2007年大河『風林山』   - 第十六回 運命の出会い -


 さて、本年度の歴史大河『江』が始まった訳ですが…『何と言おうか、同じ戦国大河というジャンルであっても、ここまで違うものでしょうかね。』というのが素直な感想だったりします。

 上野樹里さんの演技も上手いし、脇を固めている北大路欣也の徳川家康や石坂浩二の千利休も確かに存在感抜群なんですが…――何というか、今の時勢に受けるように、そしてその仕様を確実にブームに乗せられるようにNHKも確実にバックアップしてるんですよね。 =( ;・`ω・´)=[槍>


 とにもかくにも、『本格派かつ新鮮』『新鮮かつ重厚』という確かな信条をもって造られた07年大河『風林火山』と比較してしまうと、何か…戦国時代の本質とか本当に大事なことが、視聴者に伝わっていない気がするんですよね。
 
  何、まだ二回しか放送してないのに、風林火山と比較するのは良くないって? 


 …今は江姫が本格的な主人公格として機能しない、戦国時代中盤のダイジェストみたいな状態ですから、まだまだどう変わっていくかは判りませんが…けど、江と織田信長(豊川悦史)のやりとりを見ていると、なんだか今回も恋愛物語のように仕上げられそうな気がまんまんにします。
 
 
  まぁ、それが今の世情に合った戦国歴史大河の姿だと言うなら、仕方ないかも知れませんが…――うーん。( ;・`ω・´)
 
  今宵は気を取り直して…戦国の無常をありありと描いた近年でも屈指の秀作だった大河『風林火山』第十六話の感想をお送りいたいと重います。


 この回はちょうど、由布姫(柴本幸)の父親・諏訪頼重(小日向文代)が切腹した回。
  同じ、ドラマの主人公(ヒロイン)の『父親』が亡くなったという意味では、『江』の第一話と比較にもなる節目の回でしたが…今見直してみても、その描写の深刻さやリアルさの違いがありありと浮き彫りになります…。
 
■山本勘助(内野聖陽)
前回、晴信や由布姫に『悪鬼』と評された神算鬼謀の策士・勘助ですが、やはり前回に景政に見せた鬼気迫る剣幕は、主君の為なら同僚すらも斬って捨てる、人の心を捨てた羅刹の顔だったようです。



 策がことごとく的中し、思惑通りに諏訪総領家とその所領を切り取った勘助、眉間に僅かな顰みを浮かべたままの表情で諏訪家残党の撫で斬りを口にします。

 『…うぬは心が痛まぬか?』と嫌味蔑みたっぷりに甘利虎泰(竜雷太)が毒づいても、悪鬼はただ『戦とは…斯様な物にござりまする。』とさらと言いのける。


 …この時の勘助の眉一つ動かさない冷酷な迄の落ち着き振りが、戦国乱世に生きる者の冷徹さを否応無く味あわせてくれます。前回、勘助に危うく斬られかけた教来石景政も『勘助は、人ではありません…。』と呻くように呟きましたが…この非情さの描写が、今の『江』には絶対的に欠けています(まだいうか。




 しかし…武田家との闘争に敗北し、戦国の表舞台より去り行く諏訪頼重の懇願を受けると…勘助の表情に変化が浮かびます。 戦国の習いにより命を散らして逝く同族達の悲運をも背負い、生きている事を諦めない決意を涙ながらに呟いた由布姫を目の当たりにして、人の心を垣間見せてくれました。 
 桑原城での最終決戦で、復讐に燃える平蔵と邂逅した際の表情にも、心底悪鬼羅刹にはなりきれない勘助を見ることが出来ます。


 あと、ストーリー前半のヒロインであり、勘助の心の拠り所だったミツ(貫地谷しほり)と、新機軸展開でのヒロインである由布姫を繋ぎとめる摩利支点像の描写も秀逸でした。
 これで無理なく感情移入が出来るというものです。次回からはいよいよ、勘助と由布姫との屈折した関係が始まります…。

 赤髭は内野聖陽さんという俳優さんを良く知らないのですが、内野さんはこの修羅とも羅刹ともとれる隻眼の策士・山本勘助の色々な側面を多種多様に、良く演じきっていると思います。

 沈黙して顰めッ面をしている時の冷静な渋さと、激昂した際の憤った表情…妙策を思案し、それを成功裏に収めた際の才気と自信に溢れた顔…どの表情も非常に魅力的です。
 …っと、晴信に適当にはぐらかされた時の困惑した顔も魅力的っちゃあ、魅力的でしたが。(苦笑 

■武田晴信(市川亀治郎)

武田との誼を蔑ろにし、上杉と和したのは
    どなたでござろおぉッ!!??(#゚Д゚)





 甘利虎泰共々、主従揃って怒声が喧しいです。(苦笑

 詩歌に耽溺して板垣信方を泣かせた若殿の頃を思えば、回を重ねるごとに甲斐武田家の総領らしい風格も出て来てはいますが…もう一つ、まだ補えていない箇所のある晴信。

 …高遠頼継・蓮蓬軒兄弟をあしらった際の落ち着きのある佇まいにも風格はあったと思いますが、今回重要と思われる一場面…諏訪頼重を落胆させる大喝を言い放つシーンですが、その大喝する言葉から威厳を見出せず…単にうるさいとだけ感じたのは、まだ晴信が貫禄不足だからなのでしょうか。(汗 鬼魄は充分に篭もっていたのですが…。

 それにひきかえ、今回も板垣信方(千葉真一)の存在感は光りました。槍で払えば鎧武者が一回転受身して吹っ飛び、!!(゚∀゚)そ …侍女が薙刀を持って突っ込んで来ればその薙刀を奪い取って枯れ枝の様に振り回す豪快さといぶし銀の渋さといったら!!

…サニーってば…素敵です。

 …やっぱり武田玄はサニーがやれb(世迷言につき以下削除。

■諏訪頼重(小日向文世)
 諏訪大明神のご加護も戦国乱世の嵐から諏訪大祝家を救う迄には至らなかったようです。



 諏訪一族に不和を為す佞人・高遠頼継と甲斐の虎・武田晴信、その覇業を支える隻眼の悪鬼の思惑を最後まで見抜けぬまま、諏訪頼重は腹掻っ捌いて果てました。(享年27歳。)
 死に臨んで、戦国武将達が己の思惑や思想を和歌に書き遺したものが辞世の句ですが…今の世に伝わる彼の辞世の句が、作中でも登場しています。




おのずから 枯れはてにけり 草の葉の  
           主あらばこそ またも結ばめ


  (*註1) (梶の葉は、自然の理に従って枯れ落ちてしまったが、
      (*註2) いずれまた芽を結ぶであろう…主があるのだから。)



(註1)諏訪家の家紋は『三ッ葉根あり梶の葉』です。
梶の葉は…諏訪家は、戦国の習いに従い滅び去ってしまったが、(註2)主…諏訪家の後継者・寅王丸…(と、種(シュ、たね)に掛けています)があればまた、芽を吹き…また梶の葉を茂らせるであろう、諏訪家を復興してくれるであろう。


 …諏訪頼重が死ぬのは無駄ではない、次の世代・寅王丸という"種"に諏訪家の未来を託して死ぬのである。という、武士の最期である"死"を見事な覚悟で飾っているこの辞世ですが…。由布姫が涙ながらに『この歌には父の無念が乗り移っております!!』と叫ぶ表情は、視聴者に戦国の非情さを強く印象づけます。

 由布姫には父・頼重はそんな生易しい思いを抱いてでは無く、『諏訪家は滅ばない、上原城に残った子孫ある限り!』と見事な啖呵を切って、無念のうちに死んでいった様に思えたのでしょう。

 海ノ口城城主・平賀源心入道の最後にも伺えましたが、大河『風林火山』での敗者の滅び逝く様の描写は本当に秀逸です。

 戦国の歴史は勝者によって編み綴られ、今の世に伝わっているのかも知れませんが…その勝者の歴史の影には、その勝者の築いた礎には、諏訪頼重達の様な敗者の骸が…敗北し滅んでいった者達の悲話が満ち溢れているのです。そして、頼重の遺書に落涙し嗚咽する禰々の悲しい横顔。…戦国の世の無情が、ここにあります。

(なお、井上靖原作『風林火山』では、諏訪頼重は問答無用で叩き斬られています。…ぇ?誰にって?…山本勘助。(;゚Д゚)!!)


■高遠頼継(上杉祥三)

 甲斐の虎と狐の化かし合いは、見事に甲山の猛虎に凱歌が上がりました。高遠蓮蓬軒が悔し紛れに『…この高遠を、いや。この諏訪を謀略で掠め取られたッ!!』と叫べば、頼継は哄笑ともとれる様な邪悪な笑みを浮かべた後、



人を誑(たぶら)かす事は出来ても、諏訪明は誑かす事が出来るかのォ!?…如何なる神慮が下されるか、ハッ。見物じゃ!!(;;゚∀゚)』

 と、この期に及んで神頼みなまれ口を叩きます。

 …まだ諏訪大明神が自分たち高遠家の味方とでも思っているのでしょうか。(汗
…嗚呼、何処までも小者的風格がたっぷりです。



 なんだか素敵過ぎて溜め息が出るほどに。
諏訪家を、仲睦まじい諏訪頼重・禰々夫妻の幸せを木端微塵に打ち砕く引き鉄を引いたのが…この欲呆け馬鹿兄弟かと思うと尚更です。 

 これもまた戦国の世の無情なのでしょう…。

 知り合いの歴史痛に『高遠頼継を者ゝと言うな、彼は諏訪・伊那、高遠地方の諏訪家残党を率いて、最後まで武田家と争った一角の人物だぞ!!』と掣肘を受けた赤髭ですが、この際それは殺します。(ぉぉ!?


■由布姫(柴本幸)
滅び去る諏訪家にたった一輪残された可憐な花、以後の『風林火山』で大きな役割を果たすことになる悲運の姫君ですが…今後に武田信玄と山本勘助すら翻弄する事になる鋭い考察力が光ります。

 武田家より父頼重が自害して果てたと聞かされ、辞世の句を一見しただけで…老獪な戦国武将である大叔父達でも見抜けなかった甲斐武田家の思惑を一撃で見抜いていました。その聡明さと眼力には感嘆を禁じえませんが…

…今回、何よりも由布姫が光ったのは桑原城攻防戦で、紅蓮の炎をバックにしながら演じた一シーンでした。

 侍女が自害する時間を稼いでいると、その背後で急に…冷たく、どこか狂気的な哄笑で由布姫が呻く。あのシーンだけは本当に背筋が震う思いがしたものです。



『自刃など厭ですもの。』…。


 火の粉が舞い始める中、短刀を構えて鎧兜に身を包んだ隻眼の悪鬼・勘助に襲い掛かる。見るものを威圧する勘助の畏相、隻眼に射竦められても怯む事無く、涙目で勘助で訴えるシーン。


 気丈夫な亡国の姫君の複雑な心情…というのはかなり難しい描写であると思うのですが、その姿を感動的に演じきった柴本さんには、とても好感が持てました。

 柴本幸さんは見たところ随分とカメラ栄えが激しい俳優さんみたいですが、赤髭が当初疑って掛かっていた演技力については申し分無いように感じたのも、この回でした。
 自害するより生きていく道を選んだ、涙ながらの宣言には胸を打つものがあります。


私はもはや、死ぬことは恐ろしくない!!生きてるほうが恐ろしい。 …生き地獄だからこそ、それを見たいのじゃ!!

 死ぬの…。…どんなに辛くとも、生きていたい・・・。



 そう言って意識を喪った由布姫の片隅に、摩利支天像が光るシーンもまた秀逸。

 その像から、かつての勘助の最愛の女性・ミツの面影が鮮やかに蘇ります。"…生きたい、戦国の世の酸いも甘いも皆、見てみたい。
"
 このシーンをもって、由布姫はミツから『風林火山』で絶対のヒロインの地位を譲り受けます。 赤髭は当初、どうやってこの二人を結びつけるのか…と、密かに期待していましたが…この落城の中、炎の中での譲位劇は本当に見事、賞賛の言葉しかありません。あのシーンに勝る気迫を、果たして『江』の本能寺では描写できるのでしょうか…。

 摩利支天は陽炎、曇天の叢雲を駆ける雷霆を神格化したもので、戦国時代に戦勝の守護神として戦国武将達に崇拝された神でした。

 その威光と加護に守られたかのような、二人の女性との出会い。

 …さてさて、十七話ではどうなることやら。

2007年大河『風林火山』第十七回 姫の涙 感想と解説





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