2011年大河 -姫たちの戦国-』   
【戦国歴史をリアルに楽しく疑似体験するシリーズ】私をイクサに連れてって Vol.2【前確認編】
 with 大河『江』第二十四回 利休切腹


【戦国歴史をリアルに楽しく疑似体験するシリーズ】私をイクサに連れてって Vol.2【前確認編】

■ 日曜の夜、約五十年間に渡って続けられてきた長寿企画番であり、ある意味NHK放送の代名詞とも言える甘美な一時間。過去から現代にかけて延々と紡がれてきた『時代』という名の糸で編み上げられた豪華絢爛な絨毯のように、視聴者を深い感動を与えてくれるそれが大河ドラマ…――と、のっけからいきなりかっこつけて大河ドラマのことを賛美してみましたが…。


 二年振りの戦国時代大河である『江』を視聴していると時折『…―なんで民放の『日曜劇場 -JIN-』の方が歴史物語っぽい上に熱中できるんでしょうか。(*-(,,ェ)-)oO( 禁句・何を今さら。 )


 先日、シリーズ通じての高視聴率を維持したまま感動の最終回を迎えた『-JIN-』ですが…ドラマに先だって最終回を迎えた原作、村上もとか先生の漫画を既に読んでいる方は御存知やも知れませんが、実はテレビドラマ版の最終回は原作とはかなり結末の違う、脚本家による大胆な改変が加えられていました。

 まだ『録画してるけど見ていないんだってば!!(;゚∀゚)』という方もいらっしゃるかと思うので詳細は伏せますが、主人公・南方仁が平成現代の日本に戻って来れたのは良しとして、彼が生きていたことによって歴史がどう変わったかが、漫画版とドラマ版ではかなり大幅に変えられています。

 …タイムトリップもののストーリーでは良くある『タイムパラドックス』を考慮したものになっていたんです。

 一人の人間が二つの時代を行き来した結果、歪んでしまった歴史が『見えない何か』によって矯正されていくという展開。漫画版の最終回もかなり感動的なものでしたが、ドラマ版の方もどうしてなかなか、『原作の物語にFanからすれば納得できないかもしれない』脚色が加えられているにも関わらず、それを感じさせない整合性と圧倒的な感動。
 原作通りとはいかない筋道ながら作り手の熱意が伝わってくる物語の展開には不肖赤髭、テレビの前で目頭が熱くなる想いでした。


 『ここは戦国時代のうんちくと大河ドラマ『江 ~姫たちの戦国~』を語るページだろうに!?』ですって?

 はい、いちいちごもっともな御意見。( ・(,,ェ)・)

 しかし、『日曜劇場 -JIN-』と『江 ~姫たちの戦国~』。放送時間こそ一時間の差があり裏番組対決は避けられた両者ですが、実際のところは似通った部分は大いにあります。

 それはずばり、『既存のストーリーへ大胆な、テレビ向けの脚色が成された歴史物語である』という点。


 まぁ、確かに公共電波放送であるテレビと、最近衰退の一途をたどる紙媒体の漫画では完全再現するには無理な点もあり、そこに脚本家による大幅な進路修正や大胆な脚色が加わるのは仕方ないことだとは赤髭だってよく判ってます。


 しかし…そこまで元の物語を大胆に、そして極端に改変・アレンジするのならば、そこに視聴者がそれを納得できたり感動できたりする長所や、脚本家の腕の見せ所・信念や熱意が伝わらなきゃいけないような気がするんですよ。あと、原作に対する崇敬や尊重もある程度は感じられないといけない。

 早く言えば『ただただ脚本家本人の想うところを視聴者に押し付けちゃいけない。』ということでしょうか。

 舞台や映画と違って基本タダ見が出来るテレビ番組に何を高望み言ってるんだという意見の方もいらっしゃるでしょうが、それこそが元からある物語を築いた人達へ監督・脚本家の示すべきリスペクトではないかなと想うのですよ。


 …――はぃ、赤髭が何を言いたいかが何となく判って下さった方もいらっしゃるでしょうし、言っても詮無いことなので野暮は避けますが…―――民放が漫画の原作に出来たことが、いやしくも国営放送の莫大な予算突っ込んでる一大歴史物語からはあまり感じられないってのはいかがなもんでしょう。( -(,,ェ)-)

 88年大河『武田信玄』や07年大河『風林火山』ではひしひしと感じられたことですから、出来ないってことは無いと思うのですよ。


 まぁ、時代考証の小和田哲男先生が『いくら時代考証しても聞いて貰えない』ってボヤいてたそうですし…――これ以上は言っても仕方なさそうですので筆を置きますが。  

(;・(,,ェ)・)oO( やっぱり、視聴率やお金が絡むとそれこそこっちの言ってることがファンタジーなんでしょうけれど、ねぇ…(まだボヤくか。 )



 さて、赤髭の毎度お馴染みなローテンションのひとりごとは物置に蹴込むことにして…今週も【戦国歴史をリアルに楽しく疑似体験するシリーズ】を御案内。

 今の日本人がきれいさっぱり忘れかけている闘境導夢(最盛期の新日本プロレスかッ)、荒ぶる男達の浪漫・戦国乱世の合戦現場に皆さんをご招待。赤髭が無駄に備えた戦国知識を駆使して、平成現代の若い戦国Fanが強い憧れを示す乱世がいったいどんなものなのか、それを楽しく学んで疑似体験して頂くコーナーです。


 自他共に認めるちょっとひねくれてる偏見の入った戦国歴史痛である赤髭がご案内するからには、そこは当然…無駄にそろえられた真贋嘘ホントがごった煮になった知識を駆使して、なるべくリアルで時代考証に沿った内容で戦国乱世の合戦場、その真実をご案内する歴史コラムに仕上げるつもりです。

 しかも、ありがちな『戦国武将として』ではなく、一介の雑兵として…――戦国歴史ゲームやドラマでは教えて貰えない真実の光と誤解の闇も仔細もらさず紹介していく企画『私をイクサに連れてって』。


 今回はその第二段として、引き続き戦場に赴く前の雑兵としての基礎基本な心構えである食料についてご紹介いたします。

■それでは、御一緒して頂ける皆さまの御時間を少々拝借。。゜+. m9っ;・`ω・´)っ 。+.゜ Time Stopper !!




【第二話 イワシの頭も信心、梅干しも祈れば命を救ってくれる?雑兵足軽のサバイバル知識。】

■先週第一回では、この道四十年というベテラン足軽である【七梨の権兵衛】から戦場に赴くにあたっての基礎基本、雑兵が予備すべき非常食や水などの心構えについての講義がありましたが…――今週は歴戦の老人武者である権兵衛より、城へと向かう道すがらにその予備知識を授けられることとなりました。

 それでは、平和ボケした平成日本の住民から一転、戦国時代にタイムスリップ…――皆様には『ある貧しい地域の寒村、それを統べている領主の小城へと続く畦道』に籍を移して頂きます。



 時は水無月(旧暦六月)。鬱陶しい梅雨の長雨も終り、農民達も農繁期、一年の糧となる米を育てるための田植えを終えたあとで…――城へと続く小道から視線を遠のかせれば、遠望する領主の小城の館影、まばらな村落の茅葺屋根の周囲には瞳ににじむような新緑の早苗が広がっています。


 『梅雨が上がる頃と言えば、本格的に蒸し暑くなる初夏がすぐ間近に迫った季節。何もそんなうっとおしい頃合に合戦なんか起こさなくっても…

 と皆さん考えるかも知れません。


 しかし、いくら武田信玄だろうが上杉謙信だろうが、この5月皐月から6月水無月に掛けて、さらに八月〜九月末の期間は、よほどの理由が無い限り合戦を起こさないものでした。

 それが何故なのかは、少し上で説明した通り『稲の田植えと刈り入れで忙しいから』。


 戦国大名にとって勢力基盤となる兵糧を得るための年貢、その主力である米を農民に栽培して貰うためです。戦国時代の農民は地域や気候によりますが大体が『二毛作』…――初夏から晩秋にかけて稲を育て、初冬から新春にかけて麦を育てるのが一般的でした。


 米は消化が良く栄養価が高いため戦場での武将や足軽達の兵糧・エネルギー源として欠かせないものでしたし、麦は農民や下級武士の命をつなぐための主食としてこれまた欠かせない食料。これらの育成栽培をほっぽり出して合戦などしていては、土地が痩せている国柄では農閑期に餓死者が出かねない有様だったのです。



 特に、戦国時代の日本は『小氷河期』と呼ばれる時期にあたり…ここ最近の平成日本のように暖かくありませんでした。北陸や東北では冬がくれば当たり前のように数メートル級の豪雪となり、この地域に住む農民達は冬の麦を育てることも出来ません。


 越後国を本拠にした上杉謙信、いまでこそ越後国=新潟県はコシヒカリを代表とする米の名産地ですが、戦国時代では冬に餓死者が続出するような食糧事情の不安定なお国柄でした。


 上杉謙信が生涯に合戦を起こした季節を一覧すると、その多くが「晩秋に出陣し、雪が溶けた新春に越後へ戻る」という『年越し出兵』なのですが…


 ――それは戦場に足軽を動員することで越後国の食糧の減少を少しでも抑え、収入源のなくなる足軽雑兵たちに戦場で略奪を許可することにより、その命を食いつながせるという重要な目的があったことは意外と知られていません。



 戦場に出た雑兵は普通、一日の兵糧として玄米か白米を五合…合戦状態になれば一升もの米を受け取ることが出来たとされていますが、おそらくそれが常識化したのは戦国時代も終わりごろ、大河『江』の時代背景になった安土桃山時代だと思われます。



 戦国の覇者・織田信長や太閤豊臣秀吉がこれら農閑期・農繁期に数万人単位の軍勢を動かすことが出来たのも、そういった食料事情の難題が解決できるだけの財力と軍事力を持つことが出来たから。

 武田信玄や長宗我部元親といった地方の小・中規模の大名には、おそらくそれだけの米を足軽たちに配給することは困難だったことでしょう。



■ さて、閑話休題。再び話を貴方と『七梨の権兵衛』が歩く田んぼの畦道へと戻しましょう。

 遠くに陰影を濃くにじませる領主の居城からは、騒がしそうな人々の喚声と鎧具足が擦れる音が聞こえ、兵糧を炊いているのか白煙が幾つも立ち上がるのが見て取れます。


 革製の陣笠に胴丸具足に武者草履に槍を抱えた足軽スタイルで道を行く権兵衛、懐中から幾つかの袋を取り出し、貴方にそれの中身を見せます。


□これが干し飯(ほしいい)といって、一度炊き上げた玄米や白米を天日に干して乾かしたものだ。

 土地柄によっては『米偏に備える』と書いて ほしいい と読むこともあるようじゃが…その文字面に相応しい、足軽雑兵にとって最も手軽な非常食でもある。

 行軍中、戦闘待機中などの際には袋から取り出してそのまま食す。水に浸すと再び炊いた時の柔らかさが戻るので、小腹がすいたときなどには手頃な間食になるだろう。



 …――何。『それなら、そんな炊いたり干したりする手間を省いて、生米にすれば良いんじゃないか?』とな。

 馬鹿を言っちゃいかんッ!! 炊いたり水に浸したりしていない生の玄米や白米は、そのまま食すとひどく臓腑に悪いものだ。やもすれば、それがもとでひどい下痢になることもある。
 合戦で下痢を起こすことがどういうことかは、先ほど(前回)も話したであろうッ。




◆天下分け目の関ヶ原合戦の後、西軍の総帥・石田三成は勝敗の趨勢が決した戦場で犬死にすることをよしとせず、美濃国大垣(現岐阜県)から大坂城を目指して落ち延びたのですが…――その逃避行は、心身ともに憔悴しきった状態で洞窟に隠れていたところをかつての同僚・田中吉政に発見されるという無様な醜態をさらすことで終わりました。

 実はこのとき、石田三成はひどい下痢を起こして脱水状態になり、逃げることも自害することも出来なかったそうなのですが…――その原因が、『空腹に耐えかねて生米をかじってしまったから』。


 豊臣恩顧きってのエリート大名にして五奉行の筆頭格だった三成、どうやら生の米を食ったら下痢を起こすという、雑兵足軽たちには常識であることを知らなかったようです。歴史の悲劇に隠された意外な裏事情。




◆っと、また話が脱線。物語を本筋に戻します。

□これは『芋がら縄』と言ってな。

 里芋の茎を味噌で煮しめて天日干しにし、それで荷縄を編んだものだ。

 普段は荷物を縛る縄として扱うが、荷縄としての用を成さなくなったら、沸かした湯や水にこれを刻んでかき混ぜれば即席の味噌汁として食うことが出来る。芋がらはそのまま味噌汁の具として食えばよい。


 また、心得のある足軽は戦場が近いと感じたなら、普段から食している大根葉や芋の茎を味噌で辛く煮しめ、それを干し固めたものを小袋に入れて携帯している。
 これも、あとで湯をかけて混ぜるだけで味噌汁に使うことが出来るのだ。

 …いんすたんと?何じゃそれは。南蛮言葉か


 まぁよい。…合戦場では大将から配給される五合の玄米・白米が主な栄養源だが、それだけでは戦場を生き抜くことは出来ん。

 味噌や塩を切らさず常食にふまえることで、槍働きに大きな差が出てくるじゃろうし、何より生きて還る確率も変わってこよう。戦場での駆け引きはおいおい伝授してやるゆえ、今はこういった基礎の心がけを胸に刻んでおくがよかろう。



□干し飯や芋がら縄は雑兵足軽の非常食としては基礎基本ではあるが、ほかにもお国柄によってその土地土地にしかない独自の食糧を編み出しておる大名家も少なくない。

 前に一度、上杉謙信殿の陣に馳せ参じたことがあるが、『兵糧丸』(ひょうろうがん)という小さなきな粉を塗した丸薬を貰ったことがある。

 握り飯などよりずっとずっと小さいものだったが、それひとつを食しただけでかなり英気を養うことが出来た。

 作り方を教えてほしいと頼んだが、どうやら越後上杉家でも家中秘伝のものらしく、適当に口を濁されて終わってしもうた。…――惜しいことをしたの。


 また、薩摩島津家では『あくまき』と言って、もち米を薩州桜島の火山灰を溶かした湯、すなわち灰汁(あく)で炊き上げて粽(ちまき)にしたものを非常食として足軽雑兵に与えたと聞く。

 灰汁で煮込んだ餅米は腹持ちも良く精気がつき、優に2・3か月は腐らずに持ったというから、案外に薩摩隼人、鬼島津の勇敢な気質というのはそういった精力のつく秘伝の常備食にあるのかも知れんのう。
 



【今回のくえすちょん】
□ さて。お城へと向かう道すがら、雑兵足軽が備えるべき非常食についてあれこれと論議を重ねたわけじゃが…最後に、ちょいと毛色の変わった種類のものを紹介しておこう。

 …――っと、どこだったかの…あぁ、これじゃこれ。

 


 これは、塩を強くまぶした梅干を天日に乾して水気を抜き、網に包んで小袋に詰めたものだ。

 わしら場数を踏んだ老人武者はたいてい、この梅干にちょいと一手間かけた代物を持っておるんじゃが…――これはどういう按配に使うものか、貴殿に判るかな?



@ 敵に追い詰められたとき、この梅干を敵の目か口にぶつければきっとびっくりするはず。実戦での最後の秘策、敵を驚かせるための手投げ弾に違いない。
 …――梅干だけに、キシュウ(奇襲-紀州)
…わっはっはっは。(´・ω・`)


A 梅干といえばアルカリ性食品、しかもクエン酸が大量に含まれているから疲労回復・滋養強壮にもなるはず。たぶん、戦場で疲労困ぱい状態になったらこれを湯に溶かして飲めば体力回復の秘薬になるんじゃないか。


B 梅干を見たり想像したりすると、人間思わず唾液が出てしまうもの。たぶんこれは、息切れしたときや喉が渇いたときに取り出して眺める、気つけ薬の一種なんじゃないか?


■さて、あなたの意見はどの項目に当てはまりますか?各項目をよく考えて、権兵衛に答えを聞いてみましょう。




【@ 敵に追い詰められたとき、この梅干を敵の目か口にぶつければきっとびっくりするはず。実戦での最後の秘策、敵を驚かせるための手投げ弾に違いない…――梅干だけに、キシュウ(奇襲-紀州)…わっはっはっは。(´・ω・`)


…――下手な洒落だな、どうも。お前さん…人の話を聞かないとか、空気の読めない性質だと言われた覚えはないかえ。

 合戦が起これば、そうでなくても雑兵足軽は緊張状態になる。開戦前はしきりに尿意を催し、口渇・不安感・イライラ感を禁じ得ぬ。…――無理もなかろう、命を賭した…これが最後になるやもしれぬ戦場に赴くのだからな。

 つまるところ、そんな子供騙しの下策に引っかかるような心構えの兵など戦場の最前線に居りはせんということだ。

 
それに、今回わしがお前さんに話した内容は、雑兵足軽が心得るべき非常食についてのことだったはず。その筋道を読めば、これが戦場での食糧事情、生き延びるための策であることは簡単に判断がつくはずじゃ。

 …――戦場では、空気の読めぬ奴輩から犬死していく。
 
今は開戦前、まだ御味方の所領内じゃから奇襲闇討ちは起ころうはずもないが…もう少し気合を入れた方がよいのではないかえ?


 …ま、初陣でそれだけの度胸があれば上出来、大胆不敵と褒めてやらねばなるまいがな。




【A 梅干といえばアルカリ性食品、しかもクエン酸が大量に含まれているから疲労回復・滋養強壮にもなるはず。たぶん、戦場で疲労困ぱい状態になったらこれを湯に溶かして飲めば体力回復の秘薬になるんじゃないか。】


 ふむ、悪くない読みじゃが…塩をきつめにまぶした梅干であるということを念頭に置けば、これが食用ではないことが察することも出来たのではないかえ。

 
貴殿の生まれは何処だか知らぬが、田舎仕込の梅干はそれこそ何十年も持つように相当きつい塩漬けである場合が多い。

 そんな濃味揃いの梅干を湯に溶かして飲もうものなら、塩っからくて喉が渇くは間違いないではないか。戦場で雑兵足軽に配給される水は一人につき一升じゃが、そんなつまらんことでがぶ飲み出来るほど水は粗末に出来ぬこと…これは先ほど話したばかりであろ。

 確かに、昔から梅干は疲労に効果がある薬味であると口づてに伝承されてはいるが、これは別の用途に使うものだ。




B 梅干を見たり想像したりすると、人間思わず唾液が出てしまうもの。たぶんこれは、息切れしたときや喉が渇いたときに取り出して眺める、気つけ薬の一種なんじゃないか?


 見事! 初陣にしてその慧眼、お前さんは腕の良い足軽になれるぞ。

 『三国志演義』でも、曹操が口の渇きに苛まれる配下の軍勢に対し『もう少し行けばの林があるぞ!!』と巧みに鼓舞した話があるが、人間とはいかに賢く悟ったようでも、根は単純なものじゃ。

 梅干を見れば意思に拘わりなく口中に唾が沸き、それを飲めば少なからずも喉の渇きを癒すことが出来る。この梅干…人呼んで『梅干水渇丸(うめぼしすいかつがん)は、まさしくそのようにして扱うものなのじゃ。


 先の選択での説明と重なるが、間違ってもこの梅干を食ってはいかん。

 それをやればかえって喉が渇き、温存しておいた水に手をつける間違いのもととなる。あくまで気付け薬として眺めるにとどまり、命ひとつが無事なうちはこれをつっぱめ、つっぱめして食わないものだ。

 非常に子供だましな愚策に見えるかも知れぬが、百聞は一見にしかずという言葉がある。わしの言葉を疑うのならば、今すぐ家に帰って梅干をひとつ手に取り眺めてみるか、それを食らうおのれを想像して見るがいい。

 …―よほどの天邪鬼でなければ、それで口中は唾液で潤うはずじゃて。

 
 

少し深読みを要する問題じゃったが、第二問の解答は…今度こそすっきりすっぱり、『B』じゃ。
 無粋で粗忽な乱暴者の独壇場とおもっとった雑兵足軽も、割かし頭を使った生き残り戦術をしておると理解できたであろう。

 

 次回は、いよいよ開戦に向けての最重要事項…武器と防具の正しい扱い方を教えてやろう。

 なに、そんな物騒なものは持っておらんじゃと?…―――っかかか、それは至極当然。一回の駆け出し足軽が自前の鎧具足を持つなど、戦場を甘くみておる証拠じゃ。それらがどこで貸して貰えて、どのように扱うべきなのか…――それをとっくりと教えて進ぜよう。



■ さて、【戦国歴史をリアルに楽しく疑似体験するシリーズ】、その第二回をお届けいたしましたが…いかがだったでしょうか。

 次回は前準備編の第三部、ベテラン足軽の権兵衛がいよいよ武器・防具についてレクチャーしていきます。

 彼が今も足軽装束の一部として肩に引っさげている長槍。一本やり、一番槍、投げ槍と今も様々な慣用句にその名残を残す『』という武器ですが、戦国時代に華々しい活躍をしたこの武器…雑兵足軽たちは実に変わった扱いで敵との戦闘に用いていたのです。



はたして、われわれが常識だと思い込んでいる戦場での武器の扱い、その実態やいかに?次回の当ブログ更新に御期待ください。( -(,,ェ)-)



 ■ それでは、今回もいよいよ当ブログでの扱いが刺身のツマ以下になりつつある大河『江』の感想&与太話、その第二十四話『利休切腹』について徒然とお話していきたいのですが…。


 今回は豊臣政権の基盤が崩壊していく歴史をわりかし堅実に追いかけていく結果となり、久々に重厚な戦国歴史大河が描かれることとなりました。

 ファンタジー・脳天気部門担当の江姫(上野樹里)たちは物語の脇に回るような感じで、主人公らしからぬ扱いだったのですが…何と言ったらいいんでしょう。そのおかげで、画が締まり暗いお話の筋道が強調されていました。

 そのおかげで、徐々に暗い影のさしていく豊臣家の混沌とした様子、最盛期の輝きを失い迷走していく天下人・豊臣秀吉(岸谷五朗)の複雑な心模様と、天下一の茶頭・千利休(石坂浩二)がそれを見抜き心離れていく様子を丁寧に描写しています。

 これまでは秀吉&江姫という二大重要人物の狂言回しみたいな扱いだった黒田官兵衛(柴俊夫)の策士ぶりや、ここ数週で突然変異した石田三成(萩原聖人)の底意地が悪い怜悧な官僚面が視聴者に深い印象を与えます。


 かつて秀吉は、大坂城へ拝謁にはせ参じた豊後国(現大分県南部)の戦国大名・大友宗麟に対し『わが豊臣政権で判らないことがあれば、外のことは秀長に、内のことは千利休に聞いて下され。』と教え聞かせたという話があるとおり、豊臣秀長と千利休はそれまで秀吉にとって最高のブレーン。


 そんな二枚看板が一挙に落っこちたのが今回のお話。利休の切腹に先立つことわずか二か月前、大河『江』では影の薄い存在であった秀長の五十一歳という早すぎる逝去は豊臣政権の屋台骨を大きくぐらつかせる原因ともなりました。


 実は秀吉、『人誑し(ひとたらし)などというあだ名を頂戴するほど人心の機微を読むことに優れた謀略家であった半面…同僚同輩との人間関係はとても苦手としていました。才気煥発で器量の大きい人は得てして自信が強すぎるあまり、才能の無い同輩を下に見て気遣いを怠ったり心の動きを読まない向きがありますが、秀吉もそういう性格だったようです。

 そんな秀吉の大活躍の裏、織田家中の嫉妬が集まる中で羽柴家が他の織田家同輩と仲良く付き合うために気を配ったのが秀長でした。


 いわば、秀長は『豊臣秀吉』という一世一代の英傑が戦国時代の出世道を駆け上がっていく上で外すことが出来ないもの。

 内では様々な不平不満も集まろう家臣団の心を支え、外からの干渉や問題ごとには兄にない交渉術やその優しい人柄で対応していく。まさしく秀長は大所帯になって色々と人間関係や勢力争いが難しくなってきた豊臣政権の"潤滑油"、車で言えばサスペンションとショック、そしてスタビライザーを一人でこなしていたのです。


  その豊臣政権を支えていた縁の下の力持ちがへし折れ、そしてもう一つの支えであった千利休が一人での吸収衝撃に耐えられず、秀吉との仲たがいの末にへし折られてしまった。秀吉も天下人という沽券があるせいで素直に千利休の補佐を欲することが出来ない。

 千利休は利休で、今まではその器や人格に惚れ込み、敬慕すら感じていた秀吉が天下統一を果たし、古今無双の実力者になるにつれてはなつようになった"権力のなまぐさいにおい、英雄ではなく一個の俗物としての秀吉"に耐えられなくなった。

 秀長が居ればどうにかなったかも知れませんが、その頼みの綱、衝撃を吸収し続けてきた豊臣家の片輪…その支柱と撥條(バネ)は壊れて崩れ落ちたあと。

 石田三成ら新世代の官僚派閥と千利休に生まれたあつれきも、利休の心が秀吉から離れていく要因となったのは間違いありません。
 石坂さんの深い表情や、『今の秀吉は嫌い』と呟く様の寂しさ具合も最高に絵を引き締めた名場面。あぁ、これでまた一人、見どころのあるキャスティングが見納めになってしまったorz

 相模北条家を滅ぼし天下統一を完成したというのに、暗雲と凶兆の予感ばかりが目立った回でしたが…久方ぶりに歴史大河らしい、重厚で奥の深い歴史事件を背景にした完成度の高い回だったように思います。


 さて。最後に…これを言ってしまうと元も子もないような気がしますが…―――主人公であるはずのじゃじゃ馬娘と愉快な仲間たちが物語のわきにそれると、途端に物語に魅力が出てくるように感じるのは…―――ぇ。やっぱり気のせいじゃないですよねぇ…( =(,,ェ)=)

2011年大河『江』 【戦国歴史をリアルに楽しく疑似体験するシリーズ】私をイクサに連れてって Vol.3【武器防具/前編】 with 大河『江』第二十五回 愛の嵐 感想と解説





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