2007年大河『風林山』   - 第五回『駿河大乱』 - 


戦国与太噺。導入部、となぜ素直に命名出来ない。(画像は斬?スピリッツより)


■今回御紹介する大河『風林火山』第五話で重要な役割を務めることになる今川家の軍師にして怪僧・太原雪斎。その彼が傅役を勤めた"海道一の弓取り"こと今川義元。そして、後に武田信玄と山本勘助の宿敵となり、大河『風林火山』ではあのGacktがキャスティングされたことで一世を風靡した"越後の龍"こと、上杉謙信

 

…―他には誰が居るか…あぁ、そうそう。昨今では若い女性の歴史Fanに人気抜群である石田三成も、子供の頃はそうでした。
 あと、忘れちゃいけない"美濃の蝮"こと下克上の梟雄・斎藤道三も同じ境遇。
 歴史痛以外の皆様には馴染みの薄い、ぶっちゃければあんまり知名度の無い戦国武将では、美濃三人衆の筆頭格で、後に一族から春日局を輩出した稲葉一鉄や、漫画『花の慶次』を読んだ方なら、小悪党振りが記憶に残る五奉行の一角・前田玄以などもそうですね。

 
さて、以上に挙げられた戦国武将達ですが…いったいどんな共通点があるのかと言えば『子供の頃からお寺に預けられ、将来は徳の高い侶となるべく修行していた経験がある』武将達です。

 
みんな揃って戦国武将となり還俗(げんぞく。お坊さんを辞めて世俗の人に戻ること)、してしまったため、僧侶としての本業をまっとうしたのは太原雪斎くらいですが…武田信玄の師となった岐秀玄伯や上杉謙信の子供時代の師であった天室光育、伊達政宗の師だった虎哉宗乙など、戦国時代には本当に数多くの高僧名僧達が登場します。

 血生臭い地獄絵図の戦場を駆け抜け、天下の覇権を巡り乱世の時を生きた戦国武将達と、殺生を戒め仏の弟子として清廉に暮らした彼ら僧侶達とは、いったいどういうつながりがあったのでしょうか。

 まず、戦国武将の家系に生まれたはずなのに僧侶になった人達。第五話『駿河大乱』では梅岳承芳と玄広恵探、そして雪斎という三人のお坊さんが登場しますが、彼らに共通することは『生まれた御家の跡継ぎになる予定が無かった』ということです。

 
戦国時代に生を受けた武将達には、実は生まれながら…いえ、生まれる前から明確な線引きがされていました。御家の跡継ぎであるか無いか、です。


 御家の跡継ぎである男子は、『嫡男』とか『世継』としてほかの男子達とは別扱いとし、残された弟達は別の御家を建てるか養子になる、もしくは僧侶として俗世間から切り離された生活をする習慣がありました。これは御家の後継者を一本化することによって、御家騒動などの余計な厄介ごとを起こしにくくするためです。

 
そもそも戦国時代は『足利将軍家や斯波・畠山家といった幕府の中心人物が後継者をちゃんと決められず、後継者達がその地位を巡って』起こった時代です。
 どこの御家も、後継者問題で御家が揺れることはなにより回避すべきことでした。

 
主人公の山本勘助も幼少時、兄の山本貞久が父の跡を継いで山本家家督になるにあたって、両親から出家を強要されていたこと、山本家を出て大林家の養子になっていた過去があったことは視聴者の皆様の記憶にも新しい事でしょうが…実はあの背景には、勘助が隻眼で片脚跛行という身体的ペナルティを負っていたこと以外にも、こういう戦国武将の御家事情があったのです。

 
駿河今川家の場合は今川氏輝が世継として家督を継承しますし、庵原家の場合は庵原忠胤が嫡男として家督を受け継いだわけです。梅岳承芳は氏輝の弟、太原雪斎は庵原忠胤の弟なので、二人は僧侶として出家する道を普通に歩んでいくことなります。太原雪斎は武家社会に由縁の深い臨済宗の門派で修行を積み、梅岳承芳は雪斎の教え子となった為、二人は同じ臨済宗徒です。

 
臨済宗が『禅宗』と呼ばれる、座禅を組み瞑想することで仏の教えを知る宗派であることは前回にもお話した通りですが、当時の仏教書や経文というのは『漢籍』と呼ばれる中国伝来のもので、その内容は当然ながら漢語で書かれていました。

 ですので、徳の高いお坊さんとなるべく修行をするには漢語が読み下せなければ勤まらなかったことになりますね。おそらく太原雪斎や梅岳承芳は、漢語をスラスラと読むこと・その内容を理解することが出来たはずです。

 そして、禅宗のもうひとつの特徴が『早い時期から鎌倉武士達に信奉され、武家社会と深いつながりがあった』ということ。禅宗の僧侶達は自然として、彼ら武家達にやはり中国伝来の漢籍である政治学書や兵法書について指導し、触れる機会が多くなっていきます。

 また、禅宗の寺院は武家社会からの崇敬だけでなく『寺領』として土地の寄贈を受けたり、寄付金を受けることもあったほか、お寺としての機能もしていたため檀家から喜捨も受けていたため、戦乱の世にあっても他宗派と比べても裕福な点も重要です。

 それだけお金があれば、本場中国から『孫子兵法十三篇』や『呉子』といった兵法書のほか、貴重な漢籍をたくさん買い入れることが出来るからです。そして、お坊さんには中国伝来の書籍を読むためのバイリンガルな素質が備わっています。

 古代中国で長く続いた戦乱の世に成立した先輩たちの教訓である、優秀な政治学や兵法学の古書籍をたくさん手に入れられる財力があり、その内容を読み解くことができ、熟知出来る静かな環境にあり、縦横無尽に適応出来る様に理解し、実際に行使しなければいけない戦国武将たち支配者階級と近い立場にあった、禅宗の高僧達。


 現代のお坊さん達と違い、当時の僧籍にあった人達の知識は厳しい生存競争の最前線でも生き抜けるだけの最新知識だったわけです。


ストーリー解説・キャラクター紹介。


完全版『風林火山』の第四話、全44分29秒。
■時期設定は1536年(天文五年)、今川氏輝が没してから二日経過した三月十九日頃から、花倉の乱が終幕を迎えた五月二十五日までの二ヶ月余りと思われます。山本勘助、時に三十七歳。

□1536年(天文五年)五月、駿河遠江守護職・今川氏輝が二十四歳の若さで謎の急死を遂げた。

 氏輝には世継が居なかったため、家督相続は寿桂尼が生んだ五男・梅岳承芳と、福島越前守率いる福島一党の娘が生んだ四男・玄広恵探により争われることとなった。


 氏輝を闇に葬り去ったのは福島越前守。一族から出た玄広恵探を今川家家督に据え、今川家を牛耳ろうとの企みだった。
 玄広恵探方の後ろ盾には甲斐の武田信虎が、梅岳承芳方には相模の北条氏綱が援軍を遣し、駿河今川家の内乱は外憂を招き入れての一大事へと発展する気配を見せていた。

 そんな中、今川家の尼御台・寿桂尼との拝謁機会を得た勘助。花倉城に篭った福島勢を討つための兵法を披露し、得意満面で駿河今川家に取り入ろうと企む。その思惑はもちろん、福島方の援軍として訪れるであろう怨敵・武田信虎を討つため。



 しかし、福島方には勘助の兄・山本貞久が組している。一度は命を狙われたが、実の兄である貞久を討たねばならない可能性に苦悩する勘助は兄を何とか生かそうと策を練るが、貞久はそんな勘助を悲しげな視線で黙殺するのみ。

 梅岳承芳一党と玄広恵探一党の衝突が不可避の状況となり、いよいよ甲斐武田家が駿河に出陣する日が近づいていた最中のこと。甲斐郡内で小山田信有が武田信虎を梅岳承芳の軍師・雪斎と引き合わせる。

 雪斎は甲斐武田家との和睦を望み、その引き出物として信虎の嫡子・晴信に縁談の手筈を用意するという。その魅力的な申し出に、甲斐の狼は涎をたらさんばかりにほくそ笑むのだった。



 …―勘助と貞久、梅岳承芳と玄広恵探。二組の兄弟を取り巻く運命の歯車は、勘助の予想と違う方向へ軋みをあげて回り始める。

 1536年(天文五年)五月二十五日未明、駿府の城下に戦火があがった。福島越前守の宣戦布告に他ならなかった。

 福島越前守は花倉城に篭城し、高根山の彼方より訪れるであろう甲斐武田家の援軍を待つ。そして、勘助もまたその敵の援軍を待ち侘びていた。愛していた摩利支天の妻…ミツを奪った憎き怨敵・武田信虎の喉笛を食いちぎるために。

  しかし、援軍は来なかった…―――『出陣はせぬ!!』。

 武田信虎は土壇場になって福島越前守を裏切り、叛旗を翻した福島軍を見捨てる算段に出たのだ。花倉城内の玄広恵探以上にそのことを失望する勘助。

 やがて、圧倒的戦力差に切羽詰った福島越前守は覚悟を決め、迫り来る今川・北条連合軍を迎え撃つ。

 城から逃げ落ちた福島越前守と玄広恵探を襲う勘助。次いで越前守の嫡男・彦十郎とも太刀を交えたが、そこへ二度目の横槍が入る。

 主君と若君が逃げ延びられるよう身代わりを買って出た鎧武者は、誰でもない勘助の兄・山本貞久に他ならなかった。遠い彼方に焼け落ちようとしている花倉城を望みながら、幼き日に太刀稽古をした兄弟が戦国の無常をかみ締めつつ、白刃をぶつけ合う。

 『強くなったな、勘助。――…そなたに討たれたとあっては、母上もあの世で悲しまれよう。 そちは、生き延びよ…。』

兜を脱ぐ貞久。振りかざされる太刀。 …―山本勘助は悲しみのなか、山本家の家督を相続したのだった。


■太原雪斎(伊武雅刀)
 太原雪斎は1536年(天文五年)当時で四十一歳。1496年(明応五年)、駿河今川家の重臣であった庵原左衛門尉(いはらさえもんのじょう ????〜1505?)の子として生まれました。


 太原雪斎は九歳の頃に駿河善得寺の住職・琴渓瞬(きんけいしゅん)に預けられますが、相当に筋の良い秀才だったようで、次いで京都に上洛。臨済宗の総本山にして京都五山に数えられる名刹・建仁寺の住職である常庵龍祟(じょうあんりゅうそう ????〜1536 号角虎道人、京都建仁寺住持)のもとで仏の教えを学びます。

 臨済宗の総本山、禅宗学問の最先端だった建仁寺で勉学に励んだ雪斎はますます器量を磨き、十四歳の頃には既に賢才と名高い高僧として成長していました。今風に言えば、『成績優秀でハーバードやオックスフォードに海外留学した、若き秀才』といったところでしょうか。

 その雪斎の評判を聞いたのが駿河今川家総領で、寿桂尼の夫であった今川氏親です。

 氏親は五男・方菊丸の養育を雪斎に依頼。雪斎は当初これを固辞しますが、氏親直々の説得を受けること三度目でこれを引き受けました。時に太原雪斎は二十七歳、方菊丸はわずか四歳。

 
太原雪斎の元に預けられた方菊丸はお坊さんとして厳しい鍛錬を受け、十二歳で頭を剃って出家。このときに梅岳承芳という名を授かり、雪斎に連れられて京都に上洛。

 雪斎も修行を積んでいた建仁寺で優秀な禅僧となるべく修行を積んで居たのですが、本家の駿河今川家で総領氏輝が謎の死を遂げる御家騒動が発生。
 大河『風林火山』では、今川家の重臣でありながら何かと反抗的であった不穏分子・福島越前守がその首謀犯であると匂わせる演出をしています。

 福島越前守はこの混乱に乗じ、福島一門の娘から生まれた玄広恵探を今川家家督に据えるべく暗躍しはじめます。これを気取った寿桂尼は『今川家家督を妾腹の子には奪われまい!!』と、あわてて二人を京都から帰国させました。寿桂尼が作中で『そなたらを呼び寄せて置いて良かった』と言っていたのは、こういう背景と経緯があったのです。

 戦国時代で、本当の意味での"軍師"として大活躍した怪僧・太原雪斎が登場。演じる伊武雅刀さんは96年大河『秀吉』でも同じ参謀役である黒田官兵衛を演じ、抜け目無い策士振りを見せてくれましたが、才気と自信に満ちた、それでいて何処か捉えどころのない怪僧役は堂に入っていて、見ていて安心する感じがしました。


 個人的には、あの何を考えてるんだかさっぱり判らない笑顔がたまらなくスキです(苦笑。


 ■福島越前守 (テリー伊藤)
 福島と書いて『くしま』と読む。福島家は代々今川家重臣の家系で、遠江高天神城主。甲斐武田家とは1521年(大永元年)、飯田河原の合戦で槍を交えた間柄でもあります。この『飯田河原の合戦』の最中に、武田の若殿こと晴信が生まれたことは、第四話『復讐の鬼』でも説明されていた通り。


 一説に拠れば、賤ヶ岳の七本槍の筆頭で昨年大河『天地人』でも登場した"市松"こと福島正則は、この福島一族の出身(ただし福島正則は"ふくしま"と読む)。

 テリーさん、目が恐い(苦笑。大河『風林火山』出演終了後、ほどなくして眼の治療を行ったため今となってはこの迫力ある視線も見られなくなってしまいましたね。


 テリー伊藤さんと言えば『天才たけしの元気が出るテレビ』『ねるとん紅鯨団』など、今の時代ではいささか難しくなってしまった破天荒な番組構成で高視聴率を叩き出し、時代の寵児ともてはやされた企画畑の怪男児。最近ではテレビ放送コードが昔と比べて厳しくなり過ぎたため、テリーさんもすっかり大人しくなってしまいました。一昔前の、暴れん坊な雰囲気はなりをひそめてしまったのが惜しいところ。

 歴史大河はこの『風林火山』が初登場でしたが、その演技は風雲児そのものだった素顔とは打って変わって、燻し銀の渋さ。
 NHK歴史大河独特の台詞回しに苦戦したのか、少し言葉の響きに癖を感じましたが…山本貞久が花倉城中で『身内に内通を知る者が居たのに、見逃した』と吐露したシーン。テリーさん次の瞬間『ッざけんじゃねーよばっかやろー!!!(屮゜Д゜)屮』って、前みたいな調子で叫ぶんじゃないかと思ったけれども(何、ところがどっこい正統派。心の広い御大将を演じきっていました。

 …しっかし、なんでテリー伊藤さんがキャスティングされたんだろう(汗。
 …端役のはずなのに、存在感が抜群過ぎで…赤髭的には甲斐武田家の重臣クラスに据えて、長く活躍して欲しかったですね。武田二十四将の一人にして妖怪退治経験がある異色の老将・横田備中守高松とかなら雰囲気抜群だったろうに…。


■玄広恵探(井川哲也)
 なんだかもう、顔からしてすでに今川家家督の器じゃない、とっても小心者な小人物的描写。

『そぉおおかぁあ、我らとの約定を違えるのか!!…あぁの甲斐の、山猿めえぇええ!!!』

との台詞下りとか、聞いてるだけでワクワクするような小者です(苦笑。 …まぁ実際、花倉の乱に敗れ、花倉城落城後に腹を切ったということ以外に特筆すべき経歴が無いので仕方が無いかもしれないけど…。

 余談ですが、花倉の乱が終わって二十四年も月日が過ぎたある日の晩、今川義元の枕元に玄広恵探が化けて出た、なんていう逸話があります。

 …もっとも、怨霊のテンプレートよろしく義元へ恨みつらみを言うために来たのではなく、義元が『とある戦場へ出陣しようとしたのをやめるように促すため』わざわざ化けて出たそうです。


 まぁ、かつての家督争い相手の怨霊登場に狼狽しまくった義元が、聞く耳持たずに刀を振り回し、怒鳴り散らして取り合おうとしなかったため、悲しそうな顔をして消えてしまったそうですが…。

 …ちなみに、そのとき今川義元が出陣しようとしていたのは1560年(永禄四年)、向かおうとしていた先というのが、尾張国は桶狭間。…実は優しい人なのかも知れません。死んだ後まで仇敵へ忠告するためあの世から舞い戻るとか。


■今週の風林火山
【註・あくまで歴史痛の観点から視聴した個人的感想です。】

■総合 ★★★★☆ 陰謀渦巻く戦国時代の裏舞台から、直接的な戦闘シーン、兄弟相食まなければ生き延びられない戦国の無常感まで、いろいろ詰め込んじゃって盛り沢山な第五話。

■戦闘 ★★★☆☆ 本格的な合戦描写は第一回『隻眼の男』以来。火矢による投射攻撃が暗めの画面を引き立てる本格的な戦闘シーン。本格派なのはほぼ真っ暗闇の中経過した花倉城攻防戦を見れば瞭然ですが…おかげで、専当シーンで誰が大音声上げてるのか、誰が槍を振り回して福島彦十郎の母を刺突したのかわかりゃしません。槍を片手に暴れまくってたのは青木大膳(四方堂亘)?私の暗視能力が駄目なだけだろうか

■俳優 ★★★☆☆ 今回は赤髭一押しである超ベテラン俳優・仲代達矢さんの出番は少なめでしたが、替わりに北条氏綱を演じる品川徹さんであるとか、独特の粘着質・ワケワカラナイ感が糸を引くような怪演振りだった太原雪斎役の伊武雅刀さんの存在感に惹かれました。ご馳走様デス。

■恋愛模様 ★☆☆☆☆ 今回はそういった甘い雰囲気は皆無。本格かつ重厚、陰謀と阿鼻叫喚渦巻く戦国時代の歴史物語でした。

■役立知識 ★★☆☆☆ とくに思い当たる様な描写もありませんでしたが…強いて言えば、太原雪斎が『こんど晴信様に紹介する姫君の姉上は、管領細川晴元様の正室』と説明するシーン。管領細川晴元は、この当時の室町幕府の最高権力者、今風に言えば総理大臣の職を務めていた超大物です。そりゃあ信虎親父も大喜びでしょう。現代日本に置き換えて表現すれば『倅が小沢一郎と義兄弟になるようなもn …誰ですか、こんな時間にウワナニヲスル

■歴史痛的満足度 ★★★☆☆ 
『北条家は"関東"という重い甲羅を背負った亀』と北条家を嘲笑う梅岳承芳、『今川は北条を家臣の如く見下している向きがある』と憤る北条氏康、『駿河の蛸に吸い付かれてはかなわんからな。』と重い存在感たっぷりに嘯く北条氏綱。同盟関係にあるとはいえ、利害関係という薄く冷たい糸一本でつながった戦国時代の信頼関係が如実に表現された台詞回しが光ります。


 ■次回は第六回『仕官への道』。北条氏康(松井誠)に啖呵を切る勘助の迫力ある表情や、悪らつな台詞を叫びながら嬉々とした横顔を見せる小山田信有、腹に一物も荷物もありそうな駿河今川家の面々に可憐な魅力たっぷりの三条夫人(池脇千鶴)と、メインキャストの印象的な顔・顔・顔が居並ぶ秀逸な予告。

 風林火山紀行は静岡県藤枝市・花倉。第五話『駿河大乱』の舞台となった花倉城跡をはじめ、偏照寺(遍照光院)・玄広恵探の墓、今川義元の軍師として今回も大活躍した太原雪斎が住職を務めていた臨済寺、その臨済寺が所蔵している今川義元像、最後にかつて駿河今川家の牙城であった今川氏館跡などが紹介されています。



 臨済寺蔵の今川義元像は、信頼できる肖像画が一枚も残っていない義元の姿を後世に伝える数少ない物証の一つです。後に徳川将軍家の陰謀(註・悪意含む)で『デブ・短足・馬にも乗れない運動音痴の公家かぶれ』という悪態が刷り込まれた義元ですが、木像は大きな瞳と恰幅の良い体つきが印象的な男前。

2007年大河『風林火山』第六回『仕官への道』 感想と解説





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