2007年大河『風林山』   - 第二回『さらば故郷』 -


完全版『風林火山』の第二話、全44分28秒。どうやらカットシーンは今回も無い模様。

第一回・万沢口の合戦で甲斐武田方の物頭・赤部下野守(寺島進)を詭計で討ち取った大林勘助(内野聖陽)。その首級を大事に首桶へ仕舞い込み、故郷の三河牛窪の城下へ十五年振りに帰還を果たします。自身を栄達の道へと導くであろう兜首をにして、勘助は大いなる立身出世の野望を夢見、養家であった大林家の屋敷に跛足を引きながら凱旋するのですが…。

 時期設定は未詳ながら、1535年(天文四年)八月末に起きた万沢口の合戦、その手柄首が腐り落ちていないということは、まだ八月末頃だと推定されます。

天文四年頃の東海道地区勢力図。当時織田信長は二歳、秀吉と家康はまだ生まれる前。(画像は斬Uスピリッツより)

 前回は軽いさわりだけの登場に留まった武田勝千代(池松壮亮)こと武田晴信(市川亀治郎)、武田家総領の跡継ぎとして早くも未来の英傑振りを見せ付ける成長を果たしながらも、父・武田信虎(仲代達矢)にはその早熟小癪な器量を疎まれ遠ざけられます。父信虎が愛したのは、嫡男の晴信ではなく従順な次男・次郎(園部豪太)でした。

 そして、勘助もまた遠い過去に実父である山本貞幸(伊藤高)に不器量と醜い風貌を疎まれ、武士になる道を破棄し仏門に入るよう強要された過去がありました。貞幸が御家の後継者として定めたのは勘助の兄・山本藤七(松川尚瑠輝)。後に主従関係となる未来の大器は、その幼少時に二人が二人とも実父の寵愛を受けられない境遇にあったのでした。

 実父の山本貞幸から武士の道を閉ざされた勘助を哀れみ、我が子として迎え入れてくれた恩人である大林勘左衛門(笹野高史)の元を立って、諸国武者修行の旅に出ていた勘助。

 手柄首を討ち取った栄誉を土産に、実父からは得られなかった慈愛を老養父から得て、大林家を栄達の道へと導こう。意気軒昂に、その強面に喜色をにじませて帰途についたのですが…――その勘助を苦衷の現実が襲います。

 二転三転する山本勘助の境遇は、まるで闘争の神・摩利支天に魅入られたかの様。波乱含みの武士ではなく厳かな僧職としての余生を望んだ両親の願いも、兄の苦慮も捨て置き夢に向かって邁進する隻眼の兵法家に次々と襲い掛かる『現実』という名の波濤。

 錯綜する二組の兄弟が織り成す太刀周りの恩讐劇。一方は、甲斐武田家世継の座…それを決める総領の寵愛を巡っての木刀。かたや駿河で繰り広げられるのは、武士の座を継いだ嫡男と、それを諦め切れなかった五体不具の次男が鍔競り合う命がけの白刃。けれど、その双方が双方ともが打撲や刀傷以上のものを賭けて、しかもほぼ同時期に戦いに望んで居たと言う運命の偶然。物語は第二回目にして、二人の命運を俯瞰ながら大きく引き寄せていくのです。

  大林勘助、改め山本勘助。(内野聖陽)class=

大林勘助山本勘助(内野聖陽)
今回で大林家の名を捨て、晴れて聞き慣れた名跡になりました山本勘助。前回とは違い、長年の流浪生活で得た兵法詭道の奥義、神算鬼謀の数々を披露する機会こそありませんでしたが…終盤、内野さんの気魄みなぎる壮絶な太刀回りを見ることが出来ます。

 十五年振りに養家の大林家に帰還したものの、奢られた蒸し風呂の返礼は手柄首の詐取という結果でした。それでも、武士の道を閉ざさずつなぎとめてくれた恩人の大林勘左衛門には怒気も感情の揺れも表情に出すことはありませんでしたが…なんと言うか、やはり内野さんの演技というか雰囲気、表情は言葉以上にその感情や心模様を強く視聴者に感じさせるものがあります。
 大林家の名を捨てて山本勘助と名乗り、勘左衛門の前から去っていく際の横顔や後姿からは何ともいえない感情のオーラがにじみ出て、いや噴き出ています。

 そうかと思えば、大叔父の庵原忠胤(石橋蓮司)に面会した時に見せた能面の様な策師振り、実兄を謀反人たる疑いの掛かった福島越前守(テリー伊藤)の元から救わなければと熱っぽく語る表情と感情の移り変わり。喜怒哀楽の表出が本当に豊かで、視聴者の感情移入を容易にさせている…内野さんの俳優としての評価が高いことの裏づけである様に思えてなりません。

山本藤七(松川尚瑠輝)→山本貞久(光石研)
勘助の実兄にして、勘助から『武士として生きる道』を閉ざす障壁となった存在。父からの寵愛を奪い、一度は山本家の家名と夢を奪う要因にもなった、今となってはたった一人の血を分けた肉親である兄が再び勘助の前に姿を見せ、再会の舞台となったのは…――皮肉にも、両親の墓前でした。

  『まだ、己が見えぬのか!!』

 幼少の頃から一貫して替わらない、勘助への武士道破棄勧告。けれど、その非情な誅求の裏に潜む感情とはいったいどんなものなのでしょう。

 『他人の始まり』と世間に揶揄される兄弟関係、ましてや戦国時代は養子と実子、血は繋がって居ないとは居え実の兄弟による争いが引き起こしたものです。

 そんな戦国時代のさなか、義理を立てるべき父と母が亡き今もまた、相も変わらず勘助の仕官願望を『己が見えていない』と一喝する貞久。その本意が初めて垣間見えた時、この兄弟の物語もまた急展開を見せることになります。大河『風林火山』最初期の重要人物、山本貞久の今後の動向に注目です。

武田勝千代 (池松壮亮)→武田大膳大夫晴信 (市川亀治郎)
大河ドラマはおろか、映像作品にはこれが初出演という歌舞伎界きっての有望株・市川亀治郎さんの初出演が大河『風林火山』でした。
 毅然とし、器量の良い若大将振りで未来の片鱗をうかがわせながらも文弱で優柔不断という、今までとはまったく違った武田信玄像を演じきった市川さんが甲斐の虎にイメージングしたのは、『明るいハムレット。』。シェークスピアの四大悲劇、その主人公に置き換えられた武田信玄像は市川さん自身の糸を引くような演技(【註】褒め言葉。)もあいまって、強い印象を視聴者に残すことになりました。あの面長な顔以上に(【註】これは暴言。) 

 『あんなナヨナヨしたりないの、武田信玄じゃない!』とかいう投書意見も結構にあったそうですが、私にはあの気迫漲る演技と斬新な性格付けは、とても好感が持てました。

 幼少期、勝千代時代を演じた池松壮亮さんは後に諏訪勝頼役で再び登場。武田信玄の幼少期子役が諏訪勝頼の幼少期役としてキャスティングされたのは、88年大河『武田信玄』でも同様のことでした(『武田信玄』では、真木蔵人さんが勝千代・勝頼双方を好演)。

 才気にあふれ、後に『甲斐の虎』として甲斐・信濃・飛騨・上野・駿河・遠江・美濃と越後の一部までも切り取る大大名となる武田信玄の屈折した幼少期、その苦難の予兆は第二話で早くも浮き彫りになります。武田信虎(仲代達矢)との確執は以後も『風林火山』前半部最大の見所となっていきます。

甘利虎泰(竜雷太)
俳優生活は優に四十年を超える大ベテラン・竜雷太さんが武田家の両職、武田信虎もその存在感に一目置く古豪武将にキャスティングされました。
 ドラマ『太陽にほえろ』のゴリさんこと石塚刑事役の好演を始めとし、得手不得手の無い幅広い演技力には定評がある方です。大河ドラマ出演は実に七作目といいますから、実力派俳優ばかりを揃えた大河『風林火山』の出演俳優陣でもその存在感は大きいものがあります。

 武田信虎をして『荻原常陸介の後継者、武田の軍師たる猛者』と言わしめただけあり、首を打たれた赤部下野守の遺骸を一目見ただけで勘助の腕前と非凡を見抜くシーンがありました。実際、戦国時代であっても太刀や打刀の一撃で首を跳ね飛ばすというのは至難の業でしたので、虎泰の着目眼も信虎評価に違わぬ名軍師振り、と言った所でしょうか。

 88年大河『武田信玄』では本郷功次郎さんが演じた甘利備前守、やがて勘助が座ることになる『甲斐武田家の軍師』の席、その先輩としてどの様な顔を見せるのでしょうか。各種メディアでは相方役の板垣信方の大きな存在感に食われがちの甘利虎泰ですが、本格派嗜好の風林火山ではどのような描写になるのか、今から楽しみなところ。

大林勘左衛門(笹野高史)
大河『天地人』では義と愛に生きる直江兼続(妻夫木聡)とは両極端、利と智の天下人であった豊臣秀吉を好演したことは記憶に新しい処でしょうか。今やテレビドラマや映画に欠かせない名バイプレイヤー、自称『ワンシーン俳優』こと笹野高史さんの登場です。大河ドラマ出演は『風林火山』で六作目。

 本当に芸の幅が広い俳優さんで、あんまり民放ドラマを見る機会が無い私でもこの人の顔だけは本当に何度も見かけました(そして毎回、キャラクターが大きく違う)。最近では、SMAPの木村拓哉さんと共演しているセコムのCMでのコミカルな親父さん役が印象深いところ。

 『基本、来た仕事は断らないというのが僕の義です。』とは大河『天地人』での笹野さんの言ですが、流石は日本アカデミー賞最優秀助演男優。その確かな演技力は、引く手数多と言ったところでしょうか。

  大林勘左衛門。最近、ドラマやCMで見かけることが多くなった笹野さん

 勘助の養父にして、勘助が諦め切れなかった武士への道に希望を繋げることとなった恩人である大林勘左衛門ですが…やはり、義理の継嗣より実の嫡嗣が可愛かったのでしょうか?劇中、十五年振りに故郷へ帰還した勘助を絶望の淵に叩き落す様な裏切りを成してしまいました。

 幾ら廃嫡が事実上の決定事項とは言え、あまりの仕打ちの様に思えますが…それだけ甲斐武田家の物頭の首級というのが、将来の見通しが不透明な戦国乱世では価値があったということです。

 大河『天地人』で石原良純さんが好演した福島正則も、初陣で討ち取った首を二度も同僚に盗まれたことがあり、あまりの情けなさに号泣したという逸話が残っているほどですので、これも言わば『兵者詭道也。』というやつなのかも知れません…。

 また、『天下に名を知らしめる!』という勘助の底抜けな野望も、今川家に宮仕えの身…しかも将来の御家を背負う実子がかなり不甲斐無いという実情もある老いた斜陽の武将には理解しがたかったのでしょう。

『天下統一』『全国制覇』と言えば戦国時代ならではの言葉ですが、天文四年当時にこの言葉を実行出来そうな大名家は存在しなかったのですから…嬉々とした表情で将来の展望を語る勘助と違い、どこか戸惑いと苦渋が隠しきれない勘左衛門の表情は印象的でした。

平蔵(佐藤隆太)
赤髭的には『格闘技番組でタキシード着て昂奮してるメインキャスター、選手コールも出来る器用な人。』とかいうイメージが色濃い、佐藤隆太さんが大河ドラマ初のキャスティングされました。今の若手でも屈指の演技力を誇る実力派俳優さんとの事で、どんな人なのかと同僚(女性)数人に聞いたところ…聞いた四人が四人とも『大Fan!!』とのことでした。…――なんだろう、この世代間ギャップ。( ・(,,ェ)・)
 
 さて、その佐藤隆太さん演じる平蔵ですが…勘助に対する感情が、伝助(有薗芳記)や太吉(有馬自由)ら他の葛笠村村民とは微妙に異なっている向きが見て取れます。

 勘助の器量に、ミツ(貫地谷しほり)の恋慕を邪魔されたことに嫉妬する平蔵。赤部下野守を討ち取ったことを武田家に訴え出るシーンなどは、平蔵の複雑な心模様が浮き彫りになっていますが…。戦国を知略と武勲による仕官・立身出世で生きようとする勘助に対し、平蔵には智謀も勇気もありません。言わば、戦乱続きな日本の根底を影から支えた、一般的な下級階層…名も無き貧民です。

 しかし、彼の存在は武田信玄に山本勘助という伝説的英雄の物語を少し離れた視点、一般人的解釈で物語るには欠かせない存在です。
 井上靖原作の『風林火山』では勘助本人の一人称ではなく、第三者的視点から物語る形式の歴史小説だったため、語り部的立ち位置にある人物が皆無だったのです。
 その語り部的役割の一部を担い、勘助の恋敵であり勘助の非凡性を際立たせる狂言回しの役割が平蔵です。

 彼が勘助や晴信の栄達の影で遭遇し経験することになる出来事は、大河『風林火山』が戦国歴史をリアルに描く、ということでも重要な意味があります。戦国歴史は英雄ばかり、いわば舞台の主役級ばかりでは織り成せません。勝者の影には敗者あり。
 平蔵は今後、勘助の引き立て役に留まらない活躍をしていくことになります。彼が狂言回しから脱皮していく成長振りもまた、大河『風林火山』の見逃せないポイントの一つと言えるでしょう。


■次回は第三回『摩利支天の妻』、風林火山紀行は静岡県富士宮市、富士山本宮浅間大社や山本勘助誕生地碑、勘助の実父・山本貞幸夫妻の墓地が残る宗持院跡などが紹介されています。

         第二回『さらば故郷』評価表。

今週の風林火山
【註・あくまで歴史痛の観点から視聴した個人的感想です。】
■総合 ★★★☆☆ 勘助の不遇な過去のエピソードと、勘助と兄、晴信と弟という二組の兄弟が織り成す複雑な背景描写が主な御話。躍動的ではないけど、序盤の今後の物語にとっては要点的な回。
■合戦 ★★★☆☆ 本格的な合戦描写はなし。けど、後半部に勘助と刺客との大立ち回りがある。汗だくになりながらも真剣な眼差しで威嚇し、太刀を振り回して奮戦する内野さんの演技は一見の価値有り。
■俳優 ★★★★☆ 主役級の俳優陣が揃いも揃って実力派なので、安心して見ていられる。文中では触れてないけど、今川家の女戦国大名・寿桂尼(藤村志保)や、福島越前守(テリー伊藤)といった脇を固める新たな重要人物・個性派も初登場。その存在感も見逃せないところ。
■恋愛模様 ★★☆☆☆ 赤部下野守を討ち取ったのは勘助だと密告(苦笑)した平蔵に対し、ミツが遠巻きに石をぶつけるシーン。彼女の心模様を思えば、これも案外と微笑ましい。
■歴史痛的満足度 ★★★☆☆ 討ち取られた赤部下野守の首級から腐臭がしていて、初陣を迎えたばかりの大林勘兵衛(門野翔)が思わず嘔吐する、けど戦国時代慣れした勘助と勘左衛門は平然としている場面。よくよく考えれば、首を取るって凄いことなんだと再確認出来るリアルな描写といえる。


歴史痛の眼。要するに薀蓄のひけらかしとも言う。

さて、ここからは『歴史痛の眼』。大河『風林火山』とは直接の関係こそありませんが、その時代背景…あまり各種メディアの槍玉にあがることが無い戦国時代の事件・人物や意趣深いエピソードについて徒然と話していくコーナーです。
 要するに、読まなくっても大河『風林火山』を楽しめますが、より深く戦国歴史を知りたい人向けのエッセイとして御覧頂ければ幸いに思います。

では、皆様の貴重なお時間を少々拝借。m9っ;・`ω・´)


■魔王の父と東照大権現の祖父、兵者詭道を駆使した闘争
□十五年振りに故郷三河へと戻った勘助ですが、実はこの頃の三河国は今川家ではなく、ある若き麒麟児によってほぼ全域が統一された状態でした。
その彗星の如き若武者の名は、松平(まつだいらきよやす 1511〜1535 次郎三郎)。後に戦国時代を真の意味で終結させ、二百五十年余も続いた江戸時代の礎を築いた『東照大権現』こと徳川家康の祖父にあたる人物です。

 清康の父・松平信忠(まつだいらのぶただ ????〜????)は総領としての気質に欠けるところがあり、家臣達への求心力が無い人物だったようです。このままでは松平家が駄目になると感じた重臣達はわずか13歳だった清康の推戴に踏み切り、信忠を隠居させ清康に安祥松平家の家督を相続させました。

 清康は若いながらも器量があり、勇敢な人物でした。後に徳川家康の本拠地となる三河岡崎城の西郷家に入り婿して西三河一帯を掌中に治めると、今川家と斯波家の小競り合いが続いていた東三河も討ちたいらげ、その大半を占領しました。

 勘助が故郷に戻った天文四年、牛窪は今川家領土と説明されていましたが、牛窪のすぐ南にある吉田城は松平清康が攻め落としたばかり。戦をさせれば連戦連勝、家臣達を統率させれば情け深い親分肌である清康は齢二十五歳の時にはほぼ三河全土を統一し、西隣の尾張国にまで攻め込むほどの勢いでした。

 その松平清康と真っ向斬って戦っていたのが尾張古渡城城主で、後の戦国の覇者…あの織田信長の父親である、織田(おだのぶひで 1510〜1551 三郎、弾正忠・尾張守)でした。信秀は清康より一年年長の二十六歳、今川方の尾張における拠点であった那古屋城を詭計で攻め落とし、『南尾張に織田弾正忠信秀あり』と世間に名を上げたばかりの猛将。この二人の若き駿馬の前には、さしもの今川家もおいそれと西進することは難しい模様だったのです。

 しかし、そんな一代の英傑・松平清康にも戦国乱世が牙を剥きます。1535年(天文四年)十二月五日、織田信秀と雌雄を決するべく二度目の尾張攻撃軍を編成した清康は織田信秀の本拠地・古渡城の北・守山城まで出陣。守山城主であった松平信定(まつだいらのぶさだ ????〜1538)と連携し、信秀を蹴散らそうとして居たのですが…実は清康、家臣を大事にするわりには一門衆を大事にしない向きがある人でした。

 実父の弟、歴とした血の繋がる叔父にあたる松平信定に対しても『働きが悪い!!』と一喝し、その面目を丸潰れにさせたほどだったと言いますから、働く者と働かない者に対する毀誉褒貶の激しい性格だったのでしょう。

 そして、そんな性格を良く知っていた織田信秀は、守山城に駐屯している松平清康軍に間諜(スパイ)を放ち、こんな噂を城内にばら撒く策戦に出ました。

     織田弾正忠信秀。実は、尾張国を治める斯波家の家来の家来という家柄。けど一番の有望株だった。(画像は斬Uスピリッツより)

 生き馬の眼を抜く戦国乱世のこと、この程度の噂なら幾らでもある世情でしたが…まだ松平清康が若かったこと、家臣や一門衆の掌握が十分でなかったことが災いしました。
1535年(天文四年)十二月五日の夜、守山城内で清康お気に入りの馬が何かの拍子に大暴れし、厩舎で高いいななき声を発したのです。誰だこんな夜中に馬を驚かせたのは、早く鎮めろと場内は大混乱になり…先の噂で謀叛が疑われていた阿部定吉の子・弥七郎はこの騒動で

     阿部弥七郎。取り敢えず、誰かに聞いて確認したほうが良かった気が。(画像は斬Uスピリッツより)

と、壮絶な勘違いをしてしまいました。
てんでおかど違いの復讐鬼となった弥七郎、寝ぼけ眼で寝所より出てきた松平清康を見るや否や、有無を言わさず斬りしてしまいました。松平清康はまだ二十五歳で非業の死を遂げることになってしまい、松平家は尾張征伐どころではなくなってしまいました。
 これが世に言う『守山』事件です。

    守山崩れ。松平j清康、暗殺される。(画像は信長の野望・烈風伝)

 まもなく阿部弥七郎は生きていた実父・阿部定吉によって成敗されましたが…後に残ったのは、僅か十歳の嫡男・松平広忠(まつだいらひろただ 1526〜1549 千代松・仙千代、次郎三郎)のみ。これを見た根性悪の松平信定は広忠を見捨てて織田信秀につき、後に広忠の拠点だった三河岡崎城まで横領してしまいました。

    清康没後の勢力図。矢作川以西は一気に織田信秀領に。(画像は斬Uスピリッツより)

 『三十歳まで生きていたなら、間違いなく天下を取っていた』と賞賛された松平清康の突然の死。後の天下人・徳川家康の幼少期を襲った苦難の数々は彼の生まれる七年前、祖父の代にもう事の発端を迎えていたのでした。

2007年大河『風林火山』第三回『摩利支天の妻』 感想と解説




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