■さて、それでは引き続いて07年大河『風林火山』の第二十三回…実に三週間にも渡って、長々しい歴史痛観点の与太話で前置きをした珠玉の銘エピソード『河越夜戦』の感想と解説をお届けいたします。
…さて、今更こんな事を云うのも何ですが。
実は当記事の自堕落筆者こと赤髭は、
そんなに甲斐武田家については特別好きではなかったりします。(ドカ━(゚∀゚)━ン!!)
子供の頃から『武田信玄・上杉謙信どっちが好きか』と言われればやはり上杉謙信でした。
…領土欲も無く、義理と秩序を守るために合戦場に躍動する毘沙門天の化身、信濃国を不等に侵掠する甲斐の虎に謙信景光を振りかざして戦う、不屈不撓の正義の味方
(…ってワケじゃあない事っては皮肉にも歳を喰ってわかりましたが)、何せ子供の頃から謙信好きでした。
話の種になる、本棚に並んだ歴史に関する書籍を点検してみても、戦国大名に特化した書籍と言えば『
上杉謙信』『
越後上杉家』に特化した書類が目立ちます。
それもみんな1980年〜90年代に刊行された様な古い資料ばっかりなんですよね…。資料が古すぎるってのも難点です。
例えば、武将の生没年や姓名の移り変わり。この当時だと、
上杉憲政あたりの知名度が今ひとつな戦国武将は、どの書籍みても『生年不詳』って事になってるんですよ。あと、上杉憲政はある時を境に『憲当』って名前に改名してる筈なんですが、それも良くわからないままですし…。
(´・ω・`)
最近は研究が進んだのか、あまり有名ではない武将の生没年まで判っているようで、偶にそういった書籍でそういうのを見ると、我ながら資料の古さ加減に泣かされます。
…そういう類の書籍って大概、値段を見たらもっと泣かされますが。(ぉ
武将の生没年月日に詳細と云えばWikiなんですが、実はあれはあまり当てに出来ません
。…どこのどいつだ、光栄があてずっぽうに決めた生没年をそのまんまWikiに持っていったやつは。'`,、('∀`)'`,、
(註】戦国おたくの聖典こと『信長の野望シリーズの武将FILE』なんですが、実はここ最近『実は生没年不詳なんだけど、ゲーム上設定しておかないと不都合だから、適当に決めておいた生没年』を武将FILEに載せてあったりします。
それを見た誰かがWIKIにそれを書き込んだものだから、主にマイナーな戦国武将の生没年の信憑性が著しく希薄になってたりするのです。参考する場合は要注意。)
てなわけで、少しでもここを御覧になっている方々に歴史痛的な琴線に触れた与太話を提供できれば、と思い本屋で色々と武田家に関する書類を漁ってきたのですが、やはり時の流れと歴年の研究の成果というのは素晴らしいようで、色々と判ってきたことが多くあるようです。
先ず目を引いたのは戦国武将の諱(いみな、本名の事)に置ける研鑽でした。
いやぁ、此処で語ってたことが如何に古臭いことであったかが良く判ったので…いやぁ、お恥ずかしい限りです。
(*ノ・ω・`)
また、その辺のネタも回を裂いてお送りしていきたいと思っておりますので、どうぞご期待下さいませ。
(
;・`ω・´)
・・・それでは、たぶん大河ドラマを話題に取り扱っているどこのブログよりも遅く、タイミング間違いであろう第二十三回『河越夜戦』の感想、今宵も歴史痛的解釈を加えた与太話をもって展開していこうと思います。
しからば、皆様のお時間を暫し拝借仕る。…いざっ
m9っ ;・`ω・´)
■山本勘助(内野聖陽)&
真田幸隆(佐々木蔵之介) 山本勘助が歴史上での活躍確証が不明瞭なのを逆手に取った脚本が光ります。勘助は甲斐武田家ではまだ重鎮中の重鎮、国と領土を守らなければいけない城主家老級の身重な身分では無いので、実績がはっきりわかっていない時季なら何処へでも出向けます。
これは織田信長や武田信玄、上杉謙信といった一国一城の主たる大大名には少し真似のできない魅力です。 当初、勘助が『河越夜戦』に参加するなんて何故なんだろう、とか考えていましたが、成る程成る程。
勘助が甲斐武田家への帰参を仲立ちし、武田信玄の後半生で重要な役割を果たすことになる甲信越地方屈指の智謀の士・真田幸隆を迎えに行く為だったのですね。
…山内上杉家と関東管領家の威信の凋落、それに伴う関東三国志の一角であった『
相模の獅子』こと北条氏康
(松井誠)の雄飛の陰に、この流浪の武将が古き権力の落日を噛み締めて鑑み、新時代の旗手になろうとしている甲斐武田家への怨みを捨て新たな可能性に賭ける事を決断させるには。
新時代を切り開く開拓者が劇的な大勝利を挙げた『河越夜戦』を目の当たりにすることがうってつけだったのでしょう。
勘助も勘助で、闇夜の戦場を明々と照らす篝火、いかめしい当世具足の鎧武者達や槍衾の下を駆け抜けていく時の表情がとても野性的かつ愉しそうで、あのぎらついた眼で口を半開きにさせる笑顔は…かつて世界に冠たる侍役であった故・三船敏郎さんを髣髴とさせるものがありました。
今まで幾度と無く内野さんの表情の妙は語り連ねてきた事ですが、何かを閃いた時の嬉しそうな顔や、策が的中したときの得意げな顔が台詞以上に感情表出を物語っているようですし、何よりこの表情の豊かさが隻眼・跛行というハンデキャップを全く感じさせない、躍動的で才気溢れる戦国武将役を良く現していると思います。
真田幸隆も、勘助に以前真田荘で出会った時にには、見られなかった…甲斐武田家で夢を…仕えるべき主君を得て、水を得た魚の様な充実振りを見せていた様を見て、『
ひょっとしたら、甲斐武田家に一命を賭してみる価値があるかも』と踏みきったのだと思えます。
88年大河『
武田信玄』では、橋爪功さんが"飄々とした佇まいの中に、深い智略と冴え渡る謀計詭計を数多備えた、一筋縄ではいかない智将振り"を味わい深く演じていましたが、今回の『真田荘の領民・遺臣達を想い、復帰に全力を注ぐ苦難の流浪人』という難しい役割の真田幸隆も、興味深い妙を見せてくれます。
一応幸隆は武田晴信より8歳年長の筈で、88年大河『武田信玄』では信玄より経験豊富で重厚な戦国武将ぶりを魅せてくれましたが、今回は佐々木さんが、若々しい戦国武将役を好演しています。
今回、甲斐武田家に着くことで長年の悲願であったはず旧領復帰を一部ながら回復し、かつての旧臣達と再会して胸を熱くしていた幸隆ですが…
勝ち戦に奢り、重臣達の諫言に徐々に耳を貸さなくなり、自分を甘く見る老臣達を軽んじる素振りも見せる若き大将・晴信をこれから見舞うであろう激戦続きの信濃戦線において、勘助も期待以上の結果を出し、刮目せずにはいられないような大活躍をしていく事になるのです。
次週以降は、武田譜代の重臣達以外にも、彼にも着目が必要でしょう。
後の世に不惜身命の六文銭の軍旗を翻し、天下餅を掻っ攫った古狸・徳川家康を二度に渡って翻弄し、死をも覚悟させた信濃真田一族の勃興の歴史はは、この幸隆より始まるのです。
■上杉憲政(市川左團次)with長野業正(小市慢太郎)
はい、今後の武田信玄と上杉謙信、そして北条氏康の対決の構図を作ることになる『歴史の影のキーパーソン』関東管領上杉憲政の登場ですが…。
もぉなんだか如何しようも無い馬鹿殿様っぷりです。 勝利の女神の微笑みと勝機の移り変わりは立て板を流れる水の如し。その兵法と運気と天機を賭けて、命の遣り取りをする『合戦』が始まる前から終わる前から既に勝った後の事を考えてるとか…忍者は木を昇るとか、賢明な歴戦の名将・長野業正の忠言を
『
…儂を侮っておるのは、そちではないか? m9っ ;・`ω・´)』
などと嫌味を言う始末。
生涯を賭けて山内上杉家を奉戴し、西上野箕輪城を甲斐武田家・相模北条家の侵掠から守り続けた無双の忠臣・長野業正もこの見事な迄の馬鹿殿ぶりに
『…浅墓なッ…。』と、愚痴っているより他に術がありません。
関東管領・上杉憲政の名誉の為にも言っておきますが、この憲政も一筋縄ではいかないなかなかの武将なのです。
幼少時に父・憲房を失い、関東管領の地位と山内上杉家総領の地位を上杉憲寛
(うえすぎのりひろ)に家中を牛耳られますが、長じると憲寛を武力で追放し総領位を奪回しています。
決してお飾りのお殿様では無かったのでしょうけれど、何せ味方は総勢八万超という大軍勢です。…しかも、一説に拠れば河越城を包囲する憲政の元には、関東諸侯の悉くが結集したとも言われており…まさに目も眩むような圧倒的優勢。
…
こんな状況で『慢心するな』『油断をするな』と言うのが無理というものでしょう。戦場まで
遊び女(あそびめ)を招いて傍らに侍らせ、遊興に耽りたくもなるのも同情の余地はあります。
…まこと、慢心とは恐ろしいものです。
管領殿の慢心は止まりません。関東管領上杉家の家紋『竹に二羽飛雀』のが染め抜かれた濃紺の御旗が翻れば、振りかざすのは名家のプライド。
関東管領上杉家は観修寺流藤原家の末裔です。…何処のものかも素性がわからない北条氏康を徹底的に侮りまくります。
『…北条では無い、伊勢じゃ。元は伊勢のあぶれ者がかつての執権北条家の末裔を名乗るとは、虫唾が走る!!』
…いや、今はそんなトコにこだわってる場合じゃな
『こだわる時じゃあぁッ!!!(#゚Д゚)』
…。…ダメだ、このおっさん。(ぉ
そして敵軍若き大将、『相模の獅子』こと北条氏康が乾坤一擲、一撃必殺の夜討ちを敢行する為に…自嘲して憚らない通り、『臆病』なまでに張り巡らせた煙幕。
古河公方家への偽りの和睦要請の書状を見て、『
氏康がこれほどの恥知らずの、臆病者とはな…。』と自信満々に大笑する姿は…わざわざ勘助に「良く見えるもの」と指摘されなくても『
戦に負ける者の気配』が十二分に醸し出されまくってます。
これで河越合戦に勝ったら嘘でしょう。
…ほーら、案の定たった一晩で木端微塵に討ち破られてしまいました。
本間江州(長江英和)の忠義、鬼気迫る勢いで突撃してくる北条家から危機一髪の処で主君を救った長野業正の機転が無ければ、憲政もここで命を失っていた事でしょう。
…しかし、この歴史的大敗で、ただでさえ霞み掛けていた古河公方の権威、関東管領上杉家の武勲も威名も全て、一欠片の残滓を残す事無く壊滅の憂き目を見ました。
…戦後、関東管領を見限って甲斐武田家へ帰属する決心をつけた真田幸隆を義兄の河原隆正
(河西健司)がその怒気露わに詰りますが、長野業正だけは山内上杉家の衰退が避けられない事を見抜いていました。
以降、関東の趨勢は二本の杉を喰いちぎった相模の獅子の勇躍の足音が木霊することになります…。
上州の黄斑の意地は、何処まで獅子の咆哮を食い止めることが出来るのでしょうか…。
2007年大河『風林火山』第二十四回 越後の龍 感想と解説