2007年大河『風林山』   - 第十一回『信虎追放』 -  


 さて、『風林火山と戦国を語る・復・刻・版』は今回で第十一回の更新を迎えるわけですが…一年が過ぎるというのは早いもので、今年の大河『龍馬伝』もあと二ヶ月あまりで終わってしまうんですよね。

 そうなると、困ってくるのが『来年の大河である『?姫たちの戦国?‎』があと少しで始まっちゃう』ということ。

 まぁ、同じ戦国時代を取り扱った大河であるからぜんぜん筋違いではないのですが、そこはソレ…やっぱり最新の情報も追いたいというのが歴史痛心というもの。

  大河『天地人』では内容がスカスカで終わってしまった戦国時代後半にもう一度挑戦できるというのも魅力的なのですが、いかんせん時間が無いのが悩みどころ。





 風林火山の後半部は、全部classicでいこうかなぁ… ぁ、いや、何でもありませnウワナニヲスル





ストーリー解説・キャラクター紹介。




■完全版『風林火山』の第十一話、全44分28秒。
序盤に武田信虎の甲斐躑躅ヶ崎館出立が1541年(天文十年)六月と表示がある。時に山本勘助、四十二歳。

 最愛の人であったミツを信虎に奪われてから、実に五年の月日が過ぎていた。復讐の時は、すぐそこまで迫っていた…。





□甲斐守護職・武田信虎(仲代達矢)とその嫡男・晴信(市川亀治郎)との親子相克はいよいよ溝が埋まることがなく、遂に双方が双方の甲斐国追放を画策するという異常事態に発展する。
二人の追放劇のシナリオ、そのキャスティングボートを握っているのは駿河今川家だった。

 今川家が選んだ駒は、武田晴信。勇猛で老獪、領土欲と野望に満ちた信虎より若く御しやすいであろう晴信の方を立てるほうが良いだろうという、雪斎(伊武雅刀)の判断だった。





□晴信の傅役・板垣信方(千葉真一)は甲斐武田家の重鎮達のうち、甘利虎泰(竜雷太)・飯富虎昌(金田明夫)といった主だった者達を既に説き伏せていた。残るは晴信の弟・次郎信繁(嘉島典俊)と、その傅役であった諸角虎定(加藤武)を説得出来るか。




 虎定は『そなたらは御館様の御心に背き、次郎様を家督から退けようとしている!』と吼えるが、信繁は『今の兄者は廃嫡を受け入れる兄者ではない』と制する。

 小山田信有(田辺誠一)が『今回の家督争いに乗じ今川家は事の次第では甲斐武田家を攻撃するかも知れない』と衝撃的な言葉を吐けば家臣達は震撼するが、信繁はそれを受けて腹を決める。信繁は涙ながらに兄の決起を賞賛し、晴信に従うことを誓う。

【この人物に注目!!】
■武田信繁(嘉島典俊)
今回まで、兄晴信とは台詞らしい台詞も交わさず、信虎の寵愛を一身に集めていた出来の良い弟なオーラ全開だった"次郎君"こと信繁ですが…視聴者の方々には『ぉぃぉぃ、信虎親父を追放しようと想ったらまずこの無愛想な弟をヤったほうがいいんじゃないか。』と思わせておいて…一転、涙ぼろぼろで兄を立てる賢弟に華麗なる転身を遂げました。


 後年になって信繁が逝去した際、信玄はその亡骸を抱いて号泣したとも伝わっていますし、山県昌景ら武田家が誇る名将達も、信繁のの手腕は『真の副将』と賞賛し、敵である上杉謙信にも『名補佐役・武田の副将だった。良い武将を死なせてしまった』とその死を惜しませたと言いますから、信玄の弟と贔屓目に見なくても"名将"であることは間違いないのですが…


 『風林火山』では信玄の補佐役は今後、恐らく主役の山本勘助(内野聖陽)が務めることになるでしょうから、井上靖原作『風林火山』同様、かなり存在感が希薄なることが予想されます。



今回のような強い自己主張は、これが最初で最後、になりそうな予感が…。。






□そのころ、信虎は駿府今川館で今川義元(谷原章介)らの歓待を受けていた。和歌・蹴鞠の大家である飛鳥井雅教(亀山助清)を迎えての連歌会を終えたのち、信虎は義元たちに晴信の行く末を頼み、いずれは仏門に入れたいとつぶやく。その静かな面影には、決してわが子に見せることはない穏やかさがあった。





□信虎が駿府での逗留を終えたのち、山本勘助(内野聖陽)は今川義元・寿桂尼(藤村志保)・雪斎らに拝謁。信虎の引き取り役を命じられる。相変わらず冷ややかな態度しか見せない今川家の領袖達には勘助も胸のうちを明かさない。彼らが、勘助の信虎憎しの怨念を利用する腹であると読みとっていた。






□武田信虎一向が駿河-甲斐国境に差し掛かった際、事件は遂に起こる。信虎は共の者に取り残され、国境の関所通過を許されない。弓矢の歓迎、槍衾の切っ先を突きつけられるなか、信虎は晴信からの引退勧告・駿河隠居の言葉を聞き憤怒するが、もはや誰一人として信虎の命に従うものは無かった。




 呆然と立ち尽くす信虎、勘助の出迎えを受け静かに甲斐国へと背を向ける。その背後で、勘助は静かに眼帯を編み藁製のものに取り替えていた。




 かつて信虎に矢を射掛けられ、身篭っていた腹を引き裂かれて殺された最愛の人・ミツ(貫地谷しほり)が勘助を想って作ったものだった。


【この人物に注目!!】

■北条氏綱(品川徹)
 武田信虎と同じく、今回で『風林火山』での登場はお終いの様ですが…ちゃんと彼の死を描写した上に、歴史痛をうならせる好ポイントである北条氏綱公訓戒をここで持ってくるとは思いませんでした。



 


 この遺訓は、死に臨んで氏綱が嫡子氏康に言い残した戦国武将としての心構え5箇条のうちの一つです。



 


 …昨日の敵が今日の友となり、今日の友にも明日には裏切られて合戦で剣戟を交える事すら茶飯事であった戦国乱世において、どうしても希薄になってしまいがちな『義』というものを遵守する重要さを説いたものです。その内容が親子相克に揺れる甲斐武田家の面々を背景に流れる演出は、心をうつものがありました。



 




 『…義理を違えて不名誉な名が残るくらいなら、いっそ義理を貫き通して滅んでしまえ。そうすれば後世までその武勲や名誉は讃えられるだろう。


 また、義理を違えて悪逆非道な行いをして栄華を得たところで、その栄光も名誉も長くは続かない。悪逆の報いは天命に拠るものだ、決して逃れられはしない。』





 


 北条家と同じく下剋上で御家を発展させた戦国大名・越前朝倉家の創成期を支え、齢七十九歳という高齢を迎えてもなお戦場に立ち続けた不屈の闘将・朝倉宗滴(あさくらそうてき)が



 と述べた事とはまさに好対照で、氏綱の言葉は現在に伝えられています。






 


 …氏綱と宗滴、どっちも言っている事は間違いは無いのですが…何だかんだ言って、魂の奥底では勧善懲悪の物語が好きな日本人の心をよく読んだのは、氏綱のような気もしますね。




 


 戦国時代における武田家黎明・雄飛期の象徴であった信虎は今回で表舞台を去りましたが、同じく北条家の黎明と雄飛を支えた氏綱も今回で…家督を氏康に譲り渡して、世を去りました。



 信虎役の仲代達矢氏の演技の深さ、表情の豊かさも素晴らしかったですが、赤髭はこの氏綱役を演じた品川徹さんの演技も印象深かったように想います。



 


 特に、最後の言葉の台詞回しと、それを語る時の表情が良かった。




 



『氏康。…――何事も、憂いと悲しみが伴う…。月日は人を待ってはおらん。世は、きわめて速やかに移ろい、死は訪れよう…。志の高き者も、卑しき者も等しく死に往く。


 みな、昔のことになってしまうのじゃ。





 


…―――せめて、左様な書置きを残すことが、わずかな余命を生かす道であろう…。』




 


 彗星の如く乱世に身を興した父・北条早雲の跡を受け、その威徳を背に受けながらも着実に確実に勢力を拡大してきた慎重で老獪な戦国武将らしい重厚な風格、乱世を確実に踏み超えてきた男の雰囲気がひしひしと感じられて、とても好感を持てました。



 


 演技派俳優を揃えたと言われる今年の大河ですが、仲代さんや品川さんの存在感を見れば、大正解だったように思います。それだけに、視聴率がついてこなかったことが悔やまれますが…





□勘助の殺気に気づいた信虎は不意に騎馬を早掛けし、刀を抜く。勘助はその剣閃を二度に渡って受け、抜刀。しかし、既に恨みを大望に変えかけていた勘助には怨念と復讐心に駆られて信虎を斬ることはしない。やがて、青木大膳(四方堂渡)に切り付けられ落馬する信虎。






今川め。この儂を討ったところで、甲斐は滅びぬ。…晴信がおる。晴信がおるのじゃ…。見ておれよ…いずれ駿河国を切り取り、天下に号令を掛けるのは我が武田家の嫡男・武田晴信じゃ…!!





 屈折した愛情を吐露しながらも、その対象であるわが子と宥和できず追放の憂き目を見た憐れな父の横顔。勘助は信虎を無事に駿河へと送り届けた。





甲斐守護職・武田陸奥守信虎追放される。彼が再び甲斐の地を踏むことが出来たのは、晴信も自分自身も世を去った1574年(天正二年)のことだった…。



【この人物に注目!!】

■武田信虎(仲代達矢)
 第十一回の物語でも、中軸にどっかと腰を据えていた例の連歌ですが…和歌の解釈というのは本当に奥が深く複雑です。ですが、連歌の意味が今回のお話の重要なポジションを務めているわけで…まずは例の連歌の解説から御案内しましょう。






 @見る人の 心のそこに すむ月や  武田信虎



 @ちりもくもらぬ 老いし身の程     飛鳥井雅教



 A世をうつし 思い捨てぬる 心もて 大井宗芸



 A晴れし心に 戻る甲斐なし     今川義元





 @信虎は『…心の内にある月(この場合、曲げる事の出来ない信念、譲れない想いとかそういった意味だそうです)は…』と詠むと、和歌の大家・飛鳥井雅教(亀山助清)がすかさず『歳をとっても、まったく衰えることを知らない。』と詠んでいます。



 それを受けて、A大井宗芸(庄司永建)が『・・世の中は移り替わっていくけれど、…その世の中で生きていく上で得た色々な怨讐や雑念を、捨て去ることが出来たなら。』と詠めば、その下の句で義元は『…心も晴れ渡り、過去に囚われる事もないだろう。』と詠んでいます。






 連歌の意味はおおむね上の通りなのですが、ここでポイントなのは和歌・連歌を読み解く上で重要な『掛け言葉』や、読み手の心情です。







 まずは大井宗芸の身の上です。劇中でも説明が入りましたが、彼は信虎の甲斐統一戦において敵対していましたが最終的には敗北し降伏、娘の大井夫人(風吹ジュン)を信虎に人質嫁として奪われた挙句、出家させられ引退した身でした。






 ですが、恨み骨髄な相手の筈の信虎と一緒に詠んでいるのにも関わらず『怨讐や雑念を、捨て去ることが出来たなら。』と何だか悟りを開いたように澄みわたった晴れやかな気持ちで詠んでいます。

 武田信虎よりも先に、『理不尽な形で』戦国大名を引退した彼なりに考え、得た心境なのでしょう。後の追放場面で、この宗芸の句は追放の憂き目をみた信虎の胸に響き渡ります。





 …そしてそれに続く句が義元の『晴れし心に 戻る甲斐なし』なのですが、これは幾つも意味が込められているようです。



『晴れし心に』は、”晴”の字があり、信虎はこれが嫡子晴信を暗示しているほか、『戻る甲斐なし』には『過去の恨みや煩わしい事に、捉われることも無いだろう』という意味と『戻る甲斐(甲斐国は言わずと知れた武田家の本拠)が無い』、つまり甲斐に戻れない、という二重の意味があります。


 まさか自分が追放されるだなんて思ってない信虎は、一連の連歌の流れを



 @『私は歳をとってはいるが、たとえ我が息子を、この国に永久追放するなんて事になっても躊躇はしないし、後悔なんかしませんよ』と、


 Aの宗芸と義元の句を






『息子さんは二度と甲斐には戻れないかも知れません。父親に対する恨みも抱くでしょうけど、移ろい過ぎ去っていくのが世の中です。いずれそんな暗い心も晴れ渡り、過去に捉われることも無くなるでしょう。』




 と、そう言ってくれていると判断したわけです。ですが信虎は連歌の意味を履き違えていました。
 信虎は義元に『晴れし心に戻る甲斐なし。歌会では、儂の心中を良くぞ見抜かれたな』と顔を綻ばせますが、義元の返答が『はぁ?』だったのはそれを物語っています。



 そして、婿殿とも有意義な時間を過ごして心地よい気分で甲斐国国境へと帰ってきた信虎は、国境沿いの関所上で勢揃いしていた晴信と信繁、そして自分の家来達に追放を宣言されます。


 駿河で隠居ということは、義元達がそれを知らないはずはない。…ここでようやく信虎は、自分が騙されていたことに気づきます。



『…あぁ。あの時の…婿殿の句は…晴信の事なんかじゃなく、儂に言っていたことだったんだ…


 A世をうつし 思い捨てぬる 心もて 大井宗芸


 A晴れし心に 戻る甲斐なし     今川義元


息子さんに追放されて腹も立つでしょうが、世の中は自分の想いとは裏腹にどんどん行き過ぎていっています。国を追われたこの恨みを忘れる事が…息子さんを許すことが出来れば、晴れやかな気持ちになれて・・・静かな余生を送れますよ。


って言ってたんだ、あの連中は…。』、と、その真意をようやく理解するのです。



 この屈折した鬼親父殿の心の奥底にあったものは『我が子晴信の底知れぬ天賦の将才を頼もしく思い、認めていながらも…その器量の底が推し量れないがゆえの"恐怖"と、父親ゆえにその恐れを素直に認められないと云う、複雑なジレンマ』でした。



 今川家の謀に落ちてたった一人になり、怨念深い勘助の殺気を察知した死闘の末に、信虎はその鬱屈した想いを遂に他人に…勘助に吐露します。


『・・・見ておれよ…。この今川家の領土を切り取り、天下に号令をかけるのは・・・武田家の嫡男、晴信じゃ。…儂が厳しく育てた…。』と呟くその哀愁に満ちた表情は、今までの厳格で容赦のない鬼親父殿ではないものです。


 連歌会で詠われた和歌通り、『過去のしがらみや怨讐を捨て、自分を追った息子達や家臣達を赦すことが出来た為に…芽生えた晴れやかな』顔をしていたように想えます。


 …やっぱり、信虎は晴信が怖かっただけで、嫌っているわけでは無かったんですねぇ…。




■今週の風林火山




【註・あくまで歴史痛の観点から視聴した個人的感想です。】

■総合 ★★★★★ 文句無しの名場面がちりばめられた、文字通り前半最大の山場。連歌にかこつけた前半の複線を理解するには結構な予備知識が必要とされるため一見するとわかりにくい、敷居の高い話ではあるが。



■戦闘 ★★★☆☆ 因縁深い勘助と信虎の一騎討ちがついに実現。騎馬上で交錯しあいながら剣閃をぶつけ合う闘いはスピード感があふれているが、不思議なことに迫力が無い。どうせだったら馬を下りて徒歩での一騎討ちにすれば良かったのに。もっとも、騎乗で勝負したからこそ、空気が読めない青木大膳の暴走振りが光るわけだけども。



■俳優 ★★★★☆ 黒澤明監督『乱』では和製リア王・一文字秀虎を演じた仲代達矢さん。世界をうならせた演技力は、わが子に国を追われた父親の屈折した愛情の再現はまさにおあつらえ向きといったところ。武田信繁役の嘉島典俊さん、諸角虎定役で歴史大河常連である加藤武さんの感情豊かな演技も見逃せないところ。



■恋愛模様 ★★★☆☆ 自身の追放が確定的となった信虎の心に去来したのは、きっと親子愛。勘助の脳裏へ久しぶりに回想されるミツ(貫地谷しほり)の顔とかつての暮らしの記憶が、総てを失った哀愁の老暴君の哀れさを引き立てる。



■役立知識 ★★★☆☆ 諸角虎定は信虎にとって叔父にあたるはずなので、声高々に『虎定ーー!!』だなんて名前を叫ぶハズはないんですが…まぁ、これを言っちゃうと歴史大河が難解になりすぎるので、まぁこれは愚痴で留めておきます、ハイ…。



■歴史痛的満足度 ★★★★☆ 信虎追放と同年に逝去した北条氏綱の遺言『北条氏綱公訓戒』を物語に絡めてきたあたりはさすが本格派、と拍手を送りたい。88年大河『武田信玄』は信玄が活躍した五十年間を物語として追ったために存在感が薄まりがちだった北条家ですが、北条Fanの皆様も大満足だったのではないでしょうか。






■次回より井上靖『風林火山』の物語を沿う原作準拠の展開となる、第十二回『勘助仕官』。
 『これより山本勘助、甲斐へ参ります!!』という気迫の篭った勘助の決意、そして不倶戴天の仇敵であったはずの甲斐武田家の武将達が論評する勘助の評価。『とんだ騙り者』とこきおろすのは先代信虎が荻原常陸介の跡を継ぐ軍師であると信頼されていた甘利虎泰、板垣信方を襲えと何者かをそそのかす勘助、その底知れない神算鬼謀を使いこなしてみたいとつぶやく晴信の言葉。次回以降の新展開を期待させる秀逸な予告。






 風林火山紀行は山梨県・南部町/甲府市。甲斐武田家・駿河今川家の間で争奪の的となった旧万沢宿、今回武田信虎が甲斐国から締め出しを喰った万沢口、信玄の弟・逍遥軒の筆と伝わる武田信虎像、その信虎が自らの菩提寺として開基させた大泉寺、信虎愛用の数珠や笈に信虎の木像や墓などが紹介されています。

2007年大河『風林火山』第十二回『勘助仕官』 感想と解説

猛将・武田信虎の実像。【前編】





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