2011年大河 -姫たちの戦国-』   - 第二十六回 母になる時 -

■長野県真田町商工会が『真田三代歴史検定』申込の受付を開始。

 □上田市の真田町商工会青年部は、地元ゆかりの戦国武将真田氏に関する知識を試してもらう「真田三代歴史検定」を8月7日に実施する。

 真田幸村の祖父幸隆が建てたとされる真田氏の菩提(ぼだい)寺、長谷(ちょうこく)寺などがある「真田の郷」をアピールしようと、初めて企画。歴史や史跡、人物に関することなど「初級」の100問を用意し、50問以上の正解で合格とする。今月28日まで先着200人で参加者を募集している。
 

 二言目には『いまだかつてない、日本全土級の一大戦国ブーム』と吹聴し続けている当ブログのお気楽管理人ですが…さすがにテレビや新聞といった一大メディアではその熱狂振りを大々的には宣伝しないのが現状。おかげで、同じ戦国武将・戦国時代Fanであってもその熱狂振りと経済効果の認知度には差がある模様。


 それでは、赤髭が発掘してみようと思い立ちネットを調べてみれば…まぁ、出るわ出るわ日本全国、御当地武将を餌にPRして町おこしをしようという企画諸々。


 今回はそんな中から、『真田』の名を平成日本に脈々と伝承し、真田幸村を筆頭とする真田一族発祥の地・長野県真田町の商工会議所が発表した『真田三大歴史検定』をご紹介します。
 


□問題は全て四者択一で、前上田市立博物館長の寺島隆史さんらが監修した。
 週刊上田新聞社刊「疾風六文銭 真田三代と信州上田」を公式テキスト、信濃毎日新聞社刊「真田三代 活躍の舞台」を参考書に指定。

 問題の半数以上が両書から出される。合格者には、認定カードと真田氏の家紋「六文銭」をデザインしたピンバッジが贈られる。








 昨年6月の同青年部定例会で検定実施の提案があったのを受け、同部とOBらが実行委員会をつくり、地元で開かれる「真田まつり」との同日開催に向けて準備を進めている。実行委はいずれ中級、上級の検定も企画する考えだ。
 
 検定を提案した同青年部OBの宮崎凡(やすし)さん(41)=上田市菅平高原=は「真田氏といえば、上田城跡がある旧上田市や長野市松代町が目立ちがちだが、真田地域にもゆかりの場所はたくさんある。検定を通して地域の魅力を発信したい」と話している。

 

■赤髭も過去には、安土城郭資料館でひっそりと開催されていた織田信長検定に百点満点で合格。とかいう無駄知識の有効活用をした記憶がありますが、どうやら真田三代検定はかなり本格的な御様子。

 テキストその他は歴史・戦国グッズ販売の真田雁丸屋さんが全国販売している模様。八月七日に長野県上田市真田町に出向かないと検定が受けられないのが悔しいところですが…。



 地元町おこし企画なのだろう『真田まつり』に合わせて開催するあたり、知名度も人気もトップクラスの真田幸村でライトな歴史Fanのみならず腕自慢の歴史FANをも呼び込もうという意気込みがひしひしと感じられます。

 不景気風が吹きすさび、耳の聞こえも悪いマイナスイメージな事件しか響いてこないこのご時世をものともしない戦国時代人気。今後もこの調子で戦国時代ブームの熱気を維持し続けて欲しいものです。

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 ■ それでは、今回はいよいよ当ブログでの扱いがお菓子のおまけ以下だった大河『江』の感想&与太話、その第二十六話『母になる時』について、久方振りに紙面を割いてお話していこうと思います。

■第二十六話『母になる時』総評
  話のあらすじは豊臣政権開幕から一年で訪れた暗雲、崩壊の序曲が前奏を始める1592年(文禄元年)から。


 相模北条家を降して天下統一を完成した豊臣秀吉だったが、それから間もなくして政権のNo.2であり長年苦楽を共にしてきた弟・豊臣秀長(袴田吉彦)を失い、政治顧問的存在だった茶頭・千利休(石坂浩二)を意地の張り合いの末、切腹自害に追いやってしまう。

 その上、五十歳を過ぎてようやく恵まれた最愛の子・鶴松をも病で亡くし、髷を切り落として半狂乱となる秀吉。もはや天下統一を達成した当代きっての出世人・関白太政大臣の威風はなく、白髪が増えて老け込んだ秀吉はすっかり往年の勢いを失う。


 側近の石田三成(萩原聖人)の献言により朝鮮出兵・明国討伐を開始した秀吉は筑前名護屋に城を築き、総勢三十万の大軍を率いて異国征服事業に取り掛かる。

 陸戦軍が李氏朝鮮の都を陥落させた報告に気を良くした秀吉は自らも渡海を計画、九州名護屋に着陣するが…上機嫌な太閤殿下とは裏腹に、豊臣水軍は朝鮮水軍に苦戦を強いられていた。

 江姫が二番目の夫として愛情を捧げる若き貴公子・豊臣秀勝(AKIRA)にも出陣の命令が降る。

 まるでこれが最後の別離かのように江へ感謝の言葉をかける秀勝を笑顔で見送った江だったが、これが今生の別れになるとは知る由も無かった。


 日本全土、豊臣家に忠誠を誓う諸大名がみな朝鮮出兵に追われていた1592年(文禄元年)七月

 天下人・豊臣秀吉の母であった大政所(奈良岡朋子)が病床に臥す。豊臣秀勝の子を宿していた身重の江が見舞うなか、大政所は新婚生活を合戦で引き裂いた秀吉の非道を江に侘びながらその生涯を閉じる。

 従一位大政所、享年八十の大往生だった。


 秀吉は最愛の母の臨終に間に合わず、半廃人の様な評定で母の仏壇前に座り込み悲嘆に暮れる。その横顔には日本史上最大の出世人となった武将の雰囲気はほとんど見受けられない。

 李氏朝鮮水郡が誇る装甲戦艦・亀甲船の前に苦戦を強いられる豊臣秀勝。本土からの補給線が絶たれ兵糧が滞るようになった日本軍は朝鮮民から食料を徴収し、泥棒呼ばわりされる始末。

 秀勝は朝鮮人民に難儀をかけてはならないと一喝するが、部下の侍が朝鮮民に斬りかかろうとするのを止めた際に斬撃を受けて昏倒。


 傷は深く、容態が悪化する秀勝。そして遂にはその戦陣内に倒れる…。


 間もなく臨月を迎えようとしていた江の元に、呆然となった豊臣秀次が『秀勝病死』の報を持って訪れたのは、それから暫くしてのことだった。

 あまりの悲嘆に産気づいた江は今や亡父の忘れ形見となってしまった女児を出産。

 かつて実父の顔も記憶もなく戦乱に命を授かった江姫は、皮肉にも同じ境遇の娘を授かることとなった―――。




□気づけば大河『江』も残り二十話を切る佳境に入ったわけですが、そのせいか話の流れが急速です。

 先週、ようやく二番目の夫・豊臣秀勝と結ばれたかと思えば今週にはもう死別、前回・前々回から豊臣秀長・千利休といった大物が次々と歴史の表舞台を去っていく中、今週は大政所と豊臣秀勝がフェードアウト。

 江の生涯のどこに強く焦点を当てるのかは定かではありませんが、いささか話しを詰め込みすぎている様な感が否めません。

 今回のお話も『朝鮮出兵』『秀勝との新婚生活』『秀勝出兵』『大政所の死』『妊娠発覚』『秀勝の死』『初めての出産』とかいつまんでみても七つものポイントがあり、いったいどこを重視していいのか判らないストーリー展開。


 視聴後に残るのは『なんか波瀾万丈だなぁ』という漠然とした感想で、印象に残るシーンはどこかと聞かれると絞込みに困る様な内容だった気がします。



 ただ、この『豊臣政権が徐々にほころび、朝鮮出兵でその基盤が崩れ落ちていく過程』というこの時期は普通、漫画や映像化などの題材に採り上げられることが少ないため、そういう意味ではなかなか見所のある時代ではあります。

 大河『秀吉』では竹中直人さん演じる豊臣秀吉の一大出世物語をスケール大きく逞しいストーリー展開で描写しましたが、どうしたわけか天下統一完成後の生涯は語られることがなく、夕陽が寂しく輝く大坂城を秀吉が一人とぼとぼと歩いていくシーンで終幕となっていましたし…


 秀吉を主人公格とする様々な物語でも、晩年に起こった数々の事件についてはあまり触れられません。



 信頼する弟妹や政治顧問、最愛の我が子に実母…次々と大切にしていたものを失っていく豊臣秀吉。かつて大阪城を築き親類縁者を招いた際のこぼれるような秀吉の笑顔を思い出せば、大政所逝去の次のシーン、仏壇の前で眉根をひそめて悲嘆にくれる秀吉の顔には、才気煥発な戦国きっての風雲児である秀吉しか知らない視聴者にはとても新鮮だったのではないでしょうか。

 三姉妹にとって、かつては父母の仇敵と憎みこそすれ同情や愛情を抱く相手ではなかったはずの豊臣秀吉が朝鮮出兵という狂気の裏で胸中に抱いていた思いは、少し前までは五十歳過ぎとは思えないバイタリティにあふれていた秀吉を一気に老いた寂しい権力者へと変化させています。ここは実力派俳優・岸谷五朗さんの面目躍如な表情といっていいでしょう。




【大河『江』歴史物語 〜物語に隠された裏事情〜】
■戦国時代きっての親孝行にして親不孝、豊臣秀吉。

 前回に最愛の嫡子・鶴松を失った際には半狂乱になって悲嘆に明け暮れた秀吉でしたが、今回は最愛の母を失い…なにやら自失呆然といった様子で仏壇前に座り込んでいました。


 『我が子と母親では、悲しみ方のスケールがあんだけ違うのか秀吉(・(ェ,,)・ )』、と思われた視聴者の方もいらっしゃるかとは思いますが…実は秀吉、母が危篤という情報を筑前名護屋で聞いた際には、これ以上にないというほど取り乱したと記録に残しされています。



 日本中から東洋医学は勿論、南蛮人と一緒に渡来していた西洋の医学者をも招集して大政所の治療に全力を注がせたほか、京都奈良の大神社・仏閣には大規模な病気平癒祈願を命令。

 もちろん自身も様々な神仏に祈願文を奉納し、その文面は『自分の命は幾ら縮めても構わない、一日でも長く母の命を永らえて欲しい!!』と藁にもすがるような懇願振り。


 さらには、九州から瀬戸内海の最短距離航路を猛スピードで帰還、全力で大坂に戻ろうとしますが…ここで何と一大トラブルが発生!!

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□尾張の貧農の倅から日吉山王神社の申し子、足軽から関白太政大臣に成り上がった、古今無双の風雲児・太閤・豊臣であるッ。


 『何、まぁた三択問題のくえすちょんをしに来たのか?』じゃと。

 儂に文句を言わんでくれ、筆者が抑揚のない堅物歴史コラムにちょっとでも花咲かせようと、無い知恵を絞って考えた催し物なのじゃからのう。

まぁ、儂のような器量に優れ天地人の皇に愛された天賦の才には判らん苦労じゃがな。かっかっか!!  ( -(,,ェ)-)oO( ほっとけや )




 さて、平成日本の歴史数寄をも虜にし、戦国武将でも五百年に渡る崇敬を受けた儂であるが、どうもわしが天下を取って後の日本史…歴史的事実についてはあまり知られておらんようじゃのう。


 無理もないこと、血沸き肉踊るような闘争の次代は終わり、天下泰平の平和が訪れた安土桃山時代のこと。数多の群雄が割拠した戦国時代を思えば、それほど取り立てて話題になるような事件も無いからかもしれん。
 


 だが、後々の時代まで『狂気の侵略戦争』と呼ばれ、この秀吉一世一代の失策とされた朝鮮出兵など、掘り返して見れば面白い事件も多いのじゃぞ、実は。
 
 例えばじゃ。…――今、筆者である赤髭が説明しようとした『一大トラブル』。


 実はこの頃、一歩間違えればこの太閤秀吉の身に『戦国歴史が変わるかも知れない大事件』が起きておったのじゃ。



 
さて、お主らはそれがどんな事件だったか知っておるかの?
 

 以下の四択より答えるが良い。他の連中と違って一項目多いのが太閤流よ。

 果たしてこの難問が解けるかな?
  ヒントは…――『板子一枚下は地獄』かのう。


@急いで大坂城に戻る際に瀬戸内海を経由したが、大嵐に遭って乗艦が沈没。あやうく遭難死しかけた。

A豊前国(現大分県北部)を経由して太平洋航路で大坂城に戻る際、南蛮人の戦艦に砲撃された。

B山陰道を経由し大坂城を目指したが、出雲国(現島根県東部)で尼子家の残党に襲われ、あやうく斬られかけた。

C最速で大坂城に戻るため山陽新幹線の切符を買ったが、ホームを間違えて下関に着いてしまった。


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 急に太閤殿下直々に乱入がありましたが…―――まぁ、正解は@急いで大坂城に戻る際に瀬戸内海を経由したが、大嵐に遭って乗艦が沈没。あやうく遭難死しかけた。』です。


 たぶん、日本全土を統一した時の政権指導者が大嵐で遭難死しかけた、だなんてのは後にも先にも豊臣秀吉くらいのものでしょう。




 本能寺の変や賤ヶ岳の合戦では当時の常識を覆す猛スピードで目的地に到達した経験もある秀吉でしたが、天下人になって足が鈍ったのでしょうか?

 幸いにして秀吉の身柄は毛利秀元(毛利元就の孫、毛利輝元の従兄弟)によって無事救護され、大坂城に生還することが出来たのですが…


 その時には既に大政所はこの世を去り、戦国時代きっての親孝行者だった秀吉は『親のに目に立ち会えない』という最大の親不孝をするハメになりました。

 最愛の母の遺言やこう着状態に陥った戦線を立て直すため、悪夢の朝鮮出兵は一時中断されることになりましたが…


  大河『江』での仏壇前で途方に暮れていた秀吉は、まさに命懸けで最後の親孝行をしようと大冒険をし、命からがら大坂城に帰ってきた直後だったということになります。


 なお、秀吉の危機を救い『天下人が海難事故で危機一髪』という大事件を未然に防いだ毛利秀元は秀吉から感謝と大絶賛を受け、1595年(文禄四年)には周防国・長門国(現山口県)を与えられ毛利家より半独立状態の大名となりました。


 この際、秀吉は秀元に『毛利秀元は秀吉の恩人である。このたび与えられた防長二国はその感謝の印であり、何人たりともこれを奪い取ることは出来ない!!』という朱印状を与えたそうです。

 後に毛利家はある『天下分け目の大合戦』で貧乏くじを引き、あやうく御家断絶となりかけましたが…――この時の秀吉からの感謝状がその危機を救うことになります。



■ さて、今回もリベラルを装った歴史痛視点(蹴)での感想でしたが…いかがだったでしょうか。

 次回予告では、結婚二週目で早くも未亡人となった江が涙しながら夫の名を呼ぶ印象的なシーンが登場。

 関白太政大臣を辞して太閤となった豊臣秀吉、しかし朝鮮出兵は明王朝が李氏朝鮮に援軍を出して戦線はこう着、援軍を出そうにも海にでは朝鮮水軍が百戦錬磨の豊臣水軍に圧勝。

 野望遥か彼方、異国占領を目指す秀吉の眼に映る野望とは…秀勝の遺言とは何なのか。そして、波乱続きの三姉妹を待ち受ける命やいかに。

2011年大河『江』第二十七回 秀勝の遺言 感想と解説





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