2007年大河『風林山』   - 第八話『奇襲!海ノ口』 - 


■今回の更新は、『山本勘助と戦国を語るclassic』。

赤髭が三年前に執筆していたブログ『山本勘助と戦国を語る ある歴史痛の戯言』をほぼ完全復刻してお届けするという手抜き企画当時のことを知っていらっしゃる方にはたまらない企画です。

三年前、大河『風林火山』を楽しみにしていた若者(語弊含む)だった赤髭のテンションや、当時の雰囲気をお楽しみ下さい。

待って、腰の刀は抜かないでって最初に言ったはず…なに、お前なんか脇差か笄で十分だって?

いや、待ってください、笄と脇差もダメってTOPに追加しますかrウワナニヲスル

ストーリー解説・キャラクター紹介。

 
今宵は待ちに待った日曜日の夜。大河『風林火山』第八話が放映される夜だ。今夜は有識者での間では『ちょっと話が出来すぎちゃいねえか?』としきりに声の上がる武田信玄の初陣、佐久海ノ口城攻防戦が舞台となる。

 剣戟の草叢、闇夜に煌めく槍衾。例年の大河にない生々しい、現実味溢れた城攻戦の描写に期待したい。

 ・・・余談だが、昼間の内に用事を済ませて早めに風呂も沸かし、洗面台の前で鼻歌交じりに散髪(歴史痛は今風のトレンヂーな髪型になど興味は示さない。扱いが良い5枚刈りをこよなく愛するのだ)をこなしていたら、ものの見事にしくじって虎刈りになり、気がついたら平賀源心入道になっていた。

・・・明日上司に怒られやしないかと想うと内心穏やかではないが、仕方なかったのだ。・・・(遠い目
・・・とまぁ、余談はさておき今夜も登場人物、それを演じる俳優さん、歴史上のちょっとしたエピソードを踏まえての感想を徒然なるままに書き綴ろうと思います。閲覧者の皆様のお時間を、少々拝借仕る。・・・ではいざッ!!

■寸評…当時ははっちゃけてたんですねえ。口調もおかしいし。
      
山本勘助(内野聖陽)
遂に今回は因縁の武田家と戦場で合見えますが、なるほど・・・。

武田信玄の初陣での、見事な逆転勝利を演出する佐久海ノ口城攻めの前半戦での武田軍の敗戦も、勘助の鮮やかな軍略展開によるものだと描写すれば、この時代ではまだま希薄な勘助と晴信との接点が色濃くなるわけです。

・・・その見事な軍配で勇猛と名高い武田軍を一度は撃退しますが、密かに懸念していた悪条件が全て揃ってしまい、またあの『挫折を知らぬ青二才め』にしてやられてしまいました。・・・『人を恨みすぎて、見えなくなった』隻眼にも読めていた展開だっただけに、さぞかし残念無念だったことでしょう。

 しかし、勘助役の内野聖陽さんは実力派の舞台俳優だと言うことですが、その下馬評に違わぬ演技の幅だと思います。

 戦場で軍略を次々と展開し、それが成功裏に終わった際の才気自信に満ち溢れた顔や平賀家の姫様に言葉を掛けられた際の憂いを帯びた表情、落城の予兆を感じ取った時の両目を見開き緊迫した顔、そのどれもが非常に良い!!

・・・戦国乱世に飛躍しようとする欲(恨み含む)多き若者役は正に妥当な配役でした。とれんぢーどらまばかりしてる二枚目にはこの味は到底出せないでしょう。

次回は『勘助討たれる』等と言う物騒な題名がついていますが、果たしてどうなることやら、この歴史痛めにも予想がつきません。・・・

■寸評…チャンネル変えたい。本気で変えたい。
    
板垣信方(千葉真一)
第四話で勘助と鋭い太刀廻りを演じたサニー千葉。今夜も若殿様・晴信の初陣だというのにその若殿以上に目立ちますッ。

 平賀方の大豪武将・武藤永春(中山正幻)の鬼気迫る鋭い剣撃を二刀流の交差で受け止めた時の、敵を睨む鋭い眼光がなんだかとっても素敵です。

 勘助との一騎討ちの際もそうでしたが、迫力あるアクションを演じられて戦国武将らしい威厳と気風を出せるアクション映画俳優さんは何故今まで大河に出ていなかったのでしょうか。

 誰とは言いませんが電流爆破に突っ込んで邪道がどうとか叫んでる人とか、エベレストジャーマンな元PRIDE戦士とかキャスティングするよりよっぽどか味があると想うんですがね・・・。

■寸評…大仁田厚・高山善廣のこと。どちらも蜂須賀小六で大河に出演。

 戦国時代の具足の着こなしや似合いようも堂に入ったもので、篝火の下で黄金色に煌めく蜻蛉の前立ての兜も良く似合ってますし。何より合戦場になると平服時の"爺"にはない迫力の様なものが宿っています。

 この辺はさすがにサニー千葉と言わざるを得まいッ!!!(力説 っていうか千葉真一が信玄役で良かったんじゃ無いのかと強く想いま・・・ぁぁ、16歳の晴信役は無理か(爆  

・・・何、渡哲也の18歳信長はって?・・・皆まで言うな、わかっているから。(ぉ
 いつしかの回では詩歌に傾倒し尚文軽武の気風すら見せた晴信を涙目で諌める場面もあったように、後の常勝無配・甲斐の猛虎を育んだのは、甘利虎泰(竜雷太)と共に武田の両職(りょうしき)に名を連ねたこの信方でした。

 信方は歴戦の武田家家臣団の年寄達の筆頭格で、後に晴信が武田家総領を継ぐことになった事件の影の首謀者とも呼ばれる実力者。

 近年の研究では後に晴信をも凌駕する権勢の持ち主であったと伝えられています。

 ・・・今のところ、ドラマの中でも両者の信頼関係は堅く、見方によっては良い師弟関係のようですが、実は信方は後に良い様にも悪いようにもとれる最期を迎えることになります。

・・・まだ随分先の話ですが、その時は一体どういう描写がなされるのでしょうか・・・?

 余談ですが、後に板垣家は明治の世に憲政政治の立役者・板垣退助を輩出しています。

■寸評…残念、板垣信方と板垣退助に血縁関係はない。
平賀源心(菅田俊)
武田信玄を語る際には必ず引き合いに出される"やられメカ"、平賀源心入道です。

身長二メートルを超え、130cmもの大刀を振りかざすことが出来る猛将軍、南佐久随一の猛将として信濃侵略を企む甲斐武田家の前に立ちはだかる巨壁ですが、ドラマにもあったように晴信にあまりにも簡単に、ご都合主義的に討ち取られてしまいます。

 武田信玄を題材にした漫画や小説・物語では大抵の場合、己の武勇を鼻にかけ若い晴信を侮る典型的な小者のような扱いを受ける源心ですが、何気に今回の描写はカッコ良かった!!

 勘助が『必ず武田軍は戻ってくる!!』と力説する場面も、普通なら『なぁに、武田の子倅に何が出来るってんだい、戻ってきたら蹴散らしてくれるわ!!』ってな余裕綽綽の反応が想い浮かびますが、今回の源心はちがいます。

 『この雪だ、馬も走れん、兵も疲れておる。・・・それよりも、勝ち鬨を上げ、家臣達にもたんまり祝い酒も振舞ってやりたいのじゃ!!』と、なかなかに親分肌な気の良い大将振りを見せてくれました。


 最期の太刀廻りでも、自らを弔う為のものなのか一しきり低い声で読経を唱えた後、押し寄せる武田軍の兵士に豪将らしい奮闘を見せ、槍で貫かれて絶命する壮絶な最期が描き出されていました。

 武田主観の良くある物語なら、こんなにも戦場の美学を味方につけているかのような勇壮な最後を与えてくれる役どころではありません。

 物語が勘助Vs武田軍だったからかもしれませんが、こういう所を見るとやはり『今年の大河は違うなぁ。』と強く想いますね・・・。

 嘘の様な余談ですが、江戸時代の蘭学者・平賀源内は彼の子孫だそうです。
 
■武田信虎(仲代達矢)
・・・まぁ多くは前回でも語りましたが『ぁーぁ。どこまでも儂を辱める気か〜。』『皆のもの、この晴信"様"が殿軍(しんがり)を務めてくださるそうじゃぁ。』と呆れ半分蔑み半分に口走る際の表情が非常に印象深いです。・・・内心、何処かで晴信の才気を賞賛はしているのでしょうが・・・口にした言葉は侮蔑というこのもどかしさ。・・・なんて想うのは私だけでしょうか?( ;・`ω・´)


歴史痛の眼。要するに薀蓄のひけらかしとも言う。

 補足しておきますが、『殿軍』とは軍団が戦場で勝利を得ずに退却する際に戦場にとどまる部隊の事を言い、退却していく本体の背後を追撃してくる敵軍から守る役割の事を言います。

 当時の合戦というのは雑兵達の『軍団を維持して、大将達と一緒に戦わなきゃならないっていう気迫』、いわゆる士気が大きな役割を果していました。

 戦場に背後を見せて退却していく際に最も気遣わなければいけないのがこの『士気』で、逃げていく最中に敵軍から背後を襲われると、負けて落胆している分気迫がしょげている上に『真正面から敵と相対している時とは違う、後ろから敵軍に命を狙われている時のみにある背筋が凍るような恐怖』というものもありますので、案外簡単に軍団は瓦解してしまっていたのです。
 
 軍団が瓦解してしまい、取り巻くのが僅かな共の者だけになってしまうと如何に勇猛な戦国武将といえど悲惨です。落ち武者刈りに遭えば簡単に命を落とす可能性だって有りますし、普段は威張り散らして良い様に扱っていた自分の領国の農民にすら叛かれて命を落とす可能性もありました。

 1582年に羽柴秀吉と明智光秀の間で行われた天下分け目の大決戦・『山崎の合戦』でも、破れた明智光秀は羽柴軍に敗れて退却する際に部隊の士気が撃ちのめされて部隊が瓦解。

 たった十三騎の落ち武者集団になったところを農民に襲われ、その怪我が元で自害に追い込まれましたし、1582年に織田信長が武田勝頼を滅ぼした甲斐・信濃攻略戦でも、最終的には勝頼軍は士気を失って落ち武者化、

 その際には、落ち武者狩りを始めたかつての自分の領土の農民に襲われました。

 
 以上の事を踏まえると、いかに殿軍の重要性が大きいかわかると思われますが、問題なのは殿軍とは『本隊が無事な場所まで退却するまでは、死んでも戦場を離れてはいけない』ことです。

 ・・・それはそうですよね。殿軍まで負けて一緒に退却したら、そのままずるずると追撃されて大将の軍まで負けてしまいますし。・・・つまり、殿軍は『引き受けたが最後、十中八九命は無い・・散るが定めの決死隊』なわけです。



 これを引き受ける時は、その武将にとっては当に『花は桜木人は武士、咲き誇る花は散るからこそに美しいー♪』な、一世一代の晴れ舞台なのです。
■寸評…大河ドラマ見てた若者層、ブログみるような世代のどのくらいが一世風靡セピアを知っていたことだろう。そいや!!


 ・・・逆から言えば、よく考えてみなくても『絶対死ぬような決死隊に武田家の嫡男が配置されるなんて普通に考えておかしい』とも言えます。・・・有識者が、この海ノ口城攻防戦に首を傾げるのはこういった視点もあります。

・・・長すぎて収集がつかない気配がしてきましたので、今宵はここまでに・・・次回第九話『勘助討たれる』は果たしてどうなることやら・・・

2007年大河『風林火山』第九話『勘助討たれる』 感想と解説




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