びやかさを無駄に豪華にすることはありませんでした。



 日本最大級だった城郭面積も大幅に縮小され、一部は街の区画に。本丸天守閣もかつてのものとは比較にならないほどつつましやかに再建されたといいます。



□現在の大坂城はこの通り、本丸も小さくコンクリート製の近代建設。徳川時代のものは太平洋戦争末期の空襲に被災して消失してしまいました。
 八階建ての城内にはエレベーターもしっかり設備されていて、文化史跡というより観光ミュージアムとなっています。



□戦国当時の面影を残すのは、秀吉が全国の大名に銘じて集めさせたこの石垣だけ。



 近江国は穴太衆(あのうしゅう)という、石垣積みのプロフェッショナルが腕を振るった石垣積みはまるで機械で図ったかのように緻密で正確無比。


□電動工具やエアツール、重機など当然なかった時代。人力だけでここまで巨大な石をきれいに切り出して石垣に積み上げるには、どれだけ緻密な計算が必要だったことでしょう。



頂上・天守閣からの眺め。秀吉時代の天守閣は今の天守閣よりやや北東にあったそうですが、おそらく彼が眺めたであろう大坂の街とは概ね、同じ情景角度のはず。




□豊臣秀吉時代は金箔の押し瓦が太陽をあびてきんぴかに輝いていたであろう、難攻不落の大坂城は、今も大坂の街の象徴としてその威容を人々の瞳に映しています。






 ■ さて、それでは今回も毎度一週間遅れで大河『江』の第十八話『恋しくて』、感想と歴史痛的補説の開始です。 

 前回の江姫様(上野樹里)は、颯爽と登場した若き貴公子・羽柴小吉秀勝(AKIRA)にぷちっと惚れかけつつも元気いっぱい。

 秀吉の身勝手で傲慢極まりない策略・外交カードで犠牲になっていく羽柴家の親族達を憂いながらも、姉の心が憎き秀吉に傾きつつあるのが心配でならない御様子。

 豊臣秀次や秀勝といった時代を担う若きエースが活躍した四国征伐もほぼ終了間際、長かった戦国乱世もあと少しで天下泰平の雰囲気。

 けれど秀吉の出世栄達もまた、最後の『あがり』間際。はたして、江は姉を猿面冠者の魔手から守ることが出来るのか。

 そして臣従を誓いはしたものの心では屈伏していない徳川家康の胸中に去来する思いとは?今週も、戦国時代の男の戦を蚊帳の外に、大坂城内で繰り広げられる女たちの戦国物語が幕を開けます…。


■豊臣秀吉(岸谷五朗)with豊臣家の人達&江(上野樹里)

 今回は茶々と秀吉の急接近で、物語の筋書きもかなり女性視点が必要とされる展開でしたが…――そんな中でも光ったのは豊臣秀吉のどこか遠くを見つめるような侘しい表情、そうかと思えば久々に引っ掻き傷をこさえて痛そうな顔とめまぐるしく変わる好演、そして豊臣秀勝の男前っぷりでしょうか(苦笑)






 やや台詞に抑揚がない気もしますが、AKIRAさんの戦国武将振りは涼やかで良いです。
 
夭折の貴公子であった豊臣秀勝だけに、ある意味スポット参加に近いのが残念なところ。赤髭的には大谷吉継あたりをキャスティングして、是非彼と石田三成の関ヶ原合戦をやって欲しかった。

( ・(,,ェ)・)oO( まぁ、今回の九州征伐終了で島津義久・義弘が顔どころか名前すら出なかったのを考えると、本当に関ヶ原合戦がナレーションだけで終るんじゃないかと不安でしかたないんですが(苦笑。 )

 茶々と秀吉、江と秀勝…――二人に心模様は関係なしに思慕相手が居るのに対し、相変わらず天然娘担当だった初(水川あさみ)にも遂にお相手様が登場しましたが…―京極高次(斉藤工)がなかなか良い味を出しています。






『嫌いなものは菓子』と言った瞬間の初の『え。』という顔もなんとも言えませんが(苦笑

 ( -(,,ェ)-)oO( しかし、秀吉が豊臣姓を名乗るまでの経緯はなかなか緻密に説明されていたように思います。歴史忠実トレースなんて面白くもなんとも無い、とは脚本家さんの考えだそうですが…なかなか味のあるところを突いてきてますし。 )


 ところで…―――加藤清正とか福島正則とか、真田幸村とかそのあたりの顔出しはまだなんですかい…戦国大河(泣。



【大河『江』歴史物語 〜物語に隠された裏事情〜】
■戦国武将は『氏素性』まで出世欲旺盛。荒唐無稽な秀吉の家系図簒奪の裏事情

 さて、冒頭で『実は秀吉の母親は"萩中納言"と呼ばれた貴族の娘で、天皇の女房だったんだよ!!』と無理にもほどがある家系捏造を胸張って言ってのけた秀吉と石田三成(萩原聖人)でしたが…――実はあれ、当時の秀吉が本気でそう言っていたことです。

 さらに言えば、恐れ多いことに『時の帝が秀吉の母・なかを寵愛し、お手をつけて』生まれてきたのが秀吉だとまで吹聴していました。…――平たく言えば『秀吉は天皇の御落胤、非公式ながら皇族』とまで喧伝していたのです。

(;・(,,ェ)・)oO( 嘘にもほどがある。当時の秀吉は自分が農民出身であることを売りにすらしていたのに。)


 …――しかし、この手の系図操作は何も秀吉の専売特許、彼だけの得意技ではありません。…というか、日本全土の素性がわからない戦国武将がほぼ全員やっていたことです。

 劇中の冒頭で石田三成が『源氏』『平氏』『藤原氏』『橘氏』と四つの姓を挙げましたが、あの四家を合わせて『源平藤橘(げんぺいとうきつ)と呼びます。

 源氏も平氏も橘氏も、歴史をさかのぼれば天皇に辿り着く賜姓皇族(ようせいこうぞく。姓を授かって臣籍に降った元皇族。天皇の一族には姓も苗字もありません。)。

 
藤原家は言わずと知れた藤原道長の末裔にして人臣初の摂政となった藤原良房の子孫、そして『大化の改新』で中大兄皇子(後の天智天皇)を補佐して蘇我氏討滅に活躍した中臣鎌足(なかとみのかまたり)を始祖にもつ名門中の名門です。


…――おっかしな話ですが、実は当時の戦国大名家の"ほぼ全部"がこの四つのうち源氏・平氏・藤原氏の末裔だと称していました。(橘氏は橘奈良麻呂(たちばなならまろ)という朝廷への反逆者を出してしまって早々に没落したため、戦国時代でも敬遠されていたようです。)



 実力と野望のある者だけが成り上がっていく戦国乱世、そんな貴種ばっかが出世するわけがありません。


 なのになぜそんな現象が起きたか。


 それは、戦国武将の誰もが『俺は実力も血筋も一流の戦国大名なんだ!!』と胸を張りたい、自己顕示欲と出世欲にあふれていたからです。ようするに『無断で名門の家名を名乗って、嘘を塗り固めて真実にしようとした』んですね。

 赤髭が二言目には徳川家康を『にわか源氏』と言うのは、徳川家が家康の代で急に『新田義重流の源氏』を名乗り始めたからです。

 もともと松平家は三河の小豪族に過ぎず、しかもその松平家にひょっこり顔を出したどこの馬の骨かもわからない旅の生臭坊主が入り婿したおかげで、ますます家系が怪しいものになっていました。

 なお、新田義重(にったよししげ)とは源平合戦の頃に上野国(現群馬県)にあった源氏の豪族ですが、源頼朝の反平家挙兵にすぐ参加せず、源氏と平家どっちが勝つかを日和見したために頼朝から疎まれ、歴史のなかに埋没した家系。

 のちに後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府を滅ぼし、足利尊氏の好敵手として南北朝時代の闘争を彩った名将・新田(にったよしさだ)が登場し再び歴史の表舞台に現れますが、その義貞が討死するとまた歴史から忘れ去られていました。


 なぜこんな家系の末裔を称したのか。そこが、家康の実にあざといところです。


 源頼朝の子孫を戦国末期に今さら自称したって、日本全土には"先輩"といえる上位の頼朝流源氏家が数多くありますから、徳川家がそういった御家の下風につくのは仕方ないことですが、源頼朝の直系子孫でなければそんな遠慮はいりません。

 家康は新田義重流の源氏を名乗ることで、そういう気兼ねをする必要がない源氏の総領を目指したのです。

■ちなみに、江戸幕府を開き権力が確実なものになると、急に『あ、ごめんやっぱりよく調べたら源頼朝流の源氏だった。'`,、('∀`)'`,、』と、また家系図を作り変えています。さすが家康きたないな家康。


□戦国の者・織田信長も案外と節操がありません。

 織田家は越前国(現福井県)の織田剣神社(おだつるぎじんじゃ)の神主を務めた家系で、忌部氏(いんべし)という…どちらかといえばマイナーな氏族の出身でしたが、織田家の家督を継いだ信長は書状などの署名に『藤原信長』と書きはじめます。

 これ、『え、うちは由緒正しい藤原家の末裔だよ?』と言っているんですね。( -(,,ェ)-)



 それがしばらく後になると、今度は『信長』と署名し始めます。


 これは『源平交替思想(げんぺいこうたいしそう)という当時の武将たちに信じられていたジンクスが原因で

『これまでの歴史では武家の政権は【平清盛(平家)→源頼朝(源氏)→執権北条家(平家)→足利尊氏(源氏)】と、源平が交替して政権を執ってきた。

だから、次の武家政権は順番から考えて平家だ。』

という思想によるものです。

 こんな迷信も同然の思想を気にかけたりするあたり、革新的思想とおもわれがちな信長もずいぶん印象が違ってきますよね。

 ( ・(,,ェ)・)oO( もちろん、『こういう迷信を信じる輩を味方に引き込むための信長の策略』とも取れますが。 )



 なお、余談になりますが…伊達政宗はちょっと怪しい藤原家で、真田幸村はかなり怪しい源氏。

 武田信玄と今川義元は血統書付きの由緒正しい源氏上杉謙信は『長尾景虎』時代はちょっと怪しい平家、『上杉謙信』になってからは遠い遠い藤原家。

 毛利元就は源頼朝に仕えた大江広元(おおえのひろもと)の子孫・大江氏、江姫の実家・浅井長政はかなり苦しい源氏の御家。今回名前だけが登場した島津家は超がつくほど怪しい源氏(源頼朝流)です。

 変り種としては、平安時代のジャニーズ系こと六歌仙・在原業平(ありわらのなりひら)の由緒正しい末裔を称する長野業正(ながのなりまさ。大河『風林火山』で登場)や、秦の始皇帝(!?)の末裔を称する長宗我部元親があります。

( ・(,,ェ)・)oO( 秦の始皇帝はさすがにねぇだろ…。正確には秦の始皇帝の子孫・秦氏(はたし)ですが。 )


■細川ガラシャ【たま】(ミムラ)


 たま。という、何だか呼んだら猫が寄ってきそうな(言ったな?)名前からやっと聞き馴れた洗礼名『ガラシャ』となりました。

 今は亡き明智光秀の娘という複雑な事情を抱えながらも凛として戦国を生き抜いた彼女もまた、三姉妹に負けず劣らずの波瀾万丈。


 織田信長の媒酌で細川忠興と結ばれたまでは良かったですが、その仲人を実父が討つという悲劇。愛する夫に最近まで監禁されていた彼女ですが、艱難苦境の生涯はキリストの教えに強く感化されたようです。



 しかし、綺麗な人ですねミムラさん。すぅっと線の通った顔に澄んだ声、落ち着いた雰囲気が実に薄幸のお姫様で良いです。

( =(,,ェ)=)oO( 発酵してる姫様はたくさん居るので、よけいに光る(暴言)。 )

 大河『江』の女性俳優のキャスティング陣はどこかσ(゜、。 )?なものが多かったのですが、ミムラさんの細川ガラシャはイメージぴったり。


 道化師役は三姉妹の真ん中と末に任せて、ガラシャこそは戦国時代のリアルな悲哀を一身に表現していって欲しいものです。



【大河『江』歴史物語 〜物語に隠された裏事情〜】
■イエス=キリストの教えは侵略者の尖兵!? 伴天連追放令の真実。
 さて、九州征伐の最中に突如としてキリシタンのパードレ(宣教師)追放命令を発した豊臣秀吉でしたが…――


 劇中では『織田信長が一向一揆衆ら宗教勢力の軍事活動に手を焼かされたから』という理由で説明されていた原因、実はほかにもかなり切実で深刻な理由がありました。( ・(,,ェ)・)


 秀吉が九州征伐の際に各地で目にしたのは、キリスト教の教えと南蛮貿易の利権をちらつかせ北九州を席巻していたイスパニア人(現スペイン王国)達の横暴だったのです。

 1543年うわ恥ずかしい間違い(゚∀゚)1549年(天文十八年)にキリスト教が日本へ伝来したことは歴史の教科書でもお馴染みの事実ですが、フランシスコ=ザビエルが最初に布教活動を始めた土地こそ、この九州地方


 それから既に半世紀近い年月が経っていた九州では、庶民は勿論のこと…俗に『キリシタン大名』と呼ばれるキリスト教徒の戦国大名が数多く存在していました。

 京都や奈良といった上方では東大寺や興福寺、石山本願寺や比叡山延暦寺などの仏教勢力の基盤が強過ぎてあまり活動が出来なかった宣教師達でしたが、九州ではそういった旧来の仏教勢力が弱かったのです。



 大河『江』ではアバンタイトルで名前が出ただけで空気に等しい扱いでしたが、豊後国(現大分県南部)大友宗麟(おおともそうりん)がそのキリシタン大名の代表格です。

 他にも肥前国(現長崎県)有馬晴信(ありまはるのぶ)、秀吉の家臣でも高山右近を筆頭に黒田官兵衛蒲生氏郷小西行長(こにしゆきなが)らが既に宣教師により洗礼を受けていました。


 中でも高山右近と小西行長の敬虔なクリスチャン振りは評判で、大友宗麟にいたっては『九州をキリスト教徒の楽園にする!!』と本気で考えていたほど。









 宗麟はキリスト教を毛嫌いする正室を離縁、嫌がる家臣や息子達まで入洗させたほか、領内の仏教寺院を破壊するほどの傾倒ぶり

 今でも宮崎県には無鹿(むしか)という地名が残っていますが、これはキリスト教とイスパニア文化にかぶれた宗麟がスペイン語で『音楽』を意味する言葉をそのまま音訳して名づけたからだとか。



 また、キリスト教徒になることはそのまま『イスパニア人との南蛮貿易が出来る切符ともなったため、それほどキリスト教に興味が無かった戦国武将も入信していました

 この貿易売買で得られる莫大な利益に釣られた大名も多く、それが狙いだった大名にはキリスト教の教会や宣教師たち、そしてイスパニア人の気を惹くために『領土の一部を差し出す』者まで現れます。



 …――秀吉が九州で目にしたのは、間違いなく日本国の土地であるのにイスパニア人やキリスト教の宣教師が我が物顔で闊歩し、仏教徒や仏教寺院を迫害しているという異様な光景だったのです。



 総勢二十五万というかつてない大軍団を率いてやってきた秀吉を、九州のキリスト教宣教師やイスパニア人は歓待しましたが…


 …――秀吉の大軍団に危機感を覚えた彼らは、何を思ったか『軍艦の上』に秀吉を案内したのです。



 当時の彼らが操る軍艦は『ガレオン戦艦』と言い、ヘタをすると船の全長が250m以上、数百人の武装水夫が乗り込めるという文字通りの超弩級。

 おまけに当時の日本には数基しかなかった大口径のカノン砲を多数搭載し、巨大な帆とガレーを駆使することで自由に大海原を疾駆する水上巨大要塞そのものでした。



 特にイスパニアの海軍は『無敵艦隊(アルマダ)と呼ばれ、当時世界無敵の海軍でした
(今でもサッカーワールドカップのスペイン代表のニックネームが『無敵艦隊』(アルマダ)なのはその名残です)


 その艦上での歓待は、秀吉の勢力を『井の中の蛙、っていうか檻の中の猿なクセに調子こくな』という無言の威嚇が含まれたものです。


 今でこそスペイン王国は日本とどっこい程度の広さしかありませんが、当時の領土はざっと数え上げても『現代のスペイン・ポルトガル・フランス南部およびイタリアの大部分・オランダ・ドイツの一部・南北アメリカのカリブ海沿岸・アフリカ沿岸・インド沿岸・東南アジアの香料諸島全域・マレーシア・インドネシア・フィリピン。』


 …――何、文字ばっかりでわかりにくい?( ・(,,ェ)・)

 ぶっちゃければ、それは=『世界最大の国』ということ。




 イスパニア王国は『太陽の沈まない帝国』と綽名され、聡明な絶対君主・フェリペ二世が率いる世界最強の軍事国家だったのです。

 そして、彼らが異郷の地を征服する際に『まずその土地にキリスト教を流行らせ、キリシタンになった現地民と現地政権をぶつけて基盤を弱体化させ、そのあと本国からの遠征軍で滅ぼしてしまう。』という戦略。


 …まずいことに、秀吉はそれを知っていたのです。…――イスパニア人達の歓待や威嚇は、まったくの逆効果になってしまいました。


 そして、そんな秀吉の危機感にとどめを刺したのが…彼らの軍艦の船底に転がされていた輸出品。…――『鎖で繋がれた日本人奴でした。



 当時は長く続いた戦国乱世、人身売買がそう珍しくなかったのは前に大河『風林火山』でもお話しましたが、それはあくまで本邦内のこと。

 誇り高き日の出ずる国の民・日本人が奴隷として海外に売り捌かれているという真実は、『天下人まであと一歩〜♪』と浮かれている秀吉であっても、冷や汗を隠しえない衝撃的な事実でした。


 秀吉がイスパニア人達に『あの奴隷達はどういうことだ!!?』と凄い剣幕で詰め寄ります。


 
秀吉の家臣でキリシタン大名だった高山右近が『マズイ。』と顔面蒼白になる前で、キリスト教宣教師やイスパニア人達は危機感もなしにこう言ってのけたそうです。


『何って、奴隷だよ。…――お前ら日本人が売るのがいんだろ?』'`,、('∀`)'`,、



 その瞬間、秀吉の頭のなかで何かがぶちれる音がしたのは言うまでもありません。


 大坂城の中で、後の平和大国・日本の基礎を築いた秀吉達の苦悩も知らない女性陣は、そんなことを露知らず。『パードレ(宣教師)が追放されちゃう!!どうしよう、キリシタンになれないーーッ!!?』と泡を食っていたわけです。( -(,,ェ)-)



■ さて、今回もリベラルを装った歴史痛視点(蹴)での感想でしたが…いかがだったでしょうか。



 さて次回予告では三姉妹それぞれに、形は違えど恋愛関係の伏線が出そろいます。今回は江のナイスセーブで救われた格好になった茶々(宮沢りえ)でしたが、妹・初の縁談を取りまとめた報酬を、何やら秀吉が悪い顔をして遠まわしに要求するシーンが気にかかります。次回の物語はどうなることやら…。
 


2011年大河『江』 勝手に江紀行 with 大河『江』第十九回 初の縁談 感想と解説





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