2007年大河『風林山』   - 第二十回 軍師誕生 -


■先日、何気なしにテレビをOnにしたら『ウチくる!?』(フジテレビ/バラエティ番組)の再放送が放映されており、それが偶然にも市川亀治郎さんが出演した回のものでした。
■この文章が掲載された当時の御話です。念のため。

 大河『風林火山』を終えたあとも俳優生活と人気振りは上々のようで…亀治郎さんと同じ女形としての美貌で有名な梅沢富美男さんや、柳家花禄さんといった格上の芸能人さんと同席しても臆する様子がなく、まったくの自然体。

 二千枚を越すという所蔵数でも有名な趣味の浮世絵についても、『今は2000枚を全部処分した、っていうことにしてます。だって、あの事を言ってからずぅーっと浮世絵の仕事しか来なくなった。』と話せば、同席した出演者から「実際は持ってるんですよね?」と確認をされて…それに平然と『もちろん』。

 なるほど、あの武田晴信役で見せた『人を食ったようなつかみ難い性格』があまりに堂に入っていたのは、地の性格だったんですねえ(暴言。

 また、前年の大河『龍馬伝』では坂本龍馬暗殺犯とされる京都見廻組の今井信郎役で最終回に出演。近江屋でのシーンでは暗殺犯の気分・役になりきるために、十五分以上に渡った坂本龍馬・中岡慎太郎の会話をじっと物陰で聞き続けていたそうです。

 大河『風林火山』が面白くなるわけです。主役の内野聖陽さんは山本勘助になり切り過ぎてクランクアップ後にリハビリをしたといいますし、準主役の市川亀治郎さんはこの通りの役者馬鹿(褒め言葉)。

 本年大河『江』の主人公・江姫役の上野樹里さんも演技への情熱と素の性格に関しては方々から高評価を得ているようですが…はたしてどうなることやら。

■と、いうところで…今夜も大河『風林火山』第二十話の感想・解説です。




■甘利虎泰(竜雷太)
 とうとう、虎泰にとって最もあって欲しくない人事辞令が出てしまいました。

 思えば虎泰は先の武田信虎追放劇に当って、『甲斐武田家の為なら已む無し。』と半ば一致団結していた他の重鎮達と違い、信虎追放を渋っていた感がありました。


 晴信を恐れ憎み疎んじる信虎から坊主の袈裟の原理で一緒に疎まれていた板垣信方(サニー千葉)と違い、虎泰は軍配の面では信虎に信用されていました。

 甲斐武田家の年寄衆の中でも軍配者として信頼された荻原昌勝死後、空位となっていた甲斐武田家軍師の地位を信虎に命ぜられた虎泰も、時代の晴信の代になると途端に発言力が軽くなった感が否めません。

…何もかも、あの山本勘助のせいです。

 兵は詭道だなんだの、経験が伴わない…まさに机上の空論を振りかざす勘助の舌先三寸が、数多の戦場を命懸けで駆け抜けた歴戦の古武者である自分の言より信頼が置かれていない。


 栄えある武田家家臣団筆頭の証である『両職』の片翼を自認する虎泰には本当に絶えられない事でしょう。

 隻眼の悪鬼の戯言に踊らされる御館様の目を覚まさせようと、由布姫の排除に半ば命懸けで動いても、晴信の勘助偏重は変わりません。


 …挙句の果てに、晴信は目の前で勘助に武田家軍師の地位を授く大宣言をうっちゃらかしてしまいました。『こんな筈では無かったのに。』と言いたげな苦虫噛み殺した様な老武将の苦渋の表情が、歓喜極まっている勘助の表情と両極端を為します。

 そもそも、今回の長窪城攻めの戦功武勲の上げ方までが好対照でした。…敵中作敵、しかも武田軍の侵攻を手薬煉引いて待ち受ける大井貞隆(蛍雪次朗)のすぐ傍らに味方を作り上げ、殆どを血を見る事無くあっさりと城を陥落させた勘助と、燃え盛る紅蓮の炎、剣戟と阿鼻叫喚のさなかで敵を叩き斬って城を陥落させた虎泰。



 かつて信虎は晴信の才を恐れるあまり、その器量を受け入れられず返って忌み嫌い、その果てに甲斐国より放逐される結果に終わりました。

 はてさて、甲斐武田家の『軍師』の座を巡って…無敗の甲斐騎馬軍団を率いる軍配者としての新旧対決は、このあとどうなってゆくのでしょうか?


■村上義清(永島敏行)With楽巌寺雅方(諏訪太朗)

 落城の悲劇を迎えた長窪城から必死の想いで逃げ延びてきた矢崎十吾郎・平蔵主従を迎えた、心身ともに疲労しきった傷心の望月家残党達。感動の再開に顔を綻ばせる皆の前に、楽巌寺雅方を露払いに、登場したのは"次の大物"村上義清。

 …平伏する望月家の残党を鋭い炯眼で睨みつけます。…まるで、望月・大井軍がどのようにして惨敗を晒したのかを見透かすような鋭い眼です。…そして。



『…こンのうつけ者めが!!   あたら多くの惜しい者達をなせおってッ!!! (#"・`ヮ・´)9゛


 …"あー駄目だ、今度の村上義清も…器量の小さい田舎大名で…タダのやられメカなのか…晴信の好敵手たる人格に描かれてないやー"…と顔を顰めた、その瞬間。


 『…しかしィ、よぉ生き残った!! ( ;・`ー・´)bそ

   (;´・o・ノ)ノそ オオォゥッ!!?
 
…そなたらの無念、この村上がかったッ!!
  …いずれ、大井・望月・諏訪の地を、そなたらに返してやろう!! 

 …この村上、誓って   そなたらの願いを、しくはせぬぞ!!!
( ;・`ー・´)bそ


 …何て熱すぎる迄に熱血な村上義清だろう…やばい、赤髭の中のMyベスト村上義清=上條恒彦さん像が一でぐらつきました(ぉぃ


 …やばぃ、あんまりの熱さ加減に惚れそうだッ…。これで髭が濃かったら文句なかったのに(ぉ


 この鬼気迫る表情、闘争心を燃え盛らせた佇まいが黒光りする当世具足、○に上文字の前立てに金色の鍬形を備えた煌びやかな兜に身を包んで、『晴信はどこじゃああぁぁ!!!勝負したらんかいぃぃぃ(#"・`ヮ・´)9』って地獄の咆哮あげながら上田原を疾走するんですよね?……うっゎぁてぇぇー!!! …すんげーてぇええぇぇ!!!


 …失礼、また取りしました。(コラ



 一方、その熱血硬派を突っ走って虚空を引ん睨む義清の傍らには楽巌寺(がくがんじまさかた 1509?〜1587?)が髭ッ面の仏頂面で構えています。




 楽巌寺家は村上家の親族である屋代家(やしろけ)の一門衆で、楽巌寺城(布引城の別名)を所領としたことから楽巌寺姓を名乗ったとされる一族の出身です。


 雅方は信濃布下館を居館とした・布下(ぬのしたまさとも ????〜1575?)や、同じく信濃屋代城を居城とした屋代(やしろまさくに ????〜1582?)らと共に村上義清の麾下で甲斐武田家の信濃侵掠に抗戦した信濃国人衆の一人で、元は楽巌寺の僧侶であったが親兄弟の討死を受けて還俗し楽巌寺入道と称した剛毅な武人であったと伝えられる戦国武将の一人です。


 ですが…処々の史料と霞んだ記憶の奥底(ぇ を整理していたら、この時期の信濃布引城の城主は楽巌寺雅方ではなく楽巌寺(がくがんじみつうじ 1507?〜1549)であるという話も出てきました。

 この楽巌寺光氏という人物は村上義清の家臣の中でも重鎮中の重鎮で、周辺処豪族との外交折衝に辣腕を振るったほか戦場でも華々しい武勲を上げた名将です。



 とある合戦の折りには山本勘助の策略すら見破ったといい、当に『村上義清の』と呼ぶに相応しい智謀の将であったとされているそうなのです。


 ひょっとしたら、この楽巌寺雅方が実はこの光氏その人であり、山本勘助と戦場で鎬を削る人物になる…のかも、と放映当時は思ったものでしたが…実は、この楽巌寺雅方がまともに映るのは今回が最初で最後だったりします。この人も後々は、武田晴信と縁がある人物になるのに…もったいない。。




 他にも色々と語る余地のある人物はあるのですが(特に他所様ではファンクラブまで設立されていた小山田信有なんか、当ページではまだ一度もスポットライトがあたって無かったりします。(汗、今日は武田家の軍師・村上家の軍師と話が来たところで、軍師繋がりということで、とある噂について与太話を一つ展開しておきたいと思います。



 武田信玄の軍師は言わずと知れた山本勘助、今川義元には太原雪斎、村上義清には楽巌寺光氏(雅方?)と、今回の大河『風林火山』には、個性的かつ魅力的な参謀役…『軍師』に多くのスポットライトが当っているわけですが…。

 ここで気になってくるのが『上杉謙信…Gackt様の軍師ってなの?( ;・`ω・´)ねぇ誰誰?誰なの?』って事になってくるわけです。



 歴史上の上杉謙信というのは…またおいおい紙面を割いてお話ししていきたいと思うのですが、実はとんでもないワンマン経営者であったという説があり、実際多くの合戦で陣頭指揮を采ってきた謙信には確たる軍配者…『軍師』らしき配下部将が居らず、戦場での作戦や指揮はたいてい自分ひとりで決めてきた、という説が有力だったりします。



 ですが、一応そんな謙信にも『軍師』とされている人物がいなかったわけでもありません。越後琵琶島城の城主を務め『越後流軍学の祖』と呼ばれた歴戦の老将・宇佐美(うさみさだみつ ????〜1564)その人です。

 しかし、この定満も実は山本勘助とタメを張るくらい経歴と実在が疑われている、半分『伝説の人』だったりします。

 何せ、この宇佐美定満が『越後流軍学の元祖!!』と謳われだしたのは実に1649年(慶安4年)の事でした。

 戦国武将達が、合戦での立身出世と己の夢を掛けた最後の晴れ舞台であった、正真正銘に"最後の大戦"こと元和大坂夏の陣冬の陣が終わって30年以上後の事なのです。

 いくら何でも、出てくる時代が遅過ぎますよね。

 この定満の曾孫を名乗る兵学者・大関(おおぜきさすけ)が紀州藩の殿様・紀伊頼宣に軍学者として召抱えられた時に越後流軍学の祖であると名前が出るまで、まるっきり世に出ていなかった人物なのです。

 ちなみに左助は、晩年になって主君の命令で『宇佐美』という名に改名します。…(;´・ω・)アレ?


 …勘助の存在が『甲陽軍鑑』という書籍の中だけで大活躍する軍師である事と同様に、定満の存在も際めて信憑性が薄い事が一目瞭然だったりします。伝説の軍師、っていう肩書きは何も勘助だけの専売特許じゃなかったんですよこれが。(;´・ω・)



 …しかし、そんな定満も今まで何度か大河ドラマ上で描かれてきた信玄・謙信の対決劇には度々顔を出しているようです。

 演じた俳優陣を見てみると…'88年大河『武田信玄』では沼崎悠さん、そして'69年大河『天と地と』では宇野重吉さん、'90年の角川映画『天と地と』では渡瀬恒彦さんと、錚々たる顔ぶれが並んでいます。


 で、今年の大河『風林火山』ですが…甲斐武田家の軍師・山本勘助にスポットが当っているのなら、当然陰陽相照らす関係としてこの宇佐美定満も重要な役割があるんじゃないかなと考えるわけです。
 井上靖原作『風林火山』では殆ど端役程度の扱いしかうけていませんが…。

 当時は本放送が始まっても重要キャストが伏せられていた大河『風林火山』。

 一度は、あの寺尾聡さんが配役か?!などと、噂も数々取り沙汰もされましたが…結局は、今は亡きあの名優・緒方拳さんがキャスティングされることになりました。



■こうして思い直してみると、本当に渋い豪華出演陣営を誇った大河『風林火山』。こういう本格的な歴史大河に、果たして本年大河『江』は少しでも近づいてくれるのでしょうか。 赤髭個人としては物語後半の重要人物であろう徳川家康役の北大路欣也に期待大なのですが…はたして、どうなることやら( ・(,,ェ)・)。
■スィーツすぎてどうにもなりませんでした。

2007年大河『風林火山』第二十一回 消えた姫 感想と解説





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