2007年大河『風林山』   - 第二十二回 三国激突 -


□様々な苦境を乗り越え諏訪に戻った由布姫に、晴信の子が出来たことが判明し…これで甲斐武田と信濃諏訪が平和裏に結ばれる勘助は歓喜するが…戦国の激動は再び甲斐・駿河・相模の情勢を揺り動かす。

 花倉の乱以降、本拠地の駿河に北条家占領地を許していた今川家が動き、同盟相手の武田家を誘って駿河河東地方への共同戦線を提案。勝っても負けても実入りがない不毛な援軍要請に家臣たちは難色を示すが、勘助はこの事態に対し甲斐駿河相模の一和、三カ国同盟を立案。

 そんなことが出来るわけがない!!と吼える武田家家臣達。しかし晴信は勘助の眼、神算鬼謀の叡智に可能性を見出し、駿河説得に当たらせる。今川義元は相変わらず勘助を毛嫌いするが、関東で苦戦している北条家、駿河を安定させて西部戦線に集中したい今川家の利害を巧みに説き伏せた勘助の饒舌は功を奏し、ここに三国同盟成立のめどがたった。

 そして、かつて勘助も知己を得た北条氏康に危機が訪れた。勘助は甲斐を立ち、相模北条家に向かう…。


■山本勘助(内野聖陽)&武田晴信(市川亀治郎)
 もうすっかり御馴染みになった大河『風林火山』の顔にして名コンビ・甲斐武田家の軍師と主君ですが…同じ『頭領と参謀』の組み合わせでありながら、今川家の義元と雪斎主従とは少し違った信頼関係になっていることが浮き彫りになっていた回です。




 以前は僧体の衣装のまま、もしくは還俗したてでまだ何処か頼りなかった『海道一の弓取り』今川義元ですが、いまやその眼光は鋭くなり、智略鋭敏な総領としての貫禄を十二分に蓄えた戦国武将として再登場。谷原章介さんの、いかにも"性格酷薄な秀才肌"の若総領ぶりは本当に名演技です。

 それでも、まだまだ実力は不十分なのか…参謀であり家庭教師でもあった雪斎に対しては深く信頼し、母親の寿桂尼にも果断に踏み込めないあたり、自身だけの器量発揮が弱い感じが否めませんでした。



 雪斎も雪斎で、北条家討伐に熱を上げており諫言を聞かない義元がどうすれば北条家との合戦を諦めるかが良くわかっていました。言ってみれば、義元は雪斎を信頼し頼みとしていますが、その雪斎に心内まで上手く読まれてしまっているのです。

 まぁ凡庸凡百の総領なら最後までそれに気づかない処ですが、そこは海道一の弓取り、勘助との交渉中に『これは雪斎が仕掛けたな。』と気づき雪斎を賞賛してはいますが。



 織田信長や武田信玄は『家臣達に心の奥底を見抜かれているようでは、器量の良い大将とは言えない。良い大将とは、常に他人の手を読んで行動するものだ。』という言葉を残しています。



 晴信も勘助や小山田信有(田辺誠一)の智謀を信頼してはいますが、鵜呑みにしているのではなく、列記とした自分の手の内の考えを持っており、またその考えを家臣達に漏らさないようにしています。

 今回の大河『風林火山』では甲斐武田家の軍師としての山本勘助の活躍と野望がクローズアップされてはいますが、名参謀を主役にした物語ではありがちなケースである『参謀を信じ、どこまでもその意見に沿う大将』に収まらない武田信玄像も魅力のひとつ。勘助の策略にただのうのうと従っているわけではない、一筋縄ではいかない大将ぶりを発揮しているのも、大きな見所です。


 板垣信方(サニー千葉)が勘助を伴って北条家との和睦交渉にあたる際に『姫様を恋慕しているのではあるまいな』と釘を刺すシーンがありましたが、思い起こしてみると勘助が由布姫に抱く慕情の存在については、もう随分前から晴信は見抜いています。だからこそ、貝の如く心を閉ざした由布姫への交渉役に勘助を選んだのです。


 以前にも勘助が由布姫の側室婚姻の交渉時に『勘助になら、を開いても良い』と言ってきた由布姫の言葉を晴信に伝えあぐねて『…姫様は何も言うてはおりませんでした。』と嘘の報告をしたことがありましたが、晴信は『そんな事では、勘助を甲斐武田家の師には出来ない。』と呟いたことがありましたが…あれは勘助が由布姫に想う恋慕があること、また隠し事をしていることをすんなりと見抜いていたからこそだったのでしょう。


 異形鬼謀の軍師・山本勘助と甲斐の虎・武田晴信の主従関係は強い信頼の絆で結ばれている様にも見えますが、晴信は甲斐武田家を統率する主君としての矜持はしっかりと備えている様です。雪斎に全幅の信頼を置き、合戦まで任せていたという今川義元の信頼とは少し意趣を異なります。



 事実、晴信は武田家の総領として成長していくにあたって傅役であった板垣信方や『猛る野牛の如く』と賞賛された卓越した合戦指揮官である甘利虎泰、そして(まぁ諸説ありますがここは流れに乗って。)山本勘助といった優秀な補佐役・軍師に恵まれましたが、彼らが戦国時代の表舞台から立ち去った後も甲斐武田家の根幹は揺らぎませんでしたし、甲斐武田家の勢力拡大はむしろその信玄の死後、武田勝頼の時代に最盛期を迎えます。

 しかし、太原雪斎の死後に今川家に残ったのは、幼少の頃から家庭教師として武家としての軍略智略を教わり、成年後も全幅の信頼を置いていた軍師に先立たれた今川義元と、器量は備わっているものの歳老いた女戦国大名・寿桂尼(藤村志保)だけでした。



 そして雪斎没後の6年後には、義元は戦国時代の表舞台から急遽消え去る事になり、後継者として立った今川氏真(いまがわうじざね)は駿河国と駿河の海を甲斐武田家に明け渡す事になるのです。( ;・`ω・´)

■村上義清(永島敏行)
 前回、単身小笠原家居城・信濃林城に乗り込み小笠原長時(今井朋彦)を説得、甲斐武田家の信濃侵掠対抗戦線に巻き込むことに成功した義清。



 ですが、あれだけ頭を下げて湿気た縄に火を燈したのに、その小笠原家と伊那豪族連合は合戦描写もなく、あっさりとナレーションだけで粉砕されてしまいました。
 張り巡らした謀略の箍があっさり破砕された村上義清、さぞ落胆しているかと思いきや、呑気に焼き鮎をかッ喰らいながらせせら笑っています。

 それもそうでしょう、伊那地方で粘り強く抗戦を続ける高遠頼継や藤沢頼親ら豪族勢と、その彼らと連合する小笠原家が伊那地方の地盤を甲斐武田家に奪われた事で村上家は得はしていても損はしていません。

 ただの一兵も喪わずに、信濃守護職・小笠原家の勢力を減衰させることが出来たからです。

 巧妙なり村上義清、前回の策はどっちに転んでも村上家には得に成る目しか出ない、勝ちの固まった賭けだったワケです。

小笠原長時、さぞかしを抜かしたであろう。( ゚Д゚)ノ魚     …いずれ、この村上にきついてくること明白じゃ!!

 骨だけになった川魚の櫛を放り投げる義清。

 …その不敵な眼光の奥には、甲斐武田家と、晴信との戦いでの勝利を見据えている様にも思えました。

 大河『風林火山』では、三条夫人を心優しく器量を備えた京美人としたり、武田晴信を悩めるハムレットにしたてたりと従来のイメージに挑戦するようなキャラクター付けをしていますが、この義清の策略家・縦横家としての怜悧な面の描写も非常に斬新な、そして重要な点だと思ってます。

  猪武者じゃない義清って、あんまり記憶にないですし…88年大河『武田信玄』では上條恒彦さんの男臭さは最高でしたが、知略はからっきしでしたので(苦笑。

 義清、頑張れ。頑張って信長の野望での低智謀評価を覆して(ry 



■さて、いよいよ次回は相模の獅子・北条氏康一世一代の見せ場である『河越戦』。この時代ではありえない規模の敵軍に勢力圏を包囲された北条氏康は、いかなる作戦で未曾有の大勝利を収めたのか、はたして勘助はそれにどのようなアシストをもたらしたのか?



 もちろん、大河『風林火山』ではがっつりと端折られていた『河越夜戦』に至るまでの経緯…歴史的事情も、歴史痛的観点でたっぷりと説明していきたいと思います。乞う御期待。(;ノ゚Д゚)ノ<大呂敷>゛

2007年大河『風林火山』第二十三回 河越夜戦 感想と解説

河越夜戦前夜までの関東の状況【前編】






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