2007年大河『風林山』   - 第十四回『孫子の旗』 - 


■本日はクラシックでお届けします。当時、放送日は統一地方選挙があったようです。

 先宵の『風林火山』は統一地方選挙結果速報のお陰でいつもより1時間余り早く始まりました。地方選挙の方は全地域の知事選で現職が対抗馬を破り、まったく危な気無い選挙戦になったようですが…果たして『風林火山』での合戦も大番狂わせ無く終わってしまうのでしょうか?

 …ではでは、今宵も登場人物・俳優別に感想と歴史痛的薀蓄をちりばめた与太話を展開していきたいと思います。
それでは、今宵も皆様のお時間を少々拝借仕る。…されば、いざッ。( ;・`ω・´)


■甘利虎泰(竜雷太)
『戯ぁあぁれぇ言を申すなぁッ!!(#゚Д゚)』
 旧世代の武田家重臣達の旗頭、反勘助派の急先鋒である虎泰親父が今宵もいきなり吼えてくれました。…まるっきり、豊臣秀吉の出世物語における柴田勝家のポジションを踏襲したような反応。竜さん、血管切れそうです。(苦笑
 
『黙れィッ!!…ひかえぇぃ!!』 …いや、ほんと血管切れますよ。(汗


 晴信・信方主従と違って先代・信虎にも寵愛を受けていた虎泰としては、かつての主君・信虎に『武田家の軍師』と賞賛された自分が、勘助如き若輩の戯言に勝らない事が腹立たしくて仕方ないのでしょう。

 大井夫人にこぼした愚痴に『…軍師の様に扱われるのか』と思わず本音も見え隠れしていましたし。


 赤髭的には、武田家家臣の筆頭格である『両識』の片翼なはずの甘利虎泰が、いちいち新参者の勘助の言葉に怒り心頭に怒鳴り散らすというのも何だか器量が狭い様に思います。
 柴田勝家も実際は『甫庵太閤記』の挿話ほど羽柴秀吉を毛嫌いしていた訳では無かったようですし…。


 最後に『風林火山』の軍旗を見上げて微笑む横顔、立居に武田騎馬軍団の古兵らしい落ち着いた佇まいが見えたのがせめてもの救いといったところでしょうか。


 …とか思ったら、また次回予告では勘助に向かって吼えている虎泰。まだまだ確執は続きそうな気配。


■高遠頼継(上杉祥三)
 何なんでしょう、この余りにも嵌っている『野望は人一倍だけど器量がそれにおいついてない小者』的な雰囲気は。(^^;


 勘助と教来石景政(高橋和也)が偽装付きの撒き餌を蒔いてもまったく疑わず、『やったぁ♪』みたいな顔で喰い付いて来てきたり、二人が口論を始めれば嘲り顔で二人をなだめて得意になるなど、まったく武田家の真意を読めていない様子。


…まぁ、歴史上の高遠頼継も浅墓な武将でしたし、まったく違和感はありませんが。(苦笑


 ちなみに、彼の居城であった信濃高遠城。
…後に戦国の覇者・織田信長が侵攻した際には仁科盛信(にしなもりのぶ)が城主として入り、織田信長の嫡男・勘九郎信忠の軍勢を迎え撃ち、壮絶な篭城戦を展開することになります。盛信は織田方の降伏勧告を頑としてはねつけ、最期の最後まで戦い抜くこととなります。


 歴史の皮肉、という奴でしょうかね…。(´・ω・`)


■武田晴信(市川亀治郎)
 『どこが気に入った。…どこが好きじゃ』と来て・・・『ばぁーか。(*゚∀゚)』の一言で思わず腰が砕けたのは、決して私だけではないでしょう。(苦笑


 その後の勘助をからかう様な素振りを見ていたら何だかそのシーンだけ現代劇の様に思えたのが、また何とも既視感のある厭な予感でして。本格的かつ重厚、そしてリアルな戦国大河を目指した『風林火山』ですが、重く堅苦しいだけでなく、こういった茶番めいた描写を時折挟み込んできます。たまには気を緩める演出も必要、といったところでしょうか。



 さて、今回は終盤に武田信玄と甲斐武田騎馬軍団の象徴となる『孫子の旗』が登場します。


 紺地に金泥で大書された軍旗が翻った際に、その勇壮さに想わず鬼美濃も歓声を上げて拳を振り上げましたが、この『風林火山』とは、以前もご紹介した古の名軍師・孫武長卿(そんぶ-ちょうきょう)の兵法書の孫子兵法十三篇、その一項である【軍争篇】で、兵を統率する時の武将としての心構え、軍配の真髄を言い表した一説です。


 

 正確には、


 其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷霆


 (軍の指揮とは。進軍する時は風の様に速く、止まる時は林の様に静かに。 攻撃を始めるときは火の様に激しく、防禦戦のときは山の様に堅牢に。 兵を伏せる時は影のように、奇襲を仕掛ける時は稲妻の様に。)


 という文面になります。


 勘助が温泉で上四句を朗々と詠み上げた後、晴信が下二句を嘯いていますが、風林火山における勘助の立居振る舞いと言うのは、本当にこの言葉に集約されている様な気がします。
 
 井上靖原作『風林火山』では"めっかち"だの"ちんば!"だの、散々な言われようをする醜悪な様相で小男・山本勘助。
■普通に差別用語ですが、原作での風味を表現するため敢えて掲載いたしました。四年越しにお詫び申し上げます。


 風采の上がらない、五体も不具と恵まれていない容貌ながら、いざとなれば脚の不自由を感じさせない機敏な行動力を発揮し、平素はその切れのある頭脳はひけらかす事がなく静か。

 そうかと思えば青木大膳を斬って捨てた際や、後顧の憂いとなる敵将の処遇を速やかに処断に踏み切った非情なまでの実行力があり、困難な状況では虎視眈々と"勝機"が到来するまでじっと耐えぬくという我慢強さ…など、随所に『孫子』の教えを実行に移した様子が読み取れます。

■つまり、風林火山とは勘助の生き様でもあるんですね。風林火山という題名、深読みすればするほど面白いです。

 
■三条夫人(池脇千鶴)
 ぁぁ。由布姫の姿が見え隠れしてきたと思ったら早速、晴信との夫婦仲が一気に黄信号点灯に(泣。


 今までの三条夫人は晴信との仲も睦まじく、表情も柔らかくて魅力的でしたが、今回に限ってはそういった表情が無くなり、いやなタイプの三条夫人にシフトチェンジしてきているようです。


 今週から『晴信さん』じゃなくて『おまえさま』に呼び方が変わりましたし、『お前様のなかに、さように非道なものがあろうとは。』と言い放った際も、言葉の表面の意味以上に何か冷ややかなものに感じました。赤髭は由布姫(柴本幸)を見ても…どーも馴染めないので、彼女のヒロインの座陥落はあんまり歓迎出来ません…。


 公家の生まれの高慢ちきなプライドを丸出しにして、側室達を苛めまわった、二言目には『京都では、京都では。』と嫌味を言った。という悪妻説に傾いていくのかなーとか思うと、少し悲しいです。
 …けど、原作でもかなり辛辣な言葉を吐く厭な役回りなので、それも不可避かなぁ…orz


 


 余談になりますが、彼女の姉が時の室町幕府管領・細川晴元(ほそかわはるもと)の正室である事は以前にも話しましたが、実は三条夫人、歳の離れた妹も居たりします。


 実は父親の転法林三条公頼(小杉幸彦)は実父ではなく養父、三条夫人は阿波守護職・細川持隆(ほそかわもちたか)の娘なんだとか。

■…――細川持隆の名前にピンと来た方。『れきたん。』の御愛読ありがとうございます(いらん宣伝すんな(*>ヮ<)っ)・ω・`)・∵;;


 当時の実力者は『名家と姻戚関係を結ぶとき、実の娘がいなくても別の名家から養女を迎えて、その子を別の家に嫁に出す』なんてことをよくやっていました。

 縁戚関係を広げることで、戦国時代の荒波を乗り越えようと考えていたんでしょうね。もし本家が没落しちゃっても娘の実家へ逃げ込めますし、ご飯だって食べられますから。


 


 閑話休題。その妹が嫁いだ先は、石山本願寺門跡・本願寺顕如(ほんがんじけんにょ)。


 …石山本願寺は、言わずと知れた浄土真宗の総本山。

 『南無阿弥陀仏』の六文字を読経し、御仏の慈悲にすがればどんな悪人でも極楽往生出来るというわかりやすい教義で爆発的に信徒を増やし、死を恐れない一向宗門徒達を扇動して各国の戦国大名と戦ったという、寺院というより武装宗教勢力に近いものでした。


 特に北陸地方では強い影響力があり、加賀国(現石川県南部)は一向宗門徒が守護職の富樫家を滅ぼし、一向宗門徒の合議で政治を動かす『一揆持ちの国』となっていましたから、その軍事力や財力・威信はヘタな戦国大名をうわまわるものでした。


 つまり、甲斐の虎・武田信玄と一向宗の総大将・本願寺顕如は、正室が姉妹…よって義兄弟の間柄。


 この縁戚のお陰で、武田信玄は宿敵である上杉謙信や徳川家康、織田信長の覇業を大いに阻んだ強敵・一向宗門徒達とまったく衝突をする事なく、勢力拡大することが出来たのです。

2007年大河『風林火山』第十五回『諏訪攻め』 感想と解説





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